【春のお茶会】
私とレティシアが馬車を降りると、整列した王城付きの衛兵達に出迎えられた。
「――ユースタシアの王城へようこそ! アーデルハイド・フォン・ヴァンデルヴァーツ様、レティシア・フォン・ヴァンデルヴァーツ様!」
心なしか、出迎えの態度が温かい。
今までは、私を出迎える時は緊張し……どこか怯えた様子だったものだが。
「出迎えに礼を」
「いつもありがとうございます!」
手を振るレティシアの笑顔を向けられた衛兵達の頬が緩む。
まあ、うちの妹は可愛いから。
責任の重い職務における、ささやかな潤いにするぐらいは許してやってもいい。
案内役の侍従に引き継がれ、明かり取りの窓はあるが、天井が高いせいで薄暗い王城の中を歩いて行く。
その内に、話し声に笑い声……賑やかな喧噪が聞こえはじめる。
視界が開けて、明るくなった。
ここは、王城の中庭だ。
芝生の上に、白いテーブルクロスのかけられた机が並び、その上にはお茶のポットや軽食。多くの人がゆったりと歓談している。
一応名目はお茶会だが、要は社交の場だ。
冬の間は、どうしても社交の場が少なくなる。寒いし、道も悪い。急を要さないものは開かれなくなり、必然的に縁が薄くなる家がある。
やはり社交のシーズンは春から秋にかけてだろう。
その始まりに、春の訪れを祝う――という名目で、親交を温め直すのだ。
うちのレティシアは可愛いが、まだ、本格的な社交の場に出すのは不安が残る。
なので、立食形式で内容も緩い、こういう場は丁度いい――というのは、やはり、物語上の名目で。
「【ようこそ、アーデルハイド・フォン・ヴァンデルヴァーツ。レティシア嬢】」
実態は、立場が異なる【攻略対象】達を集めるためのイベントだったりする。
今日は王家主催のお茶会で、ホストは第一王子、コンラート・フォン・ユースタシア殿下。
目の前で微笑む、淡いくしゃっとした金髪に緑の目をした王子様で、三人いる【攻略対象】の一人だ。
レティシアと初めて出会った【承認の儀】の時に着ていた白の礼装とは違うが、ボンボンらしいベージュの貴族服を着ている彼は、まあ公平に見れば顔がいい。
立場も、いずれ大陸の中で最も力のある、ユースタシア国王になる身。
公平に見て、優良物件というやつだ。
ただ、私はこいつに『公平』に接する気はさらさらないし、こいつも私に対してだいたい同じことを思っているはずだ。
「この度は、お招きに預かりまして」
仲が悪いので、お互いに社交辞令で済ませる。
奴は【公式ゼリフ】だが、多分、立場がなければ私の名前など呼ばなかったことだろう。
現に、私がなかなか見る機会のない笑顔は、レティシアに向けられていた。
「コンラート様。この度はお招きありがとうございます。……こういった場は初めてなんです」
はにかむレティシアは可愛い。
このイベントは、正確には前座なので、彼女の【公式ゼリフ】はない。
簡単に状況が説明され、【攻略対象】達が入れ替わり立ち替わり現れるだけだ。
そういう意味では、運命の筋書きが変わらないかと怯える度合いが少ないので、少し気が楽だったりする。
「レティシア嬢の社交デビューの場が、王家主催のお茶会とは光栄です。ぜひ私にエスコートを――」
コンラートが手を差し出そうとしたところで、野太い声が聞こえた。
「【レティシア! お前も来ていたのか。場が華やぐようだな】」
おや、【公式ゼリフ】に、一段好感度が高いことを示す【場が華やぐようだな】という言葉が入っている。
なにより、声色が明るくて浮かれている。
太陽にさらされて色褪せた岩を思わせる金髪は獅子のたてがみのよう。西方の血が入っているという噂の濃い褐色の肌。光が当たると金に光る薄茶色の瞳は自信にあふれ、その自信を裏付けるように、全身の筋肉は鍛え抜かれ、無駄がない。
彼は、フェリクス・フォン・リッター。一代限りだが貴族でもある上級騎士――その頂点たる、ユースタシア王国が誇る"ユースタシア騎士団"騎士団長。コンラートと同じく、三人いる【攻略対象】の一人。
今はワインのように濃い赤の貴族服を、前を大きく開けて着ている。
ベストも着ているのだが、筋肉がつきすぎてシャツともども胸筋に押し上げられ、上品な格好のはずが、野趣にあふれていた。
「おう、アーデルハイド。お前も来ていたのか」
ご挨拶だ。
どうせ、妹しか見えていなかったのだろう。恋は盲目、というやつか。
まあ、私はこいつに紳士的な対応など期待していないので、特に問題はない。
それはそれとして、シャツの首元がはだけられているのは、昼の軽いものとはいえ、一応正式な社交の場のマナーとしてはいただけなかった。
軽く忠告する。
「フェリクス。首元のボタンぐらい留めなさいな」
「ああ、これな。留まらんのだ。首が太すぎるらしい」
なんと。
確かに、首の太さは、私の倍……いや、三倍はありそうだった。
「騎士爵に恥じぬよう……と、仕立屋に相談したこともあったが、無理に収めても不格好ということでな」
確かに、きっちり着込んだ上品なフェリクスを想像してみたが、それはそれで、なんだか気持ち悪かった。
「そもそも偉くならねばこんな服を着る機会はないし、偉くなれば、多少着崩しても目こぼしされるとアドバイスされてな」
「……いやまあ、微妙に否定できませんけども」
彼は、この国の武の象徴なのだ。
貴族社会では浮いて見えても、まあ、仕方ないと言えなくもない。
「レティシア。この肉が美味かったぞ」
フェリクスが示した皿の上には、確かにしっとりと美味しそうなローストビーフが載っていた。
私はいつも、今後の展開はだいたいこんな風になるだろう、という予測を立てて動いている。
その予測は、妹のこと以外は、かなり正確だと自負している。
しかし、予想外の出来事に私は一瞬固まった。
……肉?
