"仕立屋"
妹の私に対する好感度を、大きくマイナスさせただろう『お出迎え』のイベントをこなした後、次の【公式イベント】までは、少し時間が空く。
彼女は貴族として、"ヴァンデルヴァーツ"の家名を名乗ることになる。
……が、それには正式な承認が必要だ。
それも、当事者であるヴァンデルヴァーツ家の当主によるものではない――より上位の存在、つまり、国王陛下の承認が。
ユースタシア王国における貴族とは、正式には、国王による承認を経て就任する特権的な地位なのだ。
逆に言えば、陛下の承認さえあれば、レティシアのような身元が不確かな少女でも貴族になれる。
とは言え、通常は仰々しい儀式による承認などは行われず、書類だけで済ませられる処理だ。
貴族家に新しい人間が増えるというのは、つまり出産や婚姻によるもの……誰の目にも明らかな正統さを持つものだから。
しかし、例外がある。
それが、今回のような特殊な事例……つまり『腹違いの家族がいた』場合だ。
そういう話が、ないではない。
むしろ、よく聞く。
当主までいくと、大抵は節度――少なくとも上客向けに口が固く信頼のおける『そういう店』を利用するぐらいの頭――を持ち合わせるので、少ないが。
……若い内の火遊びと思っているのか、良家の子女が孕ませたり孕ませられたりといった事例は、そこそこある。
年に数回は公に聞くし、私のような立場では、その倍は聞く。
きちんと手切れ金や養育費の話が進み、上手く隠せている件もあるだろうことを思えば、多分もっとある。
ただ、その子供達が"貴族"と認められることはない。
比較的円満に事が片付けば、手切れ金や養育費などは、まず支払われる。
合意の上ではなく、乱暴された場合では、相手の処刑もある。法的には庶民でも同じだが、貴族ともなれば、資金力が違う。
どこへ逃げようと、どこへ隠れようと、草の根分けても探し出し、法の名の下にしかるべき制裁を――ヴァンデルヴァーツ家には、時々そういう依頼が来る。
案件の性質上、どうしても胸糞は悪いが、払いはいいし、何より、少しだけ正義の側に立っているような気分にもなれる。
事情は様々だが、共通しているのは、生まれた子供が貴族として相応しいと認められるのは難しい、ということだ。
そんな火遊びを、良識のある大人達……特権階級たる貴族が、鎮火はしても、油を注ぐなど、まずない。
少なくとも、当主の承認が必要なのだから。
……正式に迎え入れる手続きも踏まないで、子作りまで致した若者達を認めるかと言うと……国王の承認だけで貴族になれる、この規定が使われた回数が少ないのも当然だ。
たまに、子供可愛さに目が眩むことはあるようだが、それはそれで個人的に囲えばいいだけの話。
認知はして、生活費も援助して、時には一緒に住んで……とすればいいだけの話。貴族としての責任も負わなくてよいのだから、単純な幸せを願うならそちらの方が、よほど楽なのだ。
……父がそうしてくれていれば、私とレティシアは、複雑な事情ながらも幼い頃から姉妹として過ごせていたのだろうか。
それでも、貴族とは支配者階級だ。
相応の義務も担っているが、数々の特権を持つ。
そして、特権とは一握りの人間が有するから特権なのだ。
なので、この規定が使われることは、本当に少ない。
……初めて知った時は、現代で使われることがあるのだろうか? とさえ思った、古い規定。
まるで、レティシアを迎え入れるためだけに存在しているかのような。
まあ何はともあれ、当主の私が反対するはずもなし。
証明のしようはないが、半分は貴族の血を引いていることも、後押しになる。
申請は、通るだろう。
ただ、準備が必要だ。
儀式とは言え――いや、儀式なればこそ、格式が必要となる。
あんなボロ着で王の前に出せるはずもない。
それに普段着も必要だ。
「はじめまして、レティシア様……"仕立屋"と申します……」
「ええと、お姉様……この方は?」
「名乗ったでしょう。仕立屋ですわ」
だから、お抱えの仕立屋を屋敷に呼んだ。
応接室で、レティシアと引き合わせている。
彼女も【月光のリーベリウム】に登場するキャラクターだ。
主人公の普段着やドレスなどを仕立ててくれる他に、【着替えアイテム】? とやらを売ってくれるらしい。
【円】というのがよく分からないが、多分、通貨単位だろう。
自分が絡まず、さらに本筋にも関わらないゲーム部分は、よく分かっていない。
でも、チェスボードや駒の素材、トランプの絵やサイコロの振り心地にこだわる趣味人はいるから、多分その類だろう。
「仕立屋? テーラーって……」
「他国人ですので……」
猫背気味の背をさらに丸めるように、ぺこりと頭を下げる"仕立屋"。
細身で長身。それに仕立屋の常で猫背。薄い青の瞳は死んでいて黒に近い暗さ。目を半ば隠すように垂れた緑の黒髪は、東国で採れて、乾燥させたものが我が国にも輸入されている海藻を思い出させる。
客に対して黒子に徹するという仕立屋の意思表示でもある、シンプルな白い長袖シャツに、黒いベスト。ズボンも黒で、折り目も美しく、何よりひきつれのなさと、縫い目が素晴らしい。
ネクタイも手縫いで、これも黒だが、艶やかで色合いが少し違う。
仕立屋は、仕事着を自分で縫う事が多い。そして、それを腕の証明とするのだ。
彼女は、腕だけで判断するなら、最上に属する仕立屋だ。
腕だけで判断するなら。
「それで……ご注文とのことで参りましたが……」
おずおずと私の顔色を窺う"仕立屋"。
彼女は王都に店を構えているが、それも私の出資。貴族家への注文は、ヴァンデルヴァーツ家を通したものに限定させている。
腕のいい職人を支援し、保護し、独占するのは、貴族のたしなみ……だが、それだけでもない。
彼女の性質上、それがいいと判断した。
彼女が今の生活を続けるためには、私が……"冷徹非情のヴァンデルヴァーツ"が、必要なのだ。
つまり、彼女は私に逆らえない。
「腹違いの妹が見つかりました。正式な発表があるまで、他言は無用です」
だから、隠すこともなく、端的に事実だけを述べていく。
職人らしく、世間のゴシップなどには興味がないタチだ。
「は……」
「それで――このボロを着ているのを、許せますか?」
彼女の薄い青の瞳に、幽鬼のような光が宿った。
「許せませんねえ……」
たとえ気持ちがこもっていても、貴族が着るべき服ではない。
「まずは普段着を何着か」
「はい」
彼女はするりとベストのサイドポケットから手帳を出し、胸ポケットに差していたペンを抜き、メモしていく。
「その後、陛下へ謁見する際のドレスを一着」
「はい……!」
顔を輝かせる"仕立屋"。
「ひとまずはそれだけですわ」
「はい……」
意気消沈する"仕立屋"。
「……出来次第では、今後も妹の服を頼むつもりですわ。まずは、目の前の仕事を仕上げなさい」
「はい……!!」
彼女の顔に生気が戻る。
良くも悪くも、職人なのだ。
今後も、妹の服を頼む予定なのは本当だ。
まだまだ先の話だが【最後の舞踏会】のドレスも、いずれ用意せねば。
その時、私が着るドレスも、きっと彼女の仕立てだろう。