病み上がりの妹
レティシアは、二日間寝込んだ。
一日目は、お風呂から出て、なるべく素っ気なく見えるようにメイド達に放り投げて後を任せた。
二日目は、そばについてはいたが、お風呂はシエルに任せた。
公爵家令嬢たるもの、使用人に頼り切るようなことがあってはならない。
しかし、公爵家の上級使用人ともなれば、下手な貴族よりも立ち居振る舞いに優れ、信用度も高い。うちのシエルのことだが。
そして、三日目の今日。
朝食の席に現れたレティシアの姿を見るに、風邪は無事に治ったようだった。
食事の回数や量が少なかったために、少し頬の張りがなくなって、やつれているだろうか。
けれど、寝込んでいた時の顔色の悪さや、しんどそうな表情はなく、私と目が合うと、微笑んでみせた。
「ふん、ようやく治りましたのね」
その笑顔が見えなかったかのように、なるべくいやみったらしく言う。
もちろん心の内では、「あー治ってよかったー!」と、盛大に胸を撫で下ろしている。
運命は彼女の味方だが、私は、舞台が筋書き通りに上手くいかない場合もあるということを、よく知っているのだ。
何がどんな風に転んでも、おかしくなかった。
家族の体調が悪い時は、何をしていても、心のどこかに不安が残る。
母も、そうだった。
もう私の肉親は、レティシアしかいない。
そして妹がしんどそうにしているのは、『お姉ちゃん』としては……しんどい。
ことに、いい姉とはとても呼べない『悪役令嬢』である私にとっては。
自分が、責められているような気がするから。
運命と共犯になって、妹をいじめている自分が、恥ずべき犯罪者に思えるから。
そして、こんな立場にいながら、それでも責められれば人並みに傷付く柔な心が、情けなくなる、から。
「ありがとう、お姉ちゃ――」
「お姉様、と呼びなさい」
ぴしゃりとやる。
「体調不良など、自己管理がなっていない証拠ですわ」
これは半分正解で、半分間違いだ。
防げる体調不良はある。
同情されるような生活を送っていない場合、体調不良は責められるべきだ。
けれど、誰だって体調を崩すことはある。
体質は人それぞれ。――運の良さも。
……ことに、今回は運命によって定められた『風邪』なのだ。
他の誰が責めても、私だけは責めないような、そんな仕方のないことだ。
「二度と、そんなみっともないザマを見せないで欲しいものですわね?」
それでも、私は表向きにはこう言う。
そんな風に、言わなくてはいけない。
「……はい、お姉様」
席に着きながら、妹はそう言って頭を下げた。
当たり前と言えば当たり前だが、話すセリフの中で、定められた【公式ゼリフ】の割合が意外と少ないので、言葉選びには気を遣う。
小説や戯曲で目にしたら「うわ、こいつ、いやみったらしい……!」と、主人公を応援したくなるような悪役を参考にしているのだけど、これでいいのだろうか。
そんな風に迷ってばかりだったが、給仕の新人メイドが耐えかねたように呟いた内容に安心する。
「冬に暖炉もない、あんな部屋に押し込めておいて……」
私もそう思う。
もっと言って。
……とはいえ、新人というのを差し引いても、雇用主への態度として褒められたものではない。
使用人同士の陰口ぐらいなら、あまり外へ漏れなければ大目に見るが、聞こえるように言うのはメイド失格だ。
「そこのあなた? ――言いたいことがあるなら、聞こえるように言いなさい。……職を賭して、ね」
にいっ……と口の端を上げてみせる。
それを見た新人メイドは、青ざめて黙り込んだ。
自分が思わず言った一言が、どれほど軽率だったか理解したらしい。
もう少し悪役らしく振る舞おうと口を開いた瞬間、レティシアが立ち上がった。
彼女を、庇おうというのか。
うん、うちの妹は優しいなあ。
意地の悪い、使用人からも嫌われている現当主と、使用人からの信頼も厚い次期当主――うんうん、なかなかいい構図ではないだろうか。
私に忠実なシエルもこの場にはいないし、こういう細かな積み重ねがきっと大事なのだ。
妹に、内心の期待を悟られないように、なるべく冷たい目を向けた。
さあ、言ってやって、レティシア!
