春の予感に心を躍らせる貴族令嬢らしい振る舞い
ユースタシアの冬の終わりは、雨の訪れと共にやってくる。
長い冬の間は、ほとんど雨は降らない。全て雪になってしまうから。
雨が庭の雪をすっかり溶かし、その雨も良い天気で乾いて、春の訪れを予感させる陽気の中。
我が愛しの妹、ヴァンデルヴァーツ家の爵位継承権第一位を持つ公爵令嬢殿は、庭の片隅で、大の字になって寝ていた。
私も、春めいてきた空気に誘われて、庭に出てきた口だ。
だから、妹の気持ちが分からないではない。
しげしげと眺める。
目を閉じて、口元を緩ませて。
冬によって色あせ、そして春によって色づきはじめた芝生の上に、全身を投げ出すようにして太陽の光を浴びているレティシアは、可愛い。
ただ、公爵令嬢の振る舞いとしては、さすがにどうかと思う。
「――んんっ」
わざとらしい咳払いをすると、レティシアがぱちりと目を開けた。
「……え? アーデルハイドお姉様? やだ、恥ずかしい」
よかった。
恥ずかしいと思ってくれてよかった。
レティシアが飛び起きて、ぱたぱたと身体についた枯れ草をはたく。
私の銀髪とは対照的な金髪にくっついた草も、手で払い、指ですくようにして落とした。
その動作は手慣れていて、どう見ても、人生で初めて芝生に寝転んでみましたー、という風情ではない。
しかし、そこは追及しないことにする。
だが、公爵家当主として言わねばならないこともある。
「レティシア。言うまでもありませんが、常に『公爵令嬢らしい振る舞い』を心がけるように」
「はい……」
妹がしゅんとする。
抱きしめて、「次から気をつければいいのよ」と慰めたい。
……いっそ、人払いしてから、一緒に寝たい。
ただ、それは『悪役令嬢らしい振る舞い』ではないだろう。
この世界は、物語の舞台。
恋愛シミュレーションゲーム、【月光のリーベリウム】のストーリーは、おおむねシナリオ通りに進んでいる。
ならば、私が妹と仲良くなるような行動は……してはいけない。
私は、小悪党として嫌われるべきだ。
ただ、それはそれとして、やりすぎもよくない。
追い詰めすぎて、いきなり行方をくらまされたりしても面倒だ。
今の時点で【攻略対象】に泣きつかれたりしても、やはり面倒なことになる。
少なくとも、シナリオには無理が出る。
「春の予感に浮かれ、大の字になって寝転ぶなど。公爵家でなくとも、貴族令嬢として言語道断です」
なので、ねちねちと嫌みったらしく、底の浅い意地悪をすることに努める。
私はそういう妹が好きだが、世の全てが私のようではないのだ。
神妙な顔をして聞いていたレティシアが、一つ頷いてから、口を開く。
「……では、『春の予感に心を躍らせる貴族令嬢らしい振る舞い』とは、どのようなものか、お姉様が教えてくださいますか?」
「え?」
斜め上の質問が来た。
シナリオに無理が出る予感しかない。
必死に考える。
たすけてシエル。――いや、がんばれ私の頭脳。
「……自然の中を散策したり、花壇の花を愛でたり、野の花を摘んだり……でしょうか」
幸い、シエルに鍛えられた私の頭脳は、大半の貴族家当主が一生直面しなさそうな質問に対しても、それらしい答えをひねり出すことができた。
「分かりました」
神妙な顔を崩さず頷くレティシア。
分かってくれたか、とほっとする。
そして、一転して花が咲いたような笑顔になると、私の腕に、自分の胸を押しつけるようにして、身体ごと腕を絡めてきた。
さっき、何を分かったのか。
「……これは、何の真似ですの?」
「庭ですけど、散策して花を愛でたりしましょう。貴族令嬢らしく」
がんばれ私の頭脳。
しかし、今度は言葉を見つけられなかった。
次に来たのは言葉ではなく、ぐい、と腕を引かれる。
私の妹は、押しが強い。
「……次の『お茶会』は、ちゃんとするんですのよ」
王家主催の『お茶会』。
次の【イベント】……の導入だ。
「はい、お姉様。そのためにもぜひ、貴族令嬢らしい振る舞いを、この不肖の妹に叩き込んでくださいませ」
物は言いよう、という言葉が頭をよぎる。
なんでこんなに押しが強いのかな。
"裏町"育ちのせいか。
でも、私も"冷徹非情のヴァンデルヴァーツ"の当主として、押しは強い方だと思っていた。
しかしそれは、この立場にひるみ、怯え、意識する相手限定だったらしい。
腹違いの妹が見つかってからというもの、自信をなくす一方だ。
