レティシアの逆鱗
フェリクス・フォン・リッター。
私より四つ年上の二十六歳で、攻略対象の中では最も年上だ。
大陸最強の騎士団を統べる長としては若すぎる、という声もあったが、騎士団員を中心に、絶大な支持を受けて就任した、若き騎士団長。
盗賊の討伐に、紛争の『調停』。若いながら実戦経験も武勲もある彼は、お飾りではない。
その彼は、今、明らかに困惑していた。
「美味しい……? 馬を食べたことがあるのか?」
噂の『妹』。
私が、まだ社交に出すには早いと判断しているために、ほとんど表には出てこない……"冷徹非情のヴァンデルヴァーツ"の当主が認めた爵位継承権第一位。
騎士団長と私は、立場の違いがあり仲は悪めだが、まあ仕事の付き合いだ。お互いに大人なので、私情を挟むことはない。
今は仕事ではないが、声をかけずに無視するほど険悪に振る舞うのも不利益だとは分かっているはずだ。
それに、少しはレティシアに興味を持ったのだろう。
なにしろ、うちの妹は花も恥じらう美少女だから。
しかし妹の過去は、謎に包まれている。
王都にある貧民街……通称"裏町"で暮らしていた人間の過去を探るのは、並大抵のことではないのだ。
レティシアは、一般的にユースタシアでは食されない馬肉を食べたことがあるらしい。
「あ! 騎士団の馬は食べたことないですよ。……多分」
「多分?」
怪訝そうになるフェリクス。
「あの、屠殺場に運び込まれてくる馬がどこの馬かなんて分からないので。でも、さすがに騎士団の馬が来ることはないんじゃないかなって……」
「屠殺場……?」
ますます怪訝そうになるフェリクス。
褐色肌の顔はしかめられ、獅子のたてがみのような褪せた金髪に手を差し込んで、頭をガリガリと掻きむしった。
騎士として与えられた一代限りの爵位とはいえ、仮にも貴族が、令嬢の前でしていい振る舞いではない。
……が、そういう飾らない所がいい、という噂だ。
「……レティシア、と言ったな。なぜ、貴族の令嬢が、屠殺場で、馬を食べているんだ?」
ゆっくりと、一言一言を区切りながら、疑問をまったく隠さずレティシアに尋ねるフェリクス。
いいぞ、もっと聞け。
「食べたことあるのは、貴族じゃなかった頃ですよ」
彼女は、"裏町"にいた。
となると、王都の外れ……"裏町"に接している位置にある屠殺場も、身近な存在だったのかもしれないが。
「……ああ、腹違いの妹を疎んじたアーデルハイドが認めておらず、"裏町"に追いやられていたと……」
「取り消してください」
レティシアが、食い気味に言葉を叩き付けた。
そんな噂になっていたのか、という内容だった。
彼は噂に疎いので、つまり、彼の耳に入る頃には、たっぷり尾ひれがついているということだ。
「腹違いの妹を疎んじた? ――お姉様が?」
しかし、対外的にはそういう風に見えるよう頑張っているので、そこは拾わなくていい。
……はずなのに、妹は、そこに食い付いた。
自分より遙かに強く、立場においても自分より高い地位にある、騎士団長に対して、一歩も退かない。
むしろ一歩を踏み出して、柵を挟んだ彼に対し、詰め寄った。
「私は、生まれた時から"裏町"にいました。――そして、お姉様が、私をヴァンデルヴァーツの縁者と認めたのです。逆ではありません」
愛らしい瞳に、獰猛な意志をみなぎらせて――いるのに、そんな姿も可愛いのはどういうことか。
王子の時もそうだったが、目力が足りない。
王子と同じく、騎士団長も、『睨み付ける』の基準が私なのだ。
私と違って、元が可愛すぎるというのもある。
フェリクスは、面白そうに笑った。
「怒ったか? 愛らしい子猫のようだな」
こういうセリフ回しが似合う男と似合わない男がいて、こいつは似合う男だ。
しかし、そういうのを好きな女と嫌いな女がいて、私は嫌いな女だ。
妹も同じだったようで、眉がしかめられる。
そういう表情も可愛いなあ、と思いつつ、止めるタイミングが掴めない。
「――取り消してください。あなたがさっき口にしたのは、根も葉もない、くだらない噂です」
私は、立派な根も葉もある噂だと思う。
しかし、妹はそうは思わなかったらしい。
「取り消さないと言えば?」
「怒ります。――私は今、怒っています」
怒っている?
