朝食の席
宿の食堂は、長方形や丸といった、形も大小も様々な木製テーブルがいくつも置かれていて、それぞれに宿泊客が座っている。
フェリクスの姿は見えないが、私達の他はユースタシア騎士団で占められているようだ。
さすがに公爵家、それもヴァンデルヴァーツの当主の近くに席を構える勇気はなかったようで、遠巻きだ。
聞こえるように噂話をしないのは、さすがマナー教育も受けているユースタシア騎士団と言ったところか。
ただ、内容が……「今日はいい天気だな」「ああ、昨日はすごい雨だったが今日はいい天気だな」「今日は本当にいい天気だな」のように、薄っぺらいというか、もはや口を開いて声を発しているだけなのはどうしたものか。
こいつら、演技が下手すぎる。
いっそ黙っていればいいのに。
……いや、それはそれで静かすぎるか。
不器用なりに、気を遣っているのだろう。――空回っているとしても。
聞き耳を立てているのは間違いない。
そんな、妙に不自然な会話が周りのテーブルでされて、注目を集めていることを知ってか知らずか、丸テーブルを挟んで、私の目の前に座っているレティシアは、にこにことしている。
何がそんなに楽しいのか分からないが、彼女の視線は、私の顔に突き刺さって――いればよかったのだが。
もしも、とげとげしい視線なら、突き刺さるはずもない。ヴァンデルヴァーツの当主とは、面の皮が厚くなくては務まらない立場だ。
しかし、私をじっと見ている彼女の視線は、純真で……私を姉として慕うものとしか思えなかった。
性格が悪い自覚はあるので、自分がその視線を受けるに足る存在だとは、どうしても思えない。
それがストーリーに必要なのは分かっているが、なぜ運命は、私の妹をこんなにも心が綺麗で可愛い存在にしたのか。
「お姉様、今日も乗馬を教えてくださいね」
そして口を開いたかと思えば、こうだ。
早く私の顔など見たくもないぐらいまで嫌われたい――のだが、実は、【月光のリーベリウム】では、彼女の私に対する心情描写が少なすぎて、心の内はどうなっているのか読めない。
最終的に私は断頭台に送られる。
古い時代、古い貴族像を一身に背負った生贄として。
他ならぬ私が、国益の名において使ってきたのと同様の手法だ。文句を言えようはずもない。
我が国では、断頭台は不名誉刑の最たるものであり、使われた回数自体が少ない。私の世代では、ないはずだ。
だが、三年前のルインズ公国では、古い王家に革命側が使い……かつての革命側に市民達が使った。
それを指示したのは私ではない。分かっている限り、市民の暴走だ。
まあ、過程はどうあれ、私は断頭台へ行く。そういうシナリオだ。
ただ……妹は、私の助命嘆願をする。
もちろん、それは通らない。そういう筋書きになっている。
私にとっての最後のイベント【断頭台】が、意地悪で人の優しさを解さない姉とはいえ、妹からたった一人の肉親を奪い……彼女がそれに傷付くとしたら、それは悲しい。
だから私は、私の死が彼女に与えるものを、少しでも少なくしようとしている。
死んだ時にほっとするような、そんな風に……嫌われる存在を目指して。
ただ、こんな私に何かを期待しているのか、姉という存在に幻想を見ているのか、そこらへんは謎だが、妹が……私を嫌っているように見えない。
……恐ろしいのは、妹に嫌われることではないのだ。
もちろん、断頭台に行くことでもない。そういう風に『決まっている』。
けれど。
もし。
もしも。
――もしも、私が嫌われないとしたら?
レティシアが、どれだけの意地悪を重ねられても、父を同じくするたった一人の肉親を慕い続けるような、そんな並外れた純真さを持っていたとしたら。
私の死は、彼女の心に爪痕を残す。
……そんな形でも、私の存在が妹の心に残るなら、それもいいかなと思うあたり、性格が悪い。
「……お姉様? 体調が優れないのですか……? 熱とか……」
妹が身を乗り出して、額に手を伸ばしてくるのを、身を引いてかわす。
「……いえ。乗馬の練習を楽しみにしているようですが」
「はい、お姉様との練習を楽しみにしています」
なんで今、言い直しましたの?
「レティシアお嬢様、その件なのですが」
言いよどむ私の元に、シエルという助け船がやってきた。
今は、昨日見せた凜々しい燕尾服姿ではなく、いつものロングスカートのメイド服だ。
一部の貴族家では、スカート丈を短くしたり、胸元の生地を減らしたりしているが、いったいメイドをなんだと思っているのか。
四角い木製のお盆を、器用に三つ持っていて、その上には朝食が載っている。
シエルは、優雅な動作で、私、レティシア、自分の順番にお盆を置くと、自分も席についた。
今回は旅行で、かしこまった宿ではないので、メイドである彼女にも同席を命じてある。
それに何より、シエルは肉親同然の身内だ。
「昨夜の大雨で、馬場の状態がよくありません。なので、残念ですが本日の練習は中止となります」
「……えっ!?」
目を見開き、ばっと私を見るレティシア。
「む、無理なんですか? 私は、ちょっとぐらい汚れても……」
「ちょっと、ではありませんわ。それに、服はもちろん、馬も泥だらけにするつもりですの?」
私はそういう訓練を受けたこともあるが。
――それは、妹には必要ない。
この子は憎まれるのではなく、愛されるのだから。
「う……」
レティシアがうなだれる。
「レティシアお嬢様。ここは近いですし、慣れれば日帰りでも通えます。また練習の機会を設けましょう」
「はい……でも、お姉様は……」
ちら、と私に視線をやるレティシア。
その視線に胸を射抜かれ、「ええ。また一緒に練習しましょうね」と、私の中の『いいお姉ちゃん』が微笑む。
――が、それは幻だ。
「私は忙しいのです。そう何度も付き合ってられませんわ」
ばっさりと切り捨てると、彼女はまたうなだれた。
しかし、今度はすぐに立ち直る。
「――私が、今よりもっと上手に、馬に乗れるようになれば……」
そこで言葉を切るレティシア。
何を言い出すのかと、続く言葉を待つ。
「また、お姉様と一緒に乗馬をするような機会がありますか?」
……ある。
【乗馬イベント】が、あるのだ。
「……そういう機会も、あるかもしれませんわね」
私は、薄く微笑んだ。
妹が、ぱあっと顔を輝かせる。
「楽しみにしていますね!」
……多分、妹が思っているような、そんな楽しいイベントにはならないだろう。
私からは底意地の悪いくだらない意地悪を受け、三人の【攻略対象】にかばわれる――そういう【公式イベント】だ。
後に、物語のキーとなるアイテムも登場する。
それはまだ、先の話。
今は秋の終わりで、一つの冬と一つの春を越えた、来年の初夏の話だ。
まだ彼女は一人で自由に馬に乗れるほどではないし、何より『三人目』と出会っていない。
それでも彼女が一つ貴族らしい振る舞いを身につける度に、私は断頭台への階段を一段ずつ登っている。
――どんな不名誉も、いとわない。
この道の先にどんな死に方が待っているとしても、それは私が歩みを止める理由にはならない。
私の妹が幸福になる筋書きが既に書かれているのなら、私はそれに従うだけだ。
「ほら、食べますわよ」
私は、皿に載った丸パンを手に取って、ちぎった。
まだ芯が温かく、ぬくもりと共にふわりといい香りがする。
「はい!」
私の真似をしてパンをちぎりながら、小麦の香りに顔をほころばせる妹を見ていると、あまりの愛らしさに私の頬も緩みそうになったが、精一杯自重した。