【姉妹の出会い】
私は、目の前の少女をじっと見つめた。
ある意味では、見慣れた顔だった。
私は、【月光のリーベリウム】の物語を知っている。
三人いる【攻略対象】と、それぞれの恋をする【主人公】の少女を。その三編の物語を、自分が主人公の小説を読むように、自分一人のためだけに演じられる戯曲を鑑賞するようにして、辿ったのだ。
――この少女が、どんな風にこれからの物語を生きていくのかを、知っている。
その時に何を思い、何を喋り、困難にどう立ち向かっていくのか――全てを。
けれど、自分の目で見たのは初めてだった。
私の、ウェーブのかかった長い銀髪とは違う、くすんでもつれて、短い金髪が、まず目を引いた。
雪国であるユースタシア王国に多い、白い肌は私と同じだが、潤いや張りは……比べるべくもない。
着ている服も、思わずそんな感想を抱いた自分に罪悪感を覚えるほどに、着古された……安い服だった。
ここは、"裏町"だ。
この貧民街で誇りを捨てずに生きていくことが、親の庇護もなく、何の後ろ盾もない少女にとって、どれほど過酷なことか。
哀れむのは、筋違いだ。
彼女のような人間は、いくらでもいる。……生きるためには手段を選べなかった少女も、たくさん。
私は、貴族然とした仕立てのいい服を着て、よく手入れされた髪と肌で、さらにメイドを連れている。
彼女は、薄汚れ、所々破れた服に、手入れの悪い髪と肌で、一人。
向かい合うと……貴族と平民という差が、くっきりと際立った。
唯一体型だけは、身長こそ私の方が高いが、あれ、栄養状態が悪いのは私の方だっけ? と思うぐらいに差があった。
胸とか。
思わず、じっと見てしまう。
……よくもこの治安の悪い地域で、無事だったものだ。
……無事、だよね?
不安と雑念を振り払うと、私は彼女の目をじっと見た。
――私と同じ、青い瞳。
私をまっすぐに見返す瞳は、いつも鏡の中で見ている瞳と、同じ色をしていた。
この身体に流れる血が、ささやいている気がした。
目の前に、お前が守るべき存在がいると。
抱きしめて、腕の中で慈しみ、仇成す者がいれば、それを滅ぼせと。
子熊を連れた母熊にでもなった気分だ。
これが、運命の力なのだろうか。
それとも、半分とは言え同じ親を持つ者同士の繋がり……なのだろうか。
彼女は、私の妹だ。
静かな確信を抱きつつ、私は【公式ゼリフ】で話を進めることにした。
一目見て抱きしめて妹と認めて、雑に話を進めるという案も、一瞬頭をよぎったけれど。
それはさすがにちょっと……演者の裁量の範囲外だろう。
「【レティシアさん? あなたが、ヴァンデルヴァーツに連なる者であると?】」
「【……はい。十六になった時、中身を見るようにと、母から小箱を貰いました。中に手紙と……この、懐中時計が】」
お互いに、(多分)一字一句違わない公式ゼリフを話し合う。
そして、差し出された銀鎖の懐中時計を、供として連れてきた、長い黒髪を後ろでお団子にし、キャップに入れてまとめたメイド――メイド長のシエルが受け取り、検分した後に私に渡す。
「ふうん……」
公式ゼリフ以外を話せないということは、なさそうだった。
今のは、セリフとも言えないようなものだったけど、とりあえず普通に声として発することはできる。
ほんの少しだけ、筋書きから外れることができる。
ならば、その細かい違いを積み重ねれば――運命を変えることも、できるのかもしれない。
『できてしまう』かも、しれないのだ。
手のひらにおさまる小ぶりな懐中時計を眺めた。
手入れされていなかったのだろう。端がほんの少し錆びている。
何年か分からないが、箱の中にずっとしまわれていたはずで、その前も定期的な整備など望むべくもなかったのだから、当然か。
懐中時計の蓋の表に刻印された紋章は、ウォールリザード。
壁に張り付いて、音もなく移動する家守は、ヴァンデルヴァーツの象徴だった。
三つしかない公爵家として、王家に次ぐ権力を持つ貴族家であり、この国の暗部を象徴するような家でもある。
付いた異名が、"冷徹非情のヴァンデルヴァーツ"。
私が当主を務めるのは、そういう家だ。
悪名高く、恐れられながらも敬われる紋章は、私の胸のワッペンにも金糸で刺繍されているし、シエルの首元のリボンにも、小さな銀のヤモリが鎖でぶら下がっている。
もちろん貴族家の紋章は厳重に管理され、それに連なる者しか使えない。
そして――この時計は、私が今も胸元に収めている紋章入りの懐中時計と、まったく同じ物に見えた。
今は遺品となった父の懐中時計は、もっと大きかった。
私の紋章入り懐中時計は、父が贈ってくれた品だ。
パチン、と蓋を開ける。
針は止まっていたが、文字盤を覆うガラスは綺麗なものだ。
中身も同じ。……ように見える。
この時計は、世界に一つきりだと、思っていた。
……私にだけ贈ってくれた品では、なかったのか?
