乗馬の下準備
「乗馬……ですか」
レティシアが、コンラートの言葉を繰り返す。
「はい。場所は王都郊外を予定しています。時期としてはもう少し先……初夏の頃になると思うのですが」
そこで彼は言葉を切った。
「【私とご一緒しませんか】」
「【もちろん、俺も参加していいんだろうな?】」
「【それでは、僕も同行させていただくとしましょう】」
――三者三様の【公式ゼリフ】。三択の【選択肢】。
王子、騎士団長、医師長のいずれかを選ぶことになる。
この選択肢で選ばれなかった者も一緒には行くが、向こうで起きるイベント……というか、メインの会話の相手と内容が変化する。
今回は、ゲーム的には選択肢を選ぶだけ。セリフはない。
流れからしても、今ここで誰かを選ぶような言葉を言う必要はないだろう。
ただ、普通にお誘いを承諾すれば、それで今日のお茶会は次のイベント導入という役目を終える。
レティシアが、ちらりと私を見た。
頷いて見せる。
妹は微笑んで、三人に向き直った。
「お姉様と一緒でしたら、喜んで」
……口実を付けて同行しようと、思っていた。
さすがに親同伴とかは過保護の域だが、私は姉だ。ねじ込めると思っていた。
何より、運命の筋書きはそうなっているのだから。
私はこの【乗馬イベント】に、悪役令嬢としての出番がある。
今日のお茶会は、ナレーションに近い繋ぎのワンシーン。
だから、物語の中の妹がなんと言って承諾したかは、描写されない。
……ただ、きっとこんな風ではなかっただろう。
「……アーデルハイド嬢は、それでよろしいですか?」
コンラートが、探るような視線を向けてきたので、頷いて見せた。
「ええ。第一王子主催、それもこの顔ぶれとなれば、断る方が失礼でしょう。後日、日時などを正式な招待状にして、送ってくださるかしら?」
「もちろんです」
コンラートにとっては、私がいない方が都合がいい……が、どうせ他のライバルもいるし、なにより『お姉様と一緒』が妹が出した『参加の条件』だ。
彼も、受け入れた方が話が早いと思ったのだろう。すんなりと話がまとまる。
とりあえず、イベントの予定は運命のシナリオ通りになり、ほっとした。
帰ったら、対策を練り直そう。
……それまでは……隣でお菓子とお茶を上品に頂きつつも時折顔をほころばせる様も可愛い妹を愛でても、許されるだろう。
お茶会から帰宅した夜、私は、自室の書き物机で肘をついて、手を組んで考え込んでいた。
目を閉じて、頭の中で【テキストログ】を辿り終える。
ぱち、と目を開けると、机に据え付けられた鏡の中の私が見返してきた。
【月光のリーベリウム】を知ってから、この鏡を見ながら『笑顔』を練習した。
【悪役令嬢】という、とても分かりやすい悪役として必須と考えた、悪い顔。
その練習の成果は、既に何度か妹相手に披露しているが、次は、一際気合いを入れねばなるまい。
――次の【乗馬イベント】は、重要だ。
なにしろ、私の出番が多い。むしろここが【悪役令嬢】のピークまである。
恋愛模様が本格的に進展していくのとは別に、物語のキーとなるアイテムが登場するイベントでもある。
まず、"冷徹非情のヴァンデルヴァーツ"の公爵家当主、アーデルハイド・フォン・ヴァンデルヴァーツ……つまり私は、王家主催の乗馬に姉妹揃って誘われる。
メンバーと人数からして、妹だけを誘いたかったのは間違いない。
若き王子、若き騎士団長、若き医師長――時代を担う同世代同士が、親睦を深めるという名目だ。
……みんな、若くて権力があって顔がいい。
【恋愛シミュレーションゲーム】という概念の把握には、今も少しばかり不安があるが、恋愛物に特有の都合の良さは世界を超えているらしく、そういう意味では安心できた。
