泥まみれの聖女
騎士団長、減点3。
王子、減点2。
医師長、減点1。(点数順)
【乗馬イベント】が始まって早々に、三人の好感度が下がる。
妹にとってはドキドキ恋愛イベント(多分)であり、私にとってはこいつらが妹に相応しいかを確かめる品定めタイムだ。
私が品定めをしても結局の所、選ぶのは妹なので、私のこいつらへの好感度は関係ないといえば関係ない。
しかしまあ、私まで愛馬で駆け出すわけにもいかないので、周囲に気を配りながらできるのは、観察ぐらいなのだ。
口では心配していたくせに、ポニーである妹を気遣う様子がないフェリクスは論外。男達だけでの遠駆けと、淑女連れの遠乗りを一緒にしていらっしゃる。
コンラートもまあ似たようなものだ。走らせていないだけマシだが、だいぶ先行していた。
ルイは……少し離れた位置から、ちらちらと様子を窺っているが、何も言ってこないから、役には立っていない。
……私亡き後の妹の将来が、不安になってきた。
いや、その時にはもっと仲良くなっているはず……なのだけど。
このイベントでも、誰と並んで進むか、妹自身が選べるはず……なのだけど。
妹は、どことなく緊張している様子だった。
まあ、楽しい乗馬と思っていたら、いきなり嫌がらせにポニーをあてがわれたのだ。無理もない。
「……レティシア。あの三人と行っても構わないわよ?」
なるべくやんわりと、萎縮して遠慮されないように言ってみる。
けれど、ポニーで私と並んでぽくぽくと進んでいる妹は、馬の分、少し高い位置にいる私を見上げると……こぼれんばかりの笑顔になった。
「私は……お姉様の隣がいいんです」
計画遂行に支障が出る可愛さ!
「……私に媚びても、何の得もなくてよ」
「そんなつもりでは……」
妹の表情が、目に見えて陰る。
ああ、もう! そんなつもりじゃない! そんな顔させたいわけじゃないんですのよ……!
しかし、どうすることもできない。
……ああ、一応貴族籍剥奪の上ではなく、ヴァンデルヴァーツ家の当主として断頭台に送られるはずだから。
お墓なら、隣同士になるかもしれない。
妹には長生きして末永く幸せになってもらうつもりなので、だいぶ気の長い計画だが。
そんなことを思いながら、ちらちらとタイミングを窺う。
そろそろ目標地点だ。
全員の視線が妹から外れた瞬間、私は行動に移した。
「きゃあああああああ!」
実にわざとらしい悲鳴を上げながらバランスを崩し――鐙から足を抜き、妹に倒れ込むように『落馬』した。
お前が落馬してどうするんだって? いいや。――シナリオには、『いじわる令嬢が落馬していない』とは書いていないし『馬上から見下すように』とかも書かれていない。
そもそも、可憐な野の花を、いじわる令嬢らしくむしり取って投げつける時点では地面に立っている。前倒しでも問題ない。
そしてポニーの上から妹をいい感じに突き落としながら、背に手を添えて彼女が完全に投げ出されないように着地点をコントロール。
私も多少の打撲は覚悟で草原に身を投げ出して、ごろごろと転がって勢いを殺すと素早く立ち上がり、妹を見下ろすポジションについた。
「お、お姉様? な、何を――え、泥?」
尻餅をついて、何が起こったかも分からないままに、私を困惑の目で見上げる妹は、泥だらけだ。
スコップで土を丁寧に掘り返し、バケツで水を慎重に撒き、衝撃吸収能力を高め、ついでに、いじわるな視覚効果も抜群の泥沼を作っておいたのだ。
