私の宝物
彼が妹に言ったセリフが、一字一句、頭の中で再生できる。
いや、違う。【テキストログ】の中にある。
先のセリフ、【「レティシア。俺が、本格的に乗馬を教えてやろうか?」】とは、『もう一つの選択肢』だ。
一つ目の選択肢で、【2.「私も馬、好きですよ」】を選んだ続き。
騎士団長と、もっと仲良くなるための、選択肢。
……ああ、そうか。
この世界は、運命の筋書き通りに進んでいる。
妹は――真意はどうあれ――彼と仲良くなるための選択肢を選んだ。
だから、彼はそう言う。
途中がどれほど違おうと、次の選択肢に繋がるセリフを言う。
妹の選択肢は、二つ。
一つ目は、【1.「結構です」】。
二つ目は、【2.「私に乗馬を教えてください」】。
二つ目を選べば、そのまま仲良くなれる。
その後もいくつか出てくる選択肢で、騎士団長を選び続ければいい。
……公平な目で見れば、優良物件ではある。
なにしろ、大陸最大最強の国家たるユースタシア王国の騎士団長だ。
女の扱いに慣れていない気がするのは不安要素だが、この、良く言えばワイルド系、悪く言えばガサツな男も、好いた相手は大切にする。
私は、それを『知っている』。
この国の武の象徴である彼の隣に、元は彼と同じ平民であり、しかし貴族の視点を持つに至った妹が並び立つところを――そういう【イベント】を、見たのだ。
妹が、三人の【攻略対象】の誰を選んでも、この国は今より良くなる。
ただ、私がその新しいユースタシアを見ることはない。それだけだ。
私は、悪役令嬢だから。
ただのお邪魔虫で、妹が誰を選ぼうと、断頭台で首を落とされる。
そう、決まっている。
だから、妹のセリフも、決まっている。
選択肢のない私より、幅はあるが。
「【結構です】」
妹は、【公式ゼリフ】できっぱりと騎士団長の申し出を断った。
――この一回で決まるかは、分からない。
しかし、今のところは王子が一馬身リード。
そして、まだ妹に出会っていない『三人目』にもチャンスが残されている。
「……それに」
それに?
断れば、ここでイベントは終わりだ。後はテキストだけが流れ、一日が――乗馬の訓練イベントが終わる。
そういう風に、なっていた。
続く言葉を固唾を呑んで見守っていた私に、妹の視線が向けられる。
「……私は、お姉様とシエルさんに教えてもらっていますから」
そして、にっこりと笑顔を向けられ、狼狽する。
シエルはともかく、なぜそこで私の名前を出すのだ。
今日の私がやった事と言えば、シエルの指示に従って、彼女が慣れるまで相乗りしたり、引き綱を持って歩いたぐらい。
「そうか。しっかり教えろよ、アーデルハイド」
「……ええ、うちのシエルは教師としても優秀ですからね。彼女に任せておけば、問題ありません」
シエルを見ると、彼女は無言で一礼した。
妹は、どことなく不満そうだ。
「――レティシア」
騎士団長が、妹の名を呼んだ。
「はい、なんでしょう? フェリクス様」
「【レティシア。俺は、お前が気に入った。ユースタシア騎士団の力が――いや、俺の力が必要になれば、いつでも言え。お前が呼べば、俺はお前の力になろう】」
……なぜ、そのセリフを言う?
それは、乗馬の訓練イベントを――『騎士団長との【イベント】』を終えた、しめくくりのセリフのはず。
【好感度】か?
――この、本来のシナリオにない会話で、本来のイベントをこなしたのと同じぐらい、妹への好感度が上がったとでも?