まあそれはさておき。
私はレティシア・フォン・ヴァンデルヴァーツ――ヴァンデルヴァーツ家の至宝たる妹の馬に、自分の馬をぶつけて落馬させ、こう言い放つ。
【「あら、レティシア。私があれだけ教えてやったのに、馬の一つも満足に乗れないのね。農耕馬の世話をしている方がお似合いなのではなくて?」】
……言わなきゃダメかな。
ダメなんだろうな……。
しかし問題は『落馬』だ。
ここで妹は……怪我をすることになっている。
それはもちろん、大した怪我ではない。テキストではさらりと描写されているだけだし、応急手当が必要なら医師長案件だが、そういったイベントでもない。
とりあえず、落馬を甘く見るな! と、見えざる劇作家を罵りたくなる。
そしてさらに、私の台詞はこう。
足下の雑草の花を引きちぎり、放り投げる。
【「ほら、お薬ですわよ。あなたのような田舎娘にはお似合いですわ」】
これは嘘ではなく、実際、【ヤマイドメ】の名前で呼ばれる薬草だ。
生の葉をそのまま揉んで貼るだけでも打ち身や切り傷に効き、煎じて飲めば咳止めに鎮痛作用もある――というが、それは戦乱の時代、薬が足りなかった頃の話で、今では雑草扱いされることも多い。
平和になった現在、薬草は体系だって整理され始め、多くの種がその価値を見直されつつあるが、ヤマイドメはより効果の強い薬草が多く、あまり重要視されていない。
どこにでも生えることから、外で遊ぶ子供が軽い怪我をした時など、「ヤマイドメでも貼っとけ」と言われて親しまれたりしている。
一応は食べられるので、飢饉の際に非常食として扱われたこともある。
逆に、どこでも生えるということで畑の邪魔者扱いされてきた過去もあり、今では意外と見ない。
しかし後に、物語のキーとなるアイテムでもある。
ここでいじわるシーンで私に対する悪印象を稼ぎ、同時にいじわるに使われたアイテムとして伏線を張る……というシナリオだ。
「……うん。いじわるして、この草を印象づける……ここが大事なのよね?」
そして『落馬』。
「……演者の裁量の範囲内よね」
準備を進めることにした。
本格的な落馬は危険すぎる。
打ち所が悪ければ、普通に死ぬのだ。
頭の中で人員を選定する……のを、途中でやめた。
――情報というのは、どこから漏れるか分からない。
私は部下を信頼している。
生い立ちや趣味を含む、全員の個人情報を知っているし、裏切ることをためらわせる程度には弱みも握っていて、その上できちんと危険手当を含む報酬面で忠誠に報いている……つもりだ。
逆らう旨みがなく、従っていれば自分に利益をもたらしてくれる権力者。
……そうである限り、私はヴァンデルヴァーツ家の当主を名乗れる。
命令するのには、慣れている。
忠誠を買うに足る予算と、責任を負う覚悟さえあれば――人に命令を下すことは容易い。
その上で。
時には、当主自ら動く必要があるだろう。
頭の中で予定を組み立てていく。
少し先になるが、完全にオフの日を作る。そして、準備をする。
それでいい……はずだ。
それでも、だんだんと不安になる。
未来が、変わらないものかと。
ここにいるのは――ただの妄想に取り憑かれた女かもしれない。
もしかしたら手に入るかもしれなかった幸せを放り捨てて、ようやく出会えた、この世でたった一人の妹に、無意味な『いじわる』を重ねるだけの。
ただ、私は未来を知ってしまっていた。
腹違いの妹がいるとさえ知らなかった私の元へ妹がやってくるのを――私は誰に教えられることもなく、知っていたのだ。
あれは、妄想ではない。
ならば、私に許されるのは、未来を変えないように動くことだけ。
演者の裁量の範囲内で。
「……範囲内よね?」
たまに、自信がない。