小石も丹念に取り除いておいたし、泥だらけだが怪我はないだろう。
もちろん、一つではなく複数用意してある。
一日仕事だった。
どうにかこうにか捻出した自由時間を全て、今日この日に、レティシアを安全に突き落とすために用意したのだ。
実にいい汗をかいた。
今日の『落馬』、そして『怪我』は――悪役令嬢たる私の非道さを、プレイヤーに見せつけるためのものだ。
そして、断頭台への後味の悪さを緩和させる役割を持つ。
しかし、そんなもの、この世界の皆が知っていることではないか。
だから私は、運命に先回りして、自分の手で【落馬イベント】を起こすことにしたのだ。
そして、尻餅をついたままの妹を見下ろして、【公式ゼリフ】を言い放つ。
「【あら、レティシア。私があれだけ教えてやったのに、まだ満足に馬に乗れないのね。農耕馬の世話をしている方がお似合いなのではなくて?】」
乗ってたのポニーだし、突き落としたの私だし。
説得力はお亡くなりになっているが、まあ悪役とは理不尽を突きつけるものではなかろうか。
私に望まれているのは、正しくあることではないのだ。
私の『役』は、【月光のリーベリウム】の【悪役令嬢】なのだから。
「あの、今のはその……なんかおかしかったっていうか……もしかして――」
「――なあに?」
目力で黙らせる。
「い、いえ!」
妹が目を伏せた。
「レティシア嬢!」
王子様は妹の名前を呼んで、馬に乗ったまま駆け寄ってきた。
さりげなく手綱を引いて、自分の馬を壁にする。急ぎたい気持ちは分かるが、馬が止まれなかったらどうする気だ。減点。
「――レティシア!? 何があった!」
騎士団長もまた減点だ。守るべき淑女を置き去りにして散歩を楽しむとは、なんという馬鹿犬でしょう。
先行して危険がないか警戒するのも大事なことだが、まず何より、この私を警戒するべきだった。
「レティシアさん、お怪我は?」
医師長は減点なしにしてやろうか。
妹に近付く男というだけで減点ものだが。
三人は、揃って親の仇でも見るような目で私を見る。
「【あら、なあに? お三方の怖い目はどうしたことですの。――こんなもの、ただの事故、でしょう?】」
なんて嫌味な台詞だ。
実に私が言いそうな気もするが。
まあ、私なのだから当然か。
馬鹿犬、もとい騎士団長が、私に食ってかかる。
「お前っ……やっていいことと悪いことがあるだろう!」
「何もしてませんわ……可愛い妹を傷付けるようなことは何も……ね」
妖艶に笑って見せる。
まあ、今日の私がしたことは、妹をポニーに乗せ、前日にせっせと自作した泥沼に尻餅をつかせただけだったりする。
ありがとうシエル。あなたに厳しく鍛えられたおかげで、落馬の振りをしながら妹を突き落としつつも、怪我をさせないことができたわ――と、今ここにはいない教育係へ向けて、感謝の念を送った。
騎手にいきなり飛び降りられたリーリエも無事だ。もう一つ、同じくいきなり騎手を突き落とされたポニーが無事なのも確かめておく。
「だ、大丈夫です。私……私が悪かったんです。――私が、勝手に落馬したんです。怪我もないです」
妹が、ふるふると首を横に振って見せる。
いや、私が突き落としましたのよ?
「レティシア嬢……」
「レティシア……」
「レティシアさん……」
理不尽な目にあって、それでも健気に耐える彼女に、いたわりのこもった視線を向ける王子様以下三人。
ようし、同情票はみんなうちの妹に集まった!
