お揃いの乗馬服
「――シエル。これは、どういうことですの?」
「どういう、とは?」
牧場に併設された館にチェックインを済ませ、部屋に案内された私は――シエルを、問いただしていた。
「なぜ、私と妹が同室なのか、と聞いているのです」
「人数を考えると、これが一番よろしいかと思われましたので。……今回はあまり世話は要らないとのことですが、メイドが私一人なので、このような部屋割りに。……今からでも、部屋を取り直して参りましょうか?」
正論だった。
……メイドをもう一人連れてくれば、回避できたのか。
人数を増やせば、地味に予算も、馬車を引く馬の負担も増えるし、これ以上メイドに微笑ましいものを見る目で見られても困る。
何より、『不確定要素』を持ち込みたくなかった。
ただでさえ、王子の時には、運命のサポートの手薄さを実感したのだ。
しかし今は、シエルのサポートの手厚さを実感している。
誰より信頼する彼女の、『有能さ』を呪う日が来るとは、夢にも思わなかった。
黙って成り行きを見ていたレティシアが、おずおずと話しかけてきた。
「あの……お姉様は、私と同じ部屋は……お嫌ですか?」
嫌なわけがないでしょう!?
……と答えられたら、どんなに楽か。
……部屋を取り直すのは……それはまあ、ヴァンデルヴァーツの金庫に余裕はあるが、無駄金というやつだ。
私は裏金は好きだし信頼しているが、無駄金は嫌いだ。
「……まあ、旅先ですからね。何かと不自由なこともあるでしょう」
「それでは……?」
シエルが、探るような視線を向ける。
私は、ため息をついて頷いた。
「部屋の変更は、必要ありません」
「は」
「お姉様……」
妹がほっと息をついて、不安げな顔から一転、花が咲いたような笑顔になる。
……うちの妹は本当に可愛いなー。
これはもう、【攻略対象】を攻略し放題だろう。
いったい誰を選ぶのか――それは分からない。
恋愛絡みのイベントにも、私の出番はない。
しかし、彼らとの出会いのイベントは、おおむね関われる。
なぜかは分からないが、妙に、お邪魔虫であるはずの『悪役令嬢』――つまり私の出番を絡めてくるのだ。
一応、全員との面識がある。
彼女の恋人候補である三人――ユースタシア王国次期王たる第一王子、ユースタシア騎士団を統べる騎士団長、宮廷医師団の医師長――は、全員ユースタシア王国の重要人物なのだから。
一応、全員の個人情報も握っている。
ただ、個人的に親交があるとは言い難い。
王子は例外としても、今回出会う相手も、私とは仲が良くない。
……はたして、妹を大切にしてくれるやつなのか?
確信が持てない。
ストーリー上は、最終的に全員ベタ惚れだし、それぞれのやり方で溺愛される。
それを私が気に入るかは別の話だが、大事なのは、レティシアが気に入るかだ。
ここまで、おおむね……まあ、おおむね、私が見た未来は実現してきた。
妹の存在。"仕立屋"が仕立ててきた服。王子と出会うタイミング。妹や王子の自己紹介のセリフ――など。
……妹が転んだり、王子の大事なセリフがなかったりするが、王子は妹を気に入ったようだ。
うちの妹は可愛いので、出会いをお膳立てすれば、いずれ惹かれるだろうという自信がある。
東国の伝承で傾国の美女と謳われる、狐が化けた絶世の美女も、彼女の愛らしさには敵うまい。
私は、妖精と言われたら信じるし。
ヴァンデルヴァーツの当主としては、いずれ来たる災厄を、レティシアが抑え込んでくれればそれでいい。
その上で、一人の姉としては……妹には、幸せを掴んでほしいのだ。
一歩ずつ、進める。
運命を、なぞっていく。
途中がどれほど違っても、ラストシーンで妹が笑っていれば、それでいい。
「シエル。着替えたら、先に行って馬の準備をなさい。私達も、着替えてから向かいます」
「はい」
シエルが一礼して、退室する。
私は、トランクから乗馬用の服を取り出すと、なるべく乱暴に妹に投げつけた。
「あなたも、支度なさい」
「はい」
開いたトランクを妹との間に置いて、ベッドの端に腰かけ、ジャケットのボタンに手をかける。
――と、そこで妹も、私にならって隣に腰かけて、着替え始めた。
……女同士だし、何より姉妹だし、何も変なことはない。
ない、はずだ。
けれど、なんとなく直視できずに、つとめて目をそらしながら着替えを終えた。
部屋の入り口でロングブーツにズボンの裾を押し込むと、妹を背にして、彼女の姿を視界に入れないようにした。