「お姉様は、付きっきりで看病してくれました! 悪く言うのはよしてください!」
待って、レティシア。
庇うのはあっち。あっちだから。
新人メイドが、うろたえながらも私と妹を交互に見ながら、反論を口にする。
「で、でも……お嬢様は二日も寝込まれて……」
そうそう。
内心で頷きながら、新人メイドを応援する。
「"裏町"で風邪を引いた時は、三日間、水だけで寝て過ごしたこともあります! むしろ治りが早い方ですよ」
……私は、彼女が"裏町"で、どんな生活を送っていたか知らないが。
三日間、水だけで、薬なしで、栄養のある食事もなしで治せる生命力は……普通なのだろうか?
運命の加護のようなものがあるのかもしれないが、むしろ野生動物じみた生命力と、治し方だった。
「あのようなお部屋で……」
「王宮へ連絡して、医師長まで呼んでくださったんですよ?」
口を挟むタイミングが分からず、固唾を呑んで成り行きを見守る。
他のメイド達も同様だった。
「いつも辛く当たられ……て?」
「お姉様はいつも私のことを考えてくださっています。風邪を引いた私の着替えを手伝ってくれて、汗を拭いてくれて、お風呂まで手を取ってくれて、髪を洗ってくれて、身体を拭いてくれて、薬を湯冷ましのお水に溶いてくれて、スープを吹いて冷まして飲ませてくれて……」
「……レティシア」
おかしい。
シエルに命じて、記憶が混濁するタイプの風邪――にも効く――薬を処方した……はず。
なぜ、そんなに詳細に覚えているのだ。
「はい、お姉様」
内心で、当初の予定から、だいぶ方向性がズレたような気がしつつ、これ以上、看病の様子を克明に語られてはたまらない。
私が幼少期に風邪を引いた時、シエルにしてもらったようにしたのだけど。
思い返すと、子供向けだったかもしれない。
……ふと、今の私が風邪を引いたら、シエルと妹はどんな風に接してくれるかと気になった。
「そのへんになさい。この私にあんな真似、もう二度とさせないように」
「はい、身体に気を付けろってことですね!」
前向き。
実際、そういう意味を込めたんだけども。
……こんな前向きな妹に意地悪なんて効果があるんだろうか……。
私も一般的な貴族令嬢と比較したら、ハードな人生を送ってきているとは思う。
でも、妹に比べれば、私の苦労など物の数にも入らないのではないか、と感じるぐらい、メンタルが強かった。
……でも、一緒にお風呂に入った時、そうではないことを知ったのだ。
王子でも騎士団長でも医師長でもない、私だけが知っている、ささやかな"裏町"時代のエピソードと共に。
彼女が、【主人公】だからと言って、何にも傷付かないような、鋼のような心を持った英雄的な存在ではないことを……思い知った。
それでも、この物語は彼女にそれを求める。
いじわるに耐え抜く、鋼のような心を。聖女のような精神性を。
誰よりも彼女を守りたい私こそが、彼女にとっての『敵』。
貴族社会のおぞましさを象徴するのが、私の役所。
『悪役令嬢』としての私は、『いじわるな腹違いの姉にして、人の優しさを解さぬ高慢ちきなお嬢様』なのだから。
でも、とりあえず【風邪引きイベント】は、無事に終わった。
まもなく貴族教育の第一段階が終わり、【自由行動】が【アンロック】される。
ゲーム的には、攻略対象に会いに行って、会話して、好感度を高め、【イベント】を発生させるための行動だ。
現実に置き換えるなら、妹は貴族としての立ち居振る舞いを一通り修めたと認められ、屋敷内でのみ行われていた教育が、他の貴族との交流を含むものとなる。
どちらにせよ、妹には、今までよりはるかに自由な行動が許されるようになる。
これからの行動を決めるのは、レティシア自身だ。
私が、屋敷で彼女と交流する機会は……減ることだろう。
……レティシア成分、足りるかな。
「食事にしましょう。……食欲は?」
「はい。大丈夫です、お姉様。いただきましょう」
私を見てお手本にしながら食事をするレティシアを見つめ返す。
そうしたら、レティシアは。
私の妹は。
マナー違反にならない程度に、小さく笑いかけてくれた。