さあ、仕上げだ。
私は足下に【ヤマイドメ】が生えているのを確かめる。
――もちろん、これが生えている所を選んで泥沼を作ったのだ。
春から晩秋まで通して花を咲かせる、生命力の強い草だ。ギザギザの葉っぱがわさわさと生えるのと対照的に、白い花弁はごく小さく、派手さはないが、可愛いと言えなくもない。
本格的な冬が訪れる前……雪が降って埋もれる前、【ヤマイドメ】が花を落とす前に刈り取って干しておき、必要に応じて煎じて使う――のは昔の話。
今でも民間療法としてハーブティーに使われることもあるし、以前からヴァンデルヴァーツでも少量生産していた。
ただし、独特の苦みが強く、主に宣伝する効用は眠気覚ましだ。
可憐な白い花を、根元からつまんでむしり取ると、投げつけた。
妹の豊かな胸に、花が乗っかる。
「【ほら、お薬ですわよ。あなたのような田舎娘にはお似合いですわ】」
王子と、騎士団長と、医師長が詰め寄る。
「アーデルハイド嬢! 今日のことは、正式に王宮から抗議をさせていただくことになる!」
「どうぞご随意に。でもこんな些事で抗議となれば、恥を掻くのは妹でしてよ」
悪役っぽい。
「アーデルハイド! 家名を汚すような真似はよせ!」
「あら、我が家の家名を重んじてくださって光栄ですわ。ですが、ねえ? 我が家の異名は、"冷徹非情のヴァンデルヴァーツ"であり、私はその当主ですもの……」
悪役っぽい。
「アーデルハイド様……! これで、治らぬ怪我でもしていたら、どう責任を取るおつもりだったのですか?」
「責任? 当主でもない小娘一人。何の問題があるというのです」
悪役っぽい。
「お姉様……ありがとうございます」
ん?
胸に乗った花を手に取って、しげしげと見つめるレティシア。
「このお花……お薬になるんですよね」
知ってるの?
この時点では何の説明もなく、プレイヤーからすれば自分の身代わりである【主人公】に、ただの雑草を薬と言われて投げつけられたエピソードであり……。
この草がかつて薬として使われていたことは、図書室で手を尽くして調べている時に見つけ、私の言葉と紐付けて、はじめて知る事実だ。
レティシアにその知識がある描写もなかった。……はずだ。
「私、怪我もしていないのに、心配してくれたんですね」
え、いや……。
雲行きが怪しくなってきた。
三人が泥沼の周りに来たが、レティシアは誰の手も借りずに、一人で立ち上がって脱出する。
そして、にこ、と笑ってみせた。
「お姉様こそ、お怪我はありませんか?」
……うちの妹が聖女。
断頭台、早くしてくれないかな……。
ていうか、もう舞踏会やろう舞踏会。前倒しでいいよ。
うちの妹聖女だよ。
「レティシア嬢……」
「レティシア……」
「レティシアさん……」
三者三様に好感度が上がっているようだが、実の所、私が一番、妹への好感度が上がっている。
けれど、このイベントシーンはシナリオ通りの台詞で幕を閉じねば。
「【興が削がれましたわ。私は帰ります】」
「わ」
最後の総仕上げに、懐から取り出したタオルを、妹の顔面に投げつける。
「汚い顔にはこの程度の布がお似合いですわ」
なお洗濯済み。
「きっちり泥を落として帰ってくるんですのよ。でないと、我が家の敷居はまたがせませんからね」
意地悪の振りをしてタオルを渡すぐらいは、多分――演者の裁量の範囲内ではなかろうか。
私を実に憎々しげに睨み付ける三人にはそれ以上目もくれず、白馬にひらりと飛び乗ると、腹を軽く蹴った。
振り返らずに、馬の腹にさらに足を当て、速度を上げた。
「お姉様!」
私を呼ぶ妹の声を、振り切るために。
ぐし、と頬についた泥を手の甲でこすった。
手の甲にべっとりついた泥汚れに視線を落とす。
……あーあ。
ずっと、ああしていたかったな。
ここまでされてまだ、自分を――"冷徹非情のヴァンデルヴァーツ"の当主である私を姉と慕うような、可愛い妹と。
何にも邪魔されず、夏の爽やかな野原を、馬首を並べ、景色と会話を楽しみながら歩いていたかった。
でもそれは、演者の裁量の範囲外だ。
未来を、変えたくない。
私の我が儘で、変えてはいけない。
――あの子に幸福が訪れる、未来だけは。