後ろで、きぬずれの音がする。
少しして、着替え終わったのだろう妹が、同じくロングブーツを履く気配を背後に感じた。
そして、元気な声がする。
「準備できました!」
「遅……」
遅かったですわね、と悪役令嬢のたしなみとして、嫌味の一つも言ってやろうかと思って振り返った私は、思わず言葉を失った。
それを勘違いしたらしい妹が、不安げな表情になる。
「なにか……変、ですか?」
違う。
その逆だ。
……そういう恰好も、可愛い。
すっかりレティシアの色として定着しつつある、鮮やかな赤の乗馬用ジャケットに、細身でぴったりとした白いズボン。足下は焦げ茶の牛革ロングブーツ。
私の服とデザインこそ同じだが、もう同じ服とは思えないほどだった。
実際に、"仕立屋"の言葉を借りれば『レティシア様はお胸が豊か』との通り、胸の部分は裁断から違いそうだったりするが。
色も、私は濃紺だが、そういう話でもなく。
彼女のショートカットにされた金髪と、活動的な服装がマッチして、凜々しくて、そこがまた可愛くて、新鮮で……。
"仕立屋"が常々布教してくる『可愛い女の子は可愛い服を着るべき』という思想を、私も理解しつつあった。
これでも貴族令嬢として育ち、服飾の力を理解しているつもり……というのは、愚かしい思い上がりだったらしい。
「……あなたは、"仕立屋"に感謝することね。服は、悪くないですわ」
三番目の医師長には気の毒だが、これは二番目の【攻略対象】である騎士団長が、妹の魅力に心を奪われ、順番が回ってこないのではないか。
しかし、一番目の王子も、レティシアのドレス姿を目にしたのだ。
これはもう、妹の争奪戦が始まってしまいそうだ。
……紳士的なものでないと、国が割れそうなので、妹が傾国の美女と呼ばれないことを祈る。
「はい! "仕立屋"さんには感謝しています!」
一時はあんなに怯えて警戒していたのに、信頼したものだ。
「それに、お姉様にも。……感謝しています」
……何を言い出すのだ、この妹は。
「私に? 感謝されるようなことは何も――」
「お姉様が! ……お姉様が、注文を出してくれた服です」
私の言葉を遮るように、強い口調で叫んだ妹が、落ち着いたトーンで続ける。
「もちろん、仕立ててくれたのは"仕立屋"さんですけど。お金を出してくれたのはお姉様でしょう?」
「……ヴァンデルヴァーツの金ですわ」
「それを動かせるのは、当主であるお姉様だけですよね?」
「…………」
……妹の、腰が強い。
"冷徹非情のヴァンデルヴァーツ"という異名に……『公爵家当主』という肩書きに甘えていたのか、と思い知らされる。
私を前にした者の多くは、怯える。この名前の重みを……この立場が有する『力』を、理解しているから。
その立場に対し、まったく怯えを見せないレティシアに、私はたじろいでいた。
「――それに、いつもの服よりお姉様とお揃いみたいで、嬉しいです」
はにかむレティシアを前にして、私は完全に沈黙した。
……分が悪い。
私も……既に仕立てて納められていた私の乗馬服と、デザインは同じで色違いなのに気付いた時は、はっとした。
あの"仕立屋"が、デザインする手間を惜しむはずもなし。
つまり、それが『レティシアに似合う』と――
同じデザインの色違いで、私の隣に立った時に絵になるように仕立てられている服が、妹には似合うと。
……そういう、ことだ。
それに気付いた時、私はちょっと嬉しかった。
妹と色違いでお揃いなんて、そんなささやかなことが、嬉しかった。
そして――妹が、それを嬉しいと言ってくれることが、嬉しくてたまらない。
だから……分が悪い。
いや、最初から勝ち目なんて、ないのかもしれない。
私は悪役令嬢で、妹は主人公なのだから。
「……行きますわよ」
「はい!」
カモの雛のように、後ろを付いてくるレティシア。
曲がり角で振り返ると、ちょっと微笑んでくれた。
角を曲がり、視線を無理矢理引き剥がす。
――今のところ、イベントはおおむねシナリオ通りに進んでいる。
けれど、これほど複雑な舞台を全て台本通りに演じ切るのは、無理というもの。
それも、舞台を演じているという自覚さえ、私以外にはないのだ、多分。
だから私は、少しずつ歪んでいく筋書きを、最後には同じにしようとしている。
【イベント】という要点を押さえ、運命のシナリオ通りに事を進める。
だから。
……途中がどれほど違っても、いい。
はず。