必要な『いじわる』
私は、妹を迎える準備をしていた。
貴族籍を与えるのは、とりあえず後回しだ。
まずはレティシアを、我が家に迎え入れる。
密かに護衛をつけ、犯罪に巻き込まれない程度の支度金を渡し、数日の準備期間を与えた。妹にも、別れの挨拶をしたい人ぐらいいるだろう。
ゲームにおける主人公の部屋は、暖炉さえない屋根裏部屋となる。
――初雪の降る日、物置として使われていた屋根裏部屋に追いやられた主人公は、一人吐く息で手を温めながら、こう言うのだ。
【「寒い……な……。でも、雨漏りしない屋根と、風も雪も吹き込まないガラス窓があるだけ、いいよね……」】
私は、彼女の生い立ちを知らない。
ゲームでもそこは、ほのめかされるのみで『ふんわりぼかされる』。
"裏町"で育った、父親を同じくする腹違いの妹――知っているのは、それだけだ。
あの父に愛情でも性欲でもどちらでも、決められた相手以外と子作りする甲斐性があったのは少々意外だったが。
もうちょっと養育費包んどきなさい……! と、今は亡き父か、見えざる劇作家に対して恨みの念を送った。
迷いを振り払うために、心の中の思考を口にする。
「いじわる自体は……必要ね」
『悪役令嬢』が断頭台に送られるためには、いじわるが必要だ。
悪と呼ばれるに足る行為が。
底意地の悪い、『意地悪』が。
一つ一つはいじわるの範囲に収まりつつも、断頭台に送られるだけの――集まれば、誰が見ても、私を悪と断じるだけの。
ラストの方に行われる、私への糾弾は、こんな風に始まるのだ。
【血を分けた妹に、その立場に見合わぬ凍えるような部屋を与え】――と。
本当は、私の部屋を明け渡したって構いやしないし、貴族家のたしなみとして、客間は用意しているし、空き部屋を一つ二つ改装するぐらいは簡単だ。
簡単な――はずなのだ。
ため息をついた。
「まったく……『ゲームの中の私』は、どういうつもりだったのかしらね。普通に妹を可愛がってもいいでしょうに」
今からでも、そうしたい気持ちが――なくはない。
ただ、裏と言っていいような、そんな稼業をやっていると、人の力がちっぽけだということも分かるし――歴史に流れがあることも分かる。
運命……とまで言っていいのかは分からないが、人を超えた何かが、人を突き動かす瞬間がある。
既に私の運命は見えざる劇作家の手で決定されている。
妹の運命も。
そして幸いなことに、彼女には幸せな運命が用意されている。
"冷徹非情のヴァンデルヴァーツ"の当主が、そのために用意された生贄というなら、上等だ。
しかし……可愛い妹を凍えさせる真似までは、許すわけにいかない。
ここはゲームの世界をベースにしているから大丈夫――とは言い切れないのだ。
寒さは、人を殺しうる。
この国の冬は長く、厳しい。
我が家では住み込みのメイド達にさえ、相部屋とはいえ、暖炉のある部屋を与えているというのに。
その程度は、有数の貴族であるヴァンデルヴァーツ家には、容易いこと。
それを、暖炉もない屋根裏部屋に一人きりなど。
同情を買うストーリーとしては上出来だ。
けれど、今そうして、誰にその同情を売るというのだ。
私は、運命と呼ばれる何かに従う。
提示されている大筋に沿って動く。
結末は、誰にも変えさせない。
しかし、舞台裏は――語られていない行間は、自由にやらせてもらう。
私のたった一人の血を分けた妹を凍えさせるような真似は、たとえ運命にだって許さない。
私は紐を引いてベルを鳴らし、メイド長を呼んだ。
少しして、コンコン、とノックの音が聞こえる。
「シエル。入りなさい」
「はい、アーデルハイド様」
椅子から立ち上がらず、机に向かって壁を見たままで声をかける。
彼女が入室し、背後から扉を閉める音がしたところで、それ以上時間を無駄にせず、振り返らずに用件を告げた。
「あの、隅の屋根裏部屋を清掃させなさい」
「はい。理由をお聞かせください」
当主補佐でもあり、古くは養育係にして教育係でもあった彼女は私にとって、もっとも信頼のおける部下だ。