レティシアが、足を止めた。
腕を組まれたままの私も、一緒に足を止める。
「あれ、こんな所にベンチがあったんですね?」
視線の先には、木製のベンチがあった。
板に歪みも反りもない、しっかりした物。脚や肘掛け、金具の鉄製部分には蔦の彫刻がほどこされ、鳥の像が据えられた、手が凝った上等な品だ。
「ああ……冬の間は物置にでもしまっていたんでしょう。雪が積もる時期に庭に置いていても、意味がないから」
「なるほど」
妹が頷く。
そして、ちら、とこちらを見た。
「……座ってもいいですか? 貴族令嬢的には」
「ええ」
妹が私の腕から手を放し、いそいそとベンチに向かう。
……少しだけ、ベンチを叩き壊してやりたくなった。
いや、ベンチに罪はない。
しかし、庭に置かれた何の変哲もないベンチに座るだけのことを楽しめる彼女の心根の純粋さが、胸に刺さる。
「お姉様。どうされたんですか?」
「いえ、別に……」
ベンチに妹を取られた気がする、とか言えない。
……言ったらレティシアはどんな顔をするやら。
ぽかんとするか、それとも笑うか。
レティシアが、自分の隣をぽんぽんと手で叩いて示した。
なんだ、その動作は。
表情は変えなかったつもりだが、怪訝さは滲み出ていたのか、妹はにこりとして、謎の動作の意図を説明した。
「一緒に腰かけましょう」
一瞬で、選択を迫られる。
いや、それは……どうなのだ?
貴族令嬢らしいか? ――これは問題ない。
姉妹で二人一緒にベンチに腰かけるだけのことだ。
シナリオに影響が出るか? ――出る気はする。
ただ、大した影響じゃない気もする。だんだん、そんな気もしてきた。
――決断に時間をかけてはいけない時も、ある。
意を決して、私はレティシアの隣に、精一杯の優雅さを保って腰かけた。
妹が、ちょっと腰を浮かせる。
近すぎたか……と思ったのは一瞬。
もっと距離を詰めて、それこそ膝と膝が触れあうほどの、隣にやってきた。
そして肩と肩を触れあわせるように、すり……と寄ってくる。
私は、ギシ、と固まった。
だから、なぜ、距離を詰める。
しかし、私が【月光のリーベリウム】におけるお邪魔虫、『悪役令嬢』であり、妹が『主人公』であることを除けば、まったく問題ないので、強く言えない。
だが、隣に寄り添うように座るばかりか、私の肩に頭を預けてくるのは看過しがたい。
「レティシア……」
口を開きながら隣に座る彼女を見ると、思っていたよりもぐっと近い距離で目と目が合った。
どきり、として言葉を失うと、にこり、と微笑まれる。
「お姉様の隣は……安心します」
私は今、何を言おうとしたのか。
頭が真っ白になって、全部飛んだ。
レティシアが目を閉じて、私も口を閉じる。
そうしている内に、ふっ、とレティシアの全身から力が抜ける。
寝てしまったらしい。
なぜ、この状況で、眠れるのだ。
いつもは気を張っているのだろう――と、一瞬ほほえましい気持ちになった。
そして、意地悪な姉である私の前でこそ気を張るべきでは? と、一瞬でとげとげしい気持ちになる。
常日頃、厳しくしている。つもりだ。
意地悪もしている。はずだ。
はずなのだが。
ちゃんとシナリオ通り、意地悪イベントをしているはずなのに。
「……人の気も知らないで」
ぽつりと呟く。
そこから先の言葉は、飲み込んだ。
口に出してはいけない気持ちも、ある。
……次のイベントでは、私は妹に意地悪をすることに『なっている』。
だから、まあ。
ちょっとぐらい。
『主人公』には、休息が必要なんじゃないかって。
『悪役令嬢』も、英気を養ってもいいんじゃないかって。
思うのだ。
――その後、完全に起こすタイミングを逃し、すやすやとよく眠るレティシアに肩を貸しているのを、見回りに来たらしいシエルに見られた。
目と目で会話し、助けを求める。
彼女はいつものすまし顔のまま、表情を変えず頷いた。
頼もしい。
さすがヴァンデルヴァーツ家のメイド長にして、当主補佐だ。
しかし、なぜかその場を離れる。
すぐに戻ってきたシエルは、やはりなぜか、ひざかけを持ってきた。
そして私とレティシアの膝の上にふわりと優雅な動作でひざかけをかける。
必死に目で訴えかけるが、シエルは「全て分かっております」とでも言いたげにほんの少し微笑んで頭を下げると、踵を返した。
違う。そうじゃない。