肉のあるお茶会
小皿の肉を食べ終わったところで、私の視線に気がついたレティシアが少しうなだれる。
「……あ、私ばかり食べて……ごめんなさい」
「いえ……」
レティシアが、私の腕を掴んで、軽く引いた。
「行きましょう、お姉様」
「え、ちょっと。レティシア」
「フェリクス様、コンラート様。まだお肉、ありますよね?」
「ああ、まだまだあったぞ」
「十分な量を用意してあります」
話を向けられた二人は、揃って頷いた。
「ね? もうちょっと頂いていきましょう」
何を言えばいいのか、もうよく分からなかった。
……まあ、普通に考えれば、ホストが用意した料理を、ゲストが美味しそうに食べて悪いこともない。
ただ、コンラートがごく普通のラインナップで用意していればよかったのだ。
じろ、とさっきより目力を込めて睨むと、元凶であるコンラートは、つい、と目をそらした。
「……ええ、もう少し頂きましょうか。だから、引っ張るのはやめなさい」
「はい!」
後ろの男二人を見ると、目配せしてついてくる。
こいつらはレティシア狙いなのだ、当然だろう。
肉の並んだテーブルに向かうと、騎士達はひょいひょいと肉を自分の皿に載せて散っていく。
この危機管理能力はさすが、と言うべきか。
彼らがいなくなって気がついたが、なんと鉄製の調理台が置かれ、炭火が熾っている。
さっき食べたローストビーフのように、あらかじめ準備しておいたものばかりと思っていたら、シェフが目の前でステーキを焼いてくれるという趣向らしい。
なぜ、そこまでしたのか。
この王子様は、お茶会というものを、なんだと思っているのか。
……しかし、騎士団を……ライバルになり得る騎士団長を釘付けにして、レティシアから遠ざけるために気合いを入れたのだろう一画は、うちの妹の心を射止めたらしかった。
そういう意味では、歓迎は成功と言えなくもない。
目の前の鉄板で焼いてくれるステーキに心惹かれる様子を見せる妹は、しかし私の顔色を窺って、迷っているようだった。
貴族教育の効果を実感する。
『それは貴族らしい振る舞いか?』と自分に問い続けるのは、大事だ。
……でも、鉄板の方をちらちらと見るレティシアが、可愛くて。
「……二人分、焼いてくださるかしら」
気が付いた時には、老齢の男性シェフに声をかけていた。
「はい。焼き加減はいかがいたしましょうか?」
ちら、と隣のレティシアを見た。
助けを求める視線を向ける妹。
「レティシア。好みは?」
「えっと……さっきのお肉が柔らかくて美味しかったので、さっきみたいなのって、お願いできますか……?」
ふむ。
私はシェフに向き直った。
「彼女のはレアで。私はウェルダンで」
「かしこまりました」
一礼し、手際よく焼いていくシェフ。
私は、胸にヤモリの紋章を付けているのだ。相手が誰だかは分かるだろうに、まったく動じないのは賞賛に値する。
レティシアの分はすぐに焼き上がり、私の方はもう少し待つ。
焼き上がると、一口大に切り分けていく――これぐらいが丁度いいだろう、と思うサイズぴったりだ。
「どうぞ」
盛り付けのセンスもいい。
ゆっくりとよく噛んで味わうのは、毒味も兼ねている。強い毒は大抵、妙な味がするものだ。
今日は王城だし毒を盛られる心配はまずしなくていいが、習慣なので。
「お姉様は、よく焼いたお肉がお好きですか?」
「ええ、まあ……よく焼いた肉の方が安全性が高いというだけですが」
つまらない女だ。
肉の焼き加減一つ、好き嫌いで選べないなんて。
「あ、私も分かります、それ!」
明るい声に妹の方を見ると、ひときわ笑顔だった。
自分の意見に同意されると、距離が縮まる気がする。
うちの妹は、そういう小賢しいテクニックを使う娘ではないだろうが――
「多少鮮度が微妙でも、しっかり火を通したら、なんとかなりますよね!」
距離が開いた気がする。
曖昧に微笑むしかできない私に、レティシアが聞いた。
「一切れ頂いてもいいですか?」
「構いませんわ」
何かを期待するような妹の視線には、気づかなかった振りをする。
あーん、とかできない。
それは、貴族としては眉をひそめるような振る舞いだ。
個人的には憧れないでもない……が、そういうのは恋人同士でやるものだろう。
私の皿から取った一切れをよく噛んで飲み込んだレティシアが、微笑んだ。