……そんな、くだらない噂に?
事実に近いとも言える。
彼女が寝ているのが、どんな部屋か。
普段、かけられている言葉が、どんなものか。
それを思えば。
彼女が言った「ヴァンデルヴァーツの縁者と認めた」というのは、事実だ。
"裏町"から拾い上げたのも、事実。
爵位継承権第一位としたのも、事実。
けれど、私と彼女を仲良し姉妹とするような『事実』など、何一つない。
騎士団長は、そんな姿も愛らしいとはいえ、怒っている妹に対し、からかうように笑った。
「ヴァンデルヴァーツの力を使うか? 騎士団長である俺に対し――」
「礼儀の話をしています。私はお姉様にも、家庭教師の先生方にも、礼儀作法を教わりました」
ヴァンデルヴァーツ的には、相手より立場が上なら無理難題を言ってもいいし、必要なら見下すし、嘲るし……それが『普通』で『当たり前』で『望まれる』。
妹には上品で優雅な淑女たれと教育しておいて、姉がこれとは、まったくもって嘆かわしい限りだ。
本音と建前を使い分けることを覚えた大人としては、妹の純真さとまっすぐさが、眩しいぐらいに強く、心に刺さった。
「――あなたは、『そう』教わったのですか? 誇りある騎士とは……ユースタシア王国騎士団の騎士団長とは、『そう』振る舞うのが正しい立場なのですか?」
それが刺さったのは……彼も同じだったらしい。
騎士団長とは、強い立場だ。
大陸最強と名高い騎士団を束ねる立場というのは、相応の特権が与えられる立場でもある。
騎士としての爵位は、貴族の序列の外にある。
しかし、騎士団長ともなればその力は、貴族の序列における最高位である公爵家と同格。戦時ならば、それ以上となることもある立場だ。
さらに、普段は同じ騎士団の騎士や兵士に囲まれていて……多少は調子に乗って、羽目を外しても、咎める者などそうはいない。
そんな風に『言ってくれる』者など。
彼は、ふざけた態度を消し、真面目な顔になった。
公的な、貴族としての、何より騎士としての顔だ。
そして、軽くだが頭まで下げてみせる。
「……――取り消そう。くだらない噂を信じた俺が愚かだった」
妹が、ほっとしたように息をついた。
そして、彼に向けて微笑む。
「はい。分かってくだされば、いいんです」
フェリクスが、妹の後ろにいた私に視線をやる。
「……随分と好かれたものだな。――『あの』ヴァンデルヴァーツの当主である、お前が」
「迷惑ですわ」
ふん、と鼻を鳴らす。
妹が、目に見えてしゅんとした。
私は、妹になら、むしろ喜んで迷惑をかけられたいのだけれど。
フォローを入れてやりたいが、それはできない。――してはいけない。
それは、演者の裁量の範囲外だ。
……しかし、ここからどう持っていこう。
もう、騎士団長は諦めようかな。
この、令嬢の扱いがなっていない、男所帯で育った俺様系騎士団長に、妹を任せられる未来が見えない。
しかし、王子の時もそう思った。
運命の筋書きに、そして何より、レティシアの可愛さを信じ、全てを委ねることにして、様子を見る。
騎士団長が、何かを言いたげにしていたのだ。
「……それで、屠殺場で馬を食べたことがあるというのは、どういう状況だったのか、聞かせてくれないか」
よし、話が戻ってきた。
掘り下げろ。
「ああ、それですか」
妹は、一つ頷いた。
そして、なんでもないことのように、ごく軽く言う。
「昔、屠殺場で働いてましたので」
思わず、私と騎士団長は顔を見合わせた。
こいつとこんな風にしたのは、初めてかもしれない。




