【視察イベント】
次の私が関わるイベントは、【乗馬イベント】と同じく、【共通イベント】だ。
ストーリーを辿る上で、どんな選択肢を選んでも絶対に共通して経験することになる出来事。
最初に姉である私と出会って公爵家の一員であると認められたり、それを王家に承認される【承認の義】などもその一つ。
が、やはり【月光のリーベリウム】が恋愛シミュレーションゲームである以上、ハイライトは恋愛絡みのイベントだろう。
そして次に待つイベントは、乗馬と同じく、三人の【攻略対象】のうち一人を選んで親密になる、【選択式個別イベント】でもある。
選ばれなかった者のイベントはなかったことになる。
少し変わった構造だが、時代や版によって筋書きが異なる物語はあるから、それと似たものなのだろう。
この【イベント】が三回あり、その結果で【エンディング】が決まる。
全員一回ずつ選んだらどうなるのかな、と思うが、古来より全方面にいい顔をしようとする奴の末路は決まっている。
……ただ、一回目である先日の乗馬では、妹が誰を選んだのかいまいちよく分からなかった。
落とし穴の数には限りがある。突き落とす決定的瞬間を見られるわけにも行かず、早々に【落馬イベント】を起こしたのだが、その判断が正しかったのか分からない。
しかし、ひとまず妹は怪我もせず元気でいる。
妹さえ無事なら、なんとでもなるはずだ。
「――"仕立屋"」
私は、以前も妹の採寸をさせた応接間に、"仕立屋"を呼びつけていた。
長身だが仕立屋の宿命で猫背だ。
身につけているのは、白いシャツに黒いベストとズボン。アクセサリーはもちろん、首元のネクタイと袖に、ネクタイピンやカフスボタンはない。胸ポケットにはチーフや懐中時計の銀鎖の代わりに、採寸表をつけるための万年筆。ベストやズボンのポケットに仕込んでいるのも、巻き尺や大判の手帳のみ。
シンプルで飾り気がない装いは自ら縫ったもので、仕立屋としての腕を示すと共に、仕立て服の黒子に徹する、という意味が込められているらしい。
確かに、既製服ではとても収まりそうもない細身の長身と大きな胸が綺麗に収められているのを見ると、感嘆せざるを得ない。
私が名前を呼ぶと、でろんと垂れた長い前髪に隠れ気味な、薄い青の瞳にぎらりと光が宿った。
「アーデルハイド様。どうかご命令を。私がここに呼ばれたということは、そういうことですよね? ね!?」
海藻のような黒髪を振り乱し、細長く、蜘蛛のようにひょろりとした手を、期待に満ちてわきわきと動かす彼女に、私はため息をついた。
「……ちょっと落ち着きなさい」
「これが落ち着いていられますか! ――旅行用の服のご注文ですよね? アーデルハイド様の服ですか? レティシアお嬢様の服ですか? もしかして、もしかすると、両方ですかっ!?」
「旅行ではなく視察です。――もう一度だけ言います。『落ち着きなさい』」
"仕立屋"が、私の前で片膝をついた。
「――は。失礼しました。ご注文をどうぞ」
当主就任から間もない頃に、彼女をスカウトして、我が家の専属にした日のことを思い出す。
あの時は、意思疎通が微妙に難しかった。
最初は、他国人ということでユースタシアの言葉に不慣れなのかと思ったぐらいだが。
少し扱いに困るところもあるが、替えのきかない特殊技能持ちで、忠誠心に疑う余地はない。
私よりもっと何か、服飾を司る神のような存在に仕えている気もするが、まあ私が予算を与え、腕を振るう機会を与え、結果として我が家の利益になっている事実に変わりはない。
人を上手く使うのは、貴族家の当主としての必須技能だ。
はたして私が、"仕立屋"を上手く使えているのかは疑問だが。
「あの……お姉様。視察、って」
同席していたレティシアが、控えめに口を挟む。
「ヴァンデルヴァーツ家は、毎年七月頃に、北にある領地の視察を行っています。移動も込みで一、二週間ほどですわね」
冬期の視察も行っているが、当主自らが赴くには、交通の便が悪すぎる。
