舞台袖の二人
風邪を引いたときに入浴するべきかは、諸説ある。
しかし一番大事なのは、本人の体調だ。
寒気がある場合などは、推奨されない。
私は、ベッドに寝たままの妹に、なるべくさりげなく尋ねた。
「レティシア。……寒気を感じたりしていないかしら?」
「ない……です」
……寒気がない場合は、身体を温めるために入浴するのもよいと言う。
しかし本人の意思というものもある。
さりげなく尋ねるのを諦めて、直球で聞く。
「……入浴をしたいかしら?」
「お風呂……。また汗もかいたし……入りたい、です」
入浴が決定した。
……シエルに押しつけようかな、とは思ったのだ。
我が家の方針は、貴族たるもの、身の回りは自分で整えられるようにするべきだ……というもの。
公爵家ということで、従者にかしずかれる立場ではあっても、それに甘えるなど言語道断だ。
ただ、私だって、ドレスを着る時にシエルに手伝ってもらうことはある。
後、長い髪を丁寧に拭いて乾かすのは大変なので、サポートをお願いしている。
甘えてるなあとも思うが、長い髪は貴族としての見栄が大きいので、髪のケアは公爵家当主としての責務に分類されると思う。
長く艶やかな髪が美人の条件とされたこともあったようだが、レティシアは短くても可愛いので、その価値観は過去の遺物だろう。
それでも、髪を手入れしてもらいながらシエルとお話するのは、幼少の頃からの大切な習慣だ。
今日のレティシアのように体調不良が理由ならば、使用人の手を借りても、何もおかしいことはない。
ただ、シエルは、表も裏も任せているし、当主の私より忙しいぐらいだ。
その彼女が私に割り当てたということは、私がするべき仕事なのだろう。
特に今日は、レティシアの看病……じゃなくて、監視のためという名目で執務を放り出したので、断りにくい。
シエルがいなければ、こんな風にいきなりお休みを取ったりできないと思うと、本当に彼女には頭が上がらない。
妹に、ここまでの会話で導き出された結論を告げた。
「……では、入浴して、身体を温めなさい」
「はい……」
妹が、力のない様子で、少しだけ顎を動かすようにして頷いた。
と、そこで不安げになる。
「あの……でも、少し、不安で。誰か」
「……私がついています」
レティシアが、目をぱちくりさせた。
「……え?」
「……自分の入浴のついでですわ」
私は、目をそらした。
何を言われるかと、身構えてしまう。
……視線を戻すと、レティシアは力なく微笑んでいた。
「……ついででも、嬉しい」
なんでうちの妹こんなに可愛いのかな。
本当は、お姉ちゃんはあなたのことを一番に考えてるのよ……と告白するところだった。危ない。シナリオが狂う。
同時に、病気でしんどいのだな、と思わせられる大人しさだった。
ダンスレッスンや乗馬レッスンの時に見せた元気さと比べると……どこか物足りない。
本人には言えないが。
「行きましょう、レティシア」
羽織りものを取る。
ベッドから下りるレティシアの肩にかけると、彼女は羽織りものを寄せながら、口を開いた。
「ありがとう」
そして、私の目をじっと見て、ためらうように続けた。
「……おねえちゃん」
……そんな言葉遣いを、許してはいけないのだ。
いつものように「お姉様と呼びなさい」と注意するべきだ。
【月光のリーベリウム】のレティシアは、私を『お姉様』とだけ呼ぶ。
シナリオの中で、私と彼女を仲良しの姉妹であるとするようなイベントシーンは、何もない。
この屋敷は、当主である私も含めて、ただ【主人公】に貴族籍を与えるための、舞台装置。
私は、貴族という存在が背負う闇を、いやみったらしい意地悪という形で伝えるだけの小悪党だ。
同じ貴族でも、王族である王子や、騎士である騎士団長と対比させるためにいる、お邪魔虫。
あるいは、高い地位にいながらも庶民的な面も見せる医師長をよく見せるための、引き立て役。
……でも、舞台では語られないものも、あるものだから。
舞台上では憎み合い、対決する運命にある主役と悪役が、舞台を下りれば、同じ劇団に所属する仲良しなんて、当たり前だから。
公式シナリオで描写されない今は、幕が下りて、次のシーンが始まるまでの準備期間だ。
私達二人が出会っている今この瞬間は、舞台袖のようなもの……という解釈が、正しいのかは分からない。
――舞台の上では、間違えない。
【公式シナリオ】は、可能な限り再現してみせる。
だから。
だから、どうか。
何も言えず、祈るように差し出した手に、レティシアは自然につかまった。
そっと体重を預けてくる、妹の重みが、心地良くて。
彼女のために道を整えるしかできない自分が、レティシアが呼ぶような、彼女に慕われるような、『おねえちゃん』みたいで。
……しんどそうで、軽やかさのないレティシアの様子に、運命への怒りが湧き上がる。
最後には幸せになるにしても。
"裏町"で、ひとりぼっちで。
苦労して。
実の姉は、こんなで。
貴族籍を得てからも、大変な思いをして。
運命に、翻弄される。
……それでも、この子が幸せになるなら。
それでいい。
それだけで……いい。
それ以上を望んでは、いけない。