「……お茶会、と聞いていたのだけど」
コンラートをじろりと見る。
彼は、内面の嫌味さを覆い隠したような、王子らしい、にこやかな笑みを浮かべて流した。
「お茶会に軽食があるのは普通のことですよ」
「がっつり肉なんですけども」
「騎士団の方の希望をお聞きしたら、そこの騎士団長殿が『肉だ。何をさておいても肉だ』と言っていましたので」
「なんで採用しましたの」
思わず、あきれ声が出た。
「ホストとして、ゲストの皆様に満足していただこうと思いまして」
「いや、もうあの一画だけ空気が違うじゃありませんの……」
ユースタシアが誇る王国騎士団の騎士達は、貴族の相手を団長に任せ、一心不乱に肉を貪っている。
気圧された貴族達は、彼らを遠巻きにしていた。
あの一画には多分、『軽食』の中でも一際がっつりしたものが並べられているのだろう。
肉に群がる騎士達からちょっと離れた所にいた、茶色い髪を短くした女性騎士と、目が合う。
――確か、乗馬のために赴いた郊外の馬場に併設された食堂でも、彼女に同じ視線を向けられた。
たすけて、と。
なんとかして、と。
あの時は見捨てたが。
私は優雅に微笑んで、見つからないように気をつけながら、軽くフェリクスの脚を蹴った。
「ん? なんだ、アーデルハイド。お前も肉が食いたいのか」
「フェリクス。可愛い団員の方が助けを求めていらっしゃいますわよ?」
フェリクスが私が示した方を見る。
「ん? ああ、あいつは騎士団に相応しい品格とやらを説くからな。評判を気にしてるんだろう」
ほう。
騎士団長に対して、そういう『当たり前のこと』を進言してくれる部下がいたのか。
「それは大事になさいな」
「もちろんだ」
しっかりと頷く彼を、ちょっと見直した。
「それでだな。レティシア。お前のために美味そうな肉を取り分けてきたんだ」
見直したのを取り消した。
仮にもお茶会で令嬢に勧めるのが、肉か……。
「わあ! ありがとうございます、フェリクス様!」
しかしレティシアには刺さったようだ。
……よく見ると、ローストビーフは小皿に丁寧に盛られている。
話しかける前にそこらの長テーブルに置いたらしい、自分用とおぼしき大皿には肉が適当に山盛りにされているので、彼なりに気を利かせたらしい。
気の利かせ方が間違っているような気もするが、相手が喜んでいるのだから……正しいのだろうか。
レティシアが小皿と一緒に渡されたフォークで、薄切りにされた肉を頬張る。
そういえば、お茶会に招かれているということで昼食が軽めだった。
妹は目を閉じて味わっていたが、顔をほころばせると、目を開ける。
「ほんとだ、美味しいですね」
「――だろう?」
フェリクスが、笑みを深くした。
……その笑顔を見せるのは、きっと妹に対してだけ。
「お姉様もいかがですか?」
「え?」
妹が笑顔になって、私にフォークに突き刺した薄切り肉を差し出す。
表面は焼き色が付き、内側は赤い。実にいい焼き加減に見える……が。
「どうぞ」
私達姉妹は常に注目されているのが、分かっているのだろうか。
私は、アーデルハイド・フォン・ヴァンデルヴァーツ。悪名高い公爵家の当主であり、一挙一動に気を抜けない。
ダンスの先生には、常に人の視線を意識しろと教えられた。
指の先まで、美しさを表現せよ、と。
人に――世界に、自分がどう見えているかを意識し、天より降りる糸に吊られているように背筋を伸ばし、凜としてあれと。
まるで操り人形だ、と思ったが、そういうことなら私の得意分野だ。
自分で自分を操ればいいのだ。
意思などない。それでいい。
義務と忠誠を。当主としての役割を果たせば、それでいい。
――『役割』を果たせない私に、価値なんてない。
「レティシア」
キリッとした顔を作ってレティシアを見ると、彼女は頷いた。
分かってくれたか。
と思ったのは一瞬。妹は、さらに肉を私の口元に近づけてきた。
「はい、どうぞ」
そうじゃない。
どうぞ、じゃない。
私の妹は、なんでこんなに腰が強いのか。
それとも、"裏町"ではこれが普通なのだろうか。
ヴァンデルヴァーツ家当主に、なにかと噂の公爵令嬢。第一王子に騎士団長とくれば、注目の的なのに。
ため息をついた。
それまで笑顔だったレティシアが、不安げな顔になる。
……気がついた時には、私は彼女の差し出す肉に食いついていた。
正直に言って、公爵家当主の振る舞いとしてはどうなのかと思うが、妹の表情が明るくなったので……よしとしよう。
「お姉様。美味しいですか?」
「……ん。いけますわね」
飲み込んでから答えると、妹はさっきよりも明るい笑顔になった。
あー、うちの妹は可愛いなー。大陸一、いや、世界一可愛い。
……彼女は、人の目を――世界の目を――意識したことがあるだろうか。
肉を幸せそうに口に運ぶレティシアを見ていると、全てが上手くいくような気がしてくるから、不思議だ。