夏季はユースタシアで最も過ごしやすい季節。いい馬車で、整備された交易街道を通れば、かなり早く移動できる。
貴族によっては、避暑と洒落込んで二ヶ月ほど行くこともあるようだが、優雅なことだ。
「北部の領地……ヴァンデルヴァーツ家の、飛び地の領地があるんですよね」
「ええ。ちゃんと覚えていたようですね。行く前に、予習しておきなさい」
ヴァンデルヴァーツ家の領地は王都周辺だけではない。
特に北部の物は面積も、規模も最大だ。
初代当主はそちらの出身でもある。
ただ、建国王と共に首都を選定し、そこを拠点にした時、ヴァンデルヴァーツの居場所は王都になった。
王都になる前は田舎の村落の一つに過ぎなかったが、今では交易の中心地点でもある。
当時のユースタシア王国の中央で、広々とした平地が広がり、雪は降るがひどく積もりはせず、物流に欠かせない川も近隣で合流する……と、なかなか目の付けどころがいい。
それでも、羊毛などは北部の方が強いし、穀物は南部だ。
どちらに傾いてもいけない。
天秤は、常につりあいを取らねば。
それが、国家を治めるということ。
まあ、そのへんは、せいぜい次期王たる王子殿下に苦労してもらうとしよう。
私は、【断頭台イベント】を終えれば、お役御免だ。
「えっと、それで、私は……」
「――あなたも、視察に同行なさい。ヴァンデルヴァーツの一族として、ユースタシアを担う貴族として、広い視野を持つべきです」
「よろしい……のですか?」
「なにが」
歯切れの悪いレティシアの様子に、素で返してしまった。
「私は、貴族……なんかじゃ」
私は、ため息をついた。
レティシアの肩がぴくりとして、うつむく。
いつもあんなに押しが強いのに、たまに変なところで気が弱い。
「義務と忠誠を。――誓いをもう忘れたのですか? 陛下の御前での言葉が、あなたを貴族にした。それに」
ふっと笑った。
「……それに?」
「貴族なんて、元を辿ればどこの馬の骨とも知れませんわ」
「お、お姉ちゃん。それを言っちゃ」
「お姉様、と呼びなさい」
このやりとりも、なんだか久しぶりだ。
最近はレティシアが気をつけていたせいもある。
「それでも、私達は義務を――役割を担った。この国に忠誠を誓い、役割を分担し、発展のために尽くしている。それゆえの貴族特権です」
貧しい生まれによって、チャンスさえ与えられない優秀な者がいる。
貴族の家に生まれたというだけで、特権を享受する愚かな者がいる。
ああ、この世界は不平等だ。それは認めざるを得ない。
しかし優秀な者を拾い上げ、地位に見合わぬ愚かな者を排除し、優秀ではなかったとしても誠実な者は見捨てない。
それもまた、貴族の仕事だ。
この世に完全がないのなら、私達が義務を担おう。
……特権を享受している分ぐらいは。
歴史の流れの中で強大な集団が生まれ、それに対抗する必要があった。
時に同盟を結び、裏切り、血を流し争い、滅ぼし合って。
その果てに築いた安寧を、誰にも侵させない。
運命にさえ。
しかし幸いなことに、運命はユースタシアの味方のようだ。
そして、レティシアの。
「いずれあなたも、この国の一翼を担う。……レティシア・フォン・"ヴァンデルヴァーツ"。復唱なさい。――義務と忠誠を」
運命は全て、あなたの味方。
だから、間違えないで。
選択肢を。未来を。
私を追い落としていい。私を断頭台へ送って、運命に従っていい。
だから。
ヴァンデルヴァーツが……私や父や、さらにその前の当主達が、忠誠を捧げ、守ってきたこの国を。
「はい、お姉様」
妹が、しっかりと頷く。
「――義務と、忠誠を」
貴族の決まり文句が、様になってきたではないか。
その行く末を見られないのは残念だが、妹の成長をしみじみと噛み締める。
「よろしい」
私は笑った。
次代の当主を育てるのは、ずっと先のことだと思っていた。
父も、母も、それにシエルも、こんな気持ちだったろうか?
たった六つ年上なだけで、小さい頃から見てきたわけでもないのに、図々しいかもしれないが。
私の、自慢の妹だ。