「私の、腹違いの妹にあてがいます」
「……失礼ながらあの部屋は現在、物置でございます。暖炉もございません。厩舎の方がマシかという、最底辺の環境でございますが」
その彼女が、私に対して、控えめながらも異議を申し立てた。
「それを承知で言っているのです。即刻、準備に取りかかりなさい」
「……はい」
……馬鹿げた命令だ。
くだらない、底の浅い、意地の悪い嫌がらせ……『いじわる』だ。
それでも、彼女は頷く。
シエルは、私の命令に従う。
私はヴァンデルヴァーツ家の当主で、彼女はその当主補佐だから。
「それと、使用人の予算を、二倍に増額します」
「……はい?」
あまりの関連のなさと話の飛びっぷりに、シエルが珍しく戸惑っているのを察しながらも、私は続けた。
「薪代に当てなさい。今は使用人休憩室の暖炉に火が入っていない時もあるようですが、これからは絶やさないようにと。余った分は、おやつ代なりなんなり、好きにするように」
使用人達の休憩室は――妹にあてがわれる屋根裏部屋の、真下にある。
「それと、客間の布団を取り替えなさい。元の布団の処分方法は、使用人達に任せなさい。欲しい者がいれば持ち帰っても構いません。どうせ捨てる物ですから」
「……はあ」
何を言ってるんだろうこの主は、とでも言いたげな、怪訝そうな雰囲気。
振り返る勇気はない。
「……その、詳しく理由をお聞きしても、構いませんか?」
「答えられません。無用な発言は厳禁します。これはヴァンデルヴァーツ家当主、アーデルハイド・フォン・ヴァンデルヴァーツの名において出された、当主命令と考えなさい」
「かしこまりました、アーデルハイド様」
「よろしい。では、委細は委ねます。費用などはいつものように提出すること。――準備にかかりなさい」
シエルが退室した後、立ち上がって部屋に鍵を掛ける。
そして元の位置に戻ると、私は机に突っ伏した。
「【シナリオ】に、無理を感じるわー……」
なんてレベルの低い嫌がらせだ。
その割に、実害が出るし。
小説なら一ページ、戯曲なら一幕かもしれないが……妹にとっては、少なくとも一年を過ごす部屋だ。
屋根が太陽に炙られるせいで夏は暑いだろうが、寒冷な気候のユースタシア王国のこと。我慢してもらうしかない。
しかし、寒さはダメだ。それはダメだ。
このシナリオを書いた奴は、雪国を舐めているとしか思えない。
「……さすがにシエルは怪しんでましたわね……」
シエルの目に、今の私がどう見えているのかは、少し気になる。
私という、"冷徹非情のヴァンデルヴァーツ"現当主にして、この国の守護者たるウォールリザードは、教育係である彼女の手によって作られた。
身体を鍛えられ、技術を仕込まれ、知性を磨き上げられた。
その私が、知性を放り捨てるような嫌がらせをしている様を見て、内心で泣いていないだろうか。
……失望して、いないだろうか。
「あーあ……」
もぞもぞと、腕を組んで、枕にする。
ヴァンデルヴァーツ家の当主としては、人に見せられない姿だ。
『悪役令嬢』という役の立ち位置に詳しくないが、悪役が、気を抜いて腑抜けた様子を見せたり、人前で弱音を吐いてはいけないことぐらい分かる。
「……レティシア、がっかりするかしら」
私は彼女に、貴族と聞いて想像するような贅沢を、与えられない。
彼女が……それを期待していたら、どうしよう。
私は彼女に、優しいお姉ちゃんとして振る舞うことは、できない。
彼女が……それを期待していたら。
それでも。
彼女が私に感謝することはなくとも。
彼女は、世の女性が羨むような立場の男性達から愛されて、幸せを手に入れるようになっている。
この国の誰もが、"救国の聖女"として、彼女の名前を知るようになるのだ。
"冷徹非情のヴァンデルヴァーツ"の当主は、そのための踏み台。
【シナリオ】はそういう風に、なっているのだから。
だから、私が彼女を幸せにできなくても。
私のいじわるに、きっと意味はある。
その、はずだ。