辛辣な言葉
「シエル。私が医師長をお送りしますわ。あなたは妹に付いてなさい」
「は……」
一礼するシエルを妹と共に部屋に残し、私は医療鞄を手にした医師長を先導して廊下へと出る。
空気が階下の熱で温められている屋根裏部屋と比べて、節穴もない廊下の空気は一段と冷たい。
「ルイ医師長。今日は、ご苦労でした」
上から目線ではあるが、一応礼は言う。
ドキドキ恋愛イベントにはなりきらなかったが、彼の言うように医療行為だ。
だから、妹が体調を崩したのにちょっとばかりうろたえて、彼に言われてから不承不承やるはずだったあれこれを、全部先回りしてやってしまったのも、仕方ないことではなかろうか。
病気に絶対など、ないのだから。
「アーデルハイド様。僕は、あなたのことを、非情ではあっても、それは政治的判断によるものだと思っていました」
お?
――ここからは、【テキストログ】にない。
レティシアは、廊下で行われる会話を聞く術を持たないから。
「ですが、それは僕の勘違いだったようです」
ちょっと期待してしまっていた。
彼は医師長という立場ゆえ、医療に関することならば、私のヴァンデルヴァーツ家当主という立場を上回る権限を持つ。
【公式イベント】と違うところで、こんな風に辛辣な言葉を叩き付けてくる男だとは、思っていなかった。
これは中々、期待が持てる。
「彼女は、あなたを慕っているのですよ」
そんな風に、高い所から盤上遊戯を眺めるような余裕を持っていられたのは、彼の言葉を聞くまでだった。
……レティシアが、私を?
「何を馬鹿なことを……」
切り捨てようとするが、彼は一歩も退かず、食い下がった。
「医師の診察を受けるなど、初めてだったのでしょう。緊張して、警戒して……けれど、彼女は大人しく診察を受けていました。なぜだか分かりますか?」
……分からない、はずがない。
「あなたがいたからですよ。あなたが付き添ってくれていると、そう思っていたからです」
私がいたから。
私と『約束』したから。
上手く言葉を見つけられずに逡巡する私を、医師長が追い詰める。
「――そんなあなたを慕う実の妹を、あのような暖炉もない部屋に置いて、あなたの胸は痛まないのですか」
痛まない、わけがない。
それでも、私はそうする。――そういう『役』だ。
だから私は、嘲るように笑った。
「正式な婚姻関係も結ばぬ、不貞の末に生まれた娘ですわ」
それに対して彼女は、何の責任もない。
それぐらいは、分かっているつもりだ。
……でも、彼女の母と、私達の父を否定する気持ちかもしれなくとも。
同じ母親から生まれた姉妹として、誰に後ろ指をさされることもなく、育ちたかった。
「……それでも、あなたの妹は、陛下にヴァンデルヴァーツに連なる者として認められたのでしょう」
「ええ。私は、貴族として振る舞っているだけですわ」
正確に言えば、悪役令嬢として振る舞っているだけだ。
文句は、見えざる劇作家に言ってもらいたい。
「実の妹を暖炉もない屋根裏部屋に押し込めるのが、貴族として正しい振る舞いだとは、僕には思えません」
まっすぐな目。
正義を信じている目だ。
そして、秩序を。――理想を。
好きな目だ。
……私は、持ち続けられなかったものだから。
「医師長様は、目についたものには、同情しますのね」
「え?」
私は、なるべく意地悪く見えるように、鼻で笑った。
「あの子がいた"裏町"では、暖炉のない部屋など珍しくもなくてよ」
暖炉があっても、薪代を払えない者も多い。
それならば最初から暖炉などない方が、風の通り道がない分よほどマシなのだ。
夜に王都を上から見れば、きっと"裏町"は――色街を除いて――暗く沈んでいることだろう。
ヴァンデルヴァーツ家は慈善事業の一環として食事や防寒具の配布などを行っているが、結局は対症療法だ。
貧民街にいることがすなわち悪とは思わないが、平均を取れば明らかに犯罪者が多いのも事実。
"裏町"では、生き延びるための犯罪が、現実的な選択肢だということも分かる。
私だって、大なり小なり『犯罪者』だ。――国家公認というだけで。
そもそもあの区画に住む者の何人が、不法占拠に問われないと言うのか。
「……当然、陛下はご存知でしょうね。"裏町"……貧民街があることぐらい」
国が管理を放棄したゴミ捨て場――それが、"裏町"だ。
悪党はそこに流れ込み、そこで縄張りを作り……結果として、治安は安定する。
最悪の形ではあるが、セーフティネットとしてさえ機能している。
アンダーグラウンドの住人は、意外と人情に厚い。食い詰め者が狙われることもあるが、大抵はどこかに拾われ、食事や仕事が与えられる。
……それが構成員勧誘のためだとして、そうして得た職が犯罪にまつわるものだったとして、それでも。
そういった区画が生まれるのは、歴史の必然だったかもしれない。
けれど、時間を――そして資金を――注げば、なくすことはできるだろう。
長期的に見れば、貧民街があっていいことはない。
……私は、あの区画をなくそうかとも、考えた。
妹がいる場所と知って。
まず、彼女一人を連れ出すことを考えた。
次に、これを機に、この国の病巣の治療を始めることも考えた。
……でも、妹には、それが必要なのだ。
『"裏町"出身』という肩書きが、未来に必要になる。
貴族の言葉が届かない、けれど、力ある者の行動が必要な事態が……【イベント】が起きる。
私の妹は、それを解決する。
ヴァンデルヴァーツの名と、それまでに【攻略対象】と培った絆とを使って。
しかし彼女が生まれついての貴族ならば、きっとその言葉は、それを必要とする者の耳に届かなくなる。
彼女は、"裏町"の実情を知っていなくてはいけない。
貧しい民の痛みを誰よりも深く知り、力を得てもなお、それに手を差し伸べようと思うほどの優しさを持ち続けなければならない。
それでいて、その言葉を貴族達に届けるだけの立場に、立たなくてはならない。
――ああ、気軽に設定してくれるものだ。
そんなものを。
そんな聖人のような真似を。
運命とやらは、ただの一人の少女に求めるのか。
「……それでも」
ルイ医師長は、悔しそうに顔を歪ませながらも、それでもと言った。
「……宮廷医師団は、疫病の際には医師を派遣します」
「『理想の医療とは病気にならないことであり、予防である』というお題目を掲げているのに? ――お笑いですわね。現状で、あの区画で疫病が起きれば、対処など間に合わないでしょうに」
笑うが、私も同類……いや、それ以下だ。
私は、妹のためにしか動いていない。
ヴァンデルヴァーツの力には、限りがある。
そしてヴァンデルヴァーツの目的は国家の維持であり……貧民の救済ではない。
「"裏町"は、僕が生まれる前からあった……すぐにはなくせない。それでも、僕は、僕が死ぬ前にあの区画をなくしてみせます」
この医師長なら、出来るはずだ。
その時、妹が隣にいるかは分からないが。
この医師長が、ゲームの筋書き通りに己の信念を曲げず、道を貫いたなら。
その時、この国から貧民街はなくなる。
「……せいぜい、楽しみにしてますわ」
私はせいぜい悪役っぽく、皮肉気に笑った。
それは、運命によって作られた問題。
ああ、どうせなら、幸せな国を設定してほしかった。
解決すべき問題など何もない、ただのんびりと恋愛を楽しんでいられるような、そんな国を。