……ありえる。
うちの妹は可愛いから。
それはもう、少し会話しただけで、このガサツな俺様系騎士団長ごとき、簡単に惚れてしまってもおかしくない。
元々、貴族令嬢に対して会ったその日に、真顔でこんなセリフを言うやつだとは思っていなかった。
キャーキャー言われているから、辟易して、女嫌いになっているのでは……あるいはいっそ、男が好きなのではと疑う節もあった。
言い寄ってくる令嬢を遠乗りに連れ出すのも、こいつなりの断りのつもりだったのだろう。
もし付いてこられるようなら、案外そのまま交際したかもしれないが。
乙女心への配慮がないが、そもそも令嬢側にも男心への配慮が感じられないので、まあどっちもどっちだろう。
――発生しなかった騎士団長とレティシアの乗馬の訓練イベントでは、慣れるためという名目で二人乗りしたりする。
私は"冷徹非情のヴァンデルヴァーツ"の当主としての全力で耐えたが、自分の腕の中に妹のような美少女がいて、自分を頼りにして見上げたりしてくるというシチュエーションに、この免疫のない騎士団長様が耐えられるものか。
今回は、妹は彼との【イベント】をスルーしたわけだが、妹の素晴らしさは――意外性のある点も含めて――伝わったことだろう。
そういうセリフが出てくるのも、当然と言える。
肝心の、レティシアから彼への好感度が不明なのが、やきもきする。
まだまだ序盤……のようでいて、割と駆け足で進んでいくから、油断できない。
ゲーム内の時間は一年と少し。しかし、その間に起きる【イベント】は限られている。
今回のように、本来のシナリオ以外でも好感度を稼げるとなると、話がどう転ぶか予想しにくくなったのは問題だが。
――私は、レティシアが幸せならそれでいい。
その目的だけを、胸に刻み込むように再確認する。
ありとあらゆる抵抗を、排除する。
妹が幸せになる筋書きだけは、誰にも変えさせない。
私にさえ、邪魔はさせない。
迷うな。日和るな。躊躇うな。
お前が道を間違えれば、妹はどうなる?
私の人生は、ヴァンデルヴァーツの当主としてあった。
当主としての道を踏み外さず、自分の意地を通せる、最初で最後のチャンス。
逃せるものか。
運命に『味方』をしてもらえる機会など、そうはない。
運命のサポートが手薄で、シナリオを書いた見えざる劇作家が少々ポンコツな気がするのが、気になるが。
妹のことを大好きな姉として、私は断頭台を目指す。
悪役令嬢としての役割を、全うしてみせる。
妹は、聞く人が聞けばたまらないだろう、ワイルド系イケメンの騎士団長からの『いつでも力になる』発言を、微笑んで流した。
「はい、いつかフェリクス様のお力が必要になったら、頼らせてください」
「もちろんだ」
そう言って屈託なく笑うフェリクス。
こんな笑い方をするやつだったのか。
……そういえば、シナリオ上の王子も、私には見せたことのないような表情をしていた。
それはまあ、好きな相手や恋人にだけ見せる表情ぐらい、あるだろう。
しかし、そんな笑い方をするやつだとは。
……そういえば、レティシアも――
「お姉様! 今日は一日、ありがとうございました!」
そう言って、飛びつくように私の腕に自分の腕を絡めるレティシア。
当たってる。当たってるから。
色々と戸惑いながら、私は彼女の笑顔に見とれてしまった。
……そういえば、レティシアの笑顔は、よく見ている。
【月光のリーベリウム】の物語の中で、彼女は恋人に笑顔を向ける。
一枚絵で描かれるそれは、私の憧れだった。
レティシアの笑顔を、見たかった。
でも、悪役令嬢である私は、妹の笑顔なんて見られないだろうな……と思っていたのに。
今も、そう。
とろけるように口元を緩めて、同じ青い瞳で私を見つめる。
「――明日も、教えてくださいね?」
まるで親密な間柄の恋人に向けるような、屈託のない笑顔。
『家族』に向ける笑顔を、向けてくれる。
じんわりとした温かいものが、胸に満ちた。
私には、妹がいる。
濃紺と鮮やかな赤という違いはあれど、同じデザインでお揃いの乗馬服を着て、二人乗りで乗馬のレッスンをしたりする……妹が、いる。
今だけは……そうしていられる。
妹には、一日でも早く幸せになってほしいのに。
それまでの道筋を、レティシアと辿れることを、楽しみにしてしまっていた。
でも、私が目指しているのは断頭台だ。
こんな気持ちは、辛いだけなのに。
ただ、嫌われてしまえば、後はそれだけだったはずなのに。
――負けるものか。
私は、アーデルハイド・フォン・"ヴァンデルヴァーツ"。
"冷徹非情のヴァンデルヴァーツ"の当主にして、この国の闇を見張る、一匹のウォールリザード。
私は、私の道を歩む。
いつか来たる終着点。断頭台で首を落とされる。
そんなものは、怖くない。
たった一つ怖いのは、レティシアが幸せになれないこと。
可愛い妹。
私の、宝物だ。
誰にも、汚させない。
運命は、誰にも変えさせない。
私は、一つ息をついた。
私の腕にヤモリのようにくっついたままの妹に、なるべく冷たい目を向ける。
「……馬に乗れるようになったのだから、明日は、厳しく行きますわよ」
レティシアは、満面の笑顔になった。
「はい! 厳しくしてください!!」
妹が、私の思う反応をしてくれない。
フェリクスが、苦笑した。
「……本当に好かれたものだな」
「……迷惑ですわ」