「これが、お姉様がお好きな焼き加減なんですね。お姉様の好みを知れて、嬉しいです」
私、よく焼いた肉が好きだった気がしてきた。
必要だから、合理的だから――そんな風に選んだものが、レティシアと一緒にいると、自分が好きで選んだ物だった気がしてくる。
そこで、後ろから声をかけられた。
「あの、アーデルハイド・フォン・ヴァンデルヴァーツ様……」
聞き覚えのない声で、フルネーム呼び。
初対面向けの笑顔を作ると、そちらを振り向いた。
金の巻き髪が愛らしく、年若い彼女は、伯爵令嬢……だったか。
私の記憶が正しければ、彼女はこの冬に社交界デビューしたばかりの十四歳で、取り巻きかお友達かは分からないが、後ろにも令嬢方を引き連れている。
貴族教育の進み具合にもよるが、十六で成人する二、三年前にデビューするのが一般的だ。
私の社交界デビュー当時は、同性で同年代なら……と取り入りたい層のアプローチがあったものだ、と懐かしく思い返す。
今となっては、当主として最低限の挨拶をするのみだ。
「なにか?」
デビューしたてと知っているせいか、どこか初々しい風情の令嬢が、意を決したように口を開く。
「あの……! お茶会でお肉を焼いて頂くのって、貴族令嬢としてはどうなのでしょうか……!」
なんだ、嫌味か? と思ったが。
喧嘩を売る気なら、とりあえず二度とそういう気が起きない程度に、貴族社会の厳しさを教えてやろうか、と思ったが。
どうも、そういう雰囲気ではない。
ああ、なるほど……と察する。
緊張からか、ふるふると震える令嬢に、私は対外向けの笑顔を浮かべた。
「何の遠慮も必要ありませんわ。ホストの方が用意してくださったものよ。変わった趣向ですが、第一王子殿下直々のご指示だとか。私と妹も頂きました」
さりげなく、問題が起きた時の火消し役は王子に押しつけつつ、彼女達が望んでいるだろう言葉を与えた。
「あっ……ありがとうございます!」
彼女は優雅にスカートの裾をつまんでお辞儀をして、お礼を言うと、後ろの令嬢方と合流した。
そして、「アーデルハイド様がいいって!」「本当!?」「わたくし、こんなふうに目の前で焼いてもらうのって初めてなの」「みんな初めてではなくて?」「だってお茶会でお肉だなんて」「なんだか悪いことしてるみたいね」と、きゃいきゃいした様子を微笑ましく見守る。
私にもあんな頃があったろうか……いや、なかった気もするな……と、ふと遠い目になる。
立食形式のお茶会の一画にがっつりした肉ゾーンが用意されているという、貴族令嬢として受けたマナー教育のエアポケットのような特殊な事態に対して、何かの罠かと不安だったのだろう。
――たまにあるのだ。招いておいて、わざと食べにくいものを出したり、ご丁寧にわざわざ調べたゲストの嫌いなものを出したり。
私も一度、ディナーナイフをテーブルに突き立てて、席を立ったことがある。
ちょうど、さっきの令嬢達と同じぐらいの年頃だったろうか。
夕食会に一緒に出席した母は病弱で、いくつか食べられない食材があるので、それをやんわりと指摘したら嫌味を言われたのだ。
私は格下の家に侮られるのを黙って受け入れるほど大人しくないし、なにより、母への侮辱を許せるほど人間が出来ていなかった。
ただ、その対応が正しかったのかとは思った。
貴族社会の力学は複雑怪奇だ。経験の浅い私が、感情に任せて席を蹴って、本当によかったのかと、不安だった。
そんな私に、お父様は一言、「よくやった」と言ってくれたっけ。
その後、うちの領地がちょっぴり増えた。
領地の収支決算報告に記された、その地名を目にする度にふと思い出す、家族の思い出だ。
老シェフの前に令嬢達が並ぶのを見て、ひそひそ声が起こりかけ――私と視線がぶつかった瞬間、一瞬で収まった。
念のため、会場をざっと見渡して、ぶつかった視線を叩き落としておく。
ようやく、大抵の面倒事を小指でひねり潰せるだけの権力を手に入れたのだ。
もちろん、シエルにはその『力』の使い方と、必要な覚悟について教えられた。
だから、つまらない使い方をするつもりはなかったが、まだ純真なところのある令嬢達の粗を探そうという、よりつまらない手合いを睨むぐらいは、シエルだって大目に見てくれるだろう。
もし何かあれば、それは、王子と騎士団長が悪い。