「【それと、この写真が一緒に……】」
古びた写真。
いずれ色付きの写真が撮れるようになるという話だが、今もって白黒だ。
彼女に渡された写真には、男女二人が並んで映っていた。
女は椅子に座り、男がその肩にそっと手を置いている。
男の方は仕立てのいい服。女の方はドレスだったがどうも着慣れていないように見える……が、小さい写真のことだ。
写真は高価なもの。これは十年以上前の物に見えるし、貴族でもなければ、写真など撮ろうとは思わないだろう。
……男の方は、私の父親に見えた。
写真をひっくり返して裏面を見るが、白紙だ。
――日時、撮った場所、映っている人物などが書かれていることを期待していたのだが。
「【男性の方は私の父に見えますわね。この女性は?】」
私は、分かり切ったことを聞いた。
答えは『知っている』し、そうでなくても察せられるというものだけど、一応。
「【……私の、母です】」
「……【そう】」
でも、知識として知っているのと、【イベント】を体験するのとでは、やはり違った。
今は亡き父の好感度がどんどん下がっていく。
何をやってらっしゃいますのお父様……。
実際に、亡くなった時よりも遙かに若い父の姿を見ると、内心でため息をつきたくなった。
あーはいはい、印象的なアイテムを配置して、視覚的に訴えに来ましたのねー。
見えざる劇作家のやり口に対して、えらく投げやりな気分になる。
父に浮気された娘の気持ちに、配慮して欲しかったところか。
……そう思うと妹も、父親に別の家庭があって、母親が遊ばれていただけなのかもしれないのだ。
妙な親近感が湧いた。
嫌な親近感だけど、親近感には違いない。
「【手紙を見ても?】」
「あ、はい。【――どうぞ】」
一瞬違和感を覚えた。
すぐに気が付くが、ほんの少しだけセリフが違ったのだ。
懐中時計と同じく、まずシエルが受け取って、ざっと目を通す。
彼女はメイド長であり、当主補佐であり、ヴァンデルヴァーツの暗部――"影"を統括する存在でもある。
いざという時は荒事もこなせる護衛だが、執事としても優秀だ。
そして、すぐに渡してきたので、私も中身を読む。
ふむ。
『原作』では、私は特に何の反応も見せない。
反応しようがなかった。
彼女、レティシアの父親が、貴族……ヴァンデルヴァーツ家の当主である旨が書かれているだけなのだ。
妹のお母様。
事情を……教えてください……。
詳しい事情はゲーム内では、語られない。
そういうのを題材にする劇もあるだろうが、ここは『貴族のご落胤』という要素『だけ』が重要である……ということなのだろう。
主人公の過去を舞台で長々と語られても、よほど本筋に絡まなければ、テンポを悪くするだけなのは分かる。
分かるけど。
当事者としてはかなり気になっていた部分だけに、落胆した。
「あの……何か?」
「いえ。……シエル。どう見ます?」
私が認めれば、それでこのシーンは終わる。
けれど、用意された証拠があまりに雑だった。
「…………」
彼女にしては珍しく、沈黙した。
薄灰色の目を閉じて、左側の前髪に差し込まれた、小さな花をかたどった銀製のヘアピンに触れ、考えるような様子を見せる。
しかしそれもほんのわずかな間で、すぐに目を開くと、耳に心地よい少し低めの声で話し始めた。
「……懐中時計、写真、手紙。一つ一つは、それを揃えれば貴族の落とし胤を名乗れるのならば、揃えられるだろう程度の証拠です」
不安になった。
彼女が否定すれば、私は無理矢理シナリオ通りに進めなくてはいけなくなる。
「……ですが、私は真実だと思います」
けれど、シエルはそう続けた。
「……それは、なぜ?」
彼女は、理詰めで物事を考える。
常に希望的観測ではなく、現実を見て、情報を集め、未来を予測し――より良い未来を選び取るために行動せよと、私は、他ならぬシエル本人に教えられてきた。
こんな雑な証拠、信じるには弱すぎる。
何か、理由がなければ。
それこそ、運命の後押しでもなければ。
「お二方は、よく似ておられます。……貴方達二人が姉妹でなくて、なんだと言うのでしょうか」
胸を、温かい物が満たすようだった。
確かに、なんとなく似ているとは思った。
でも、そんな風に言ってもらえるほどとは、思っていなかったのだ。
――私には、妹がいる。
腹違いで。父が浮気したらしくて。親族と認めれば、爵位継承権とか、政治的に色々と面倒なことになって。
今まで、一度も会ったことさえなくて。
でも、私の妹だ。
三年前から存在を知っていた。
知るはずもなかったのに、知っていた。
この世界は物語の舞台。
【月光のリーベリウム】は、確かに私の知る通りに始まった。
ほんの少し、舞台の上では省かれるだろうやりとりは許されても、変えようとしなければ、きっと運命の語る通りになる。
私は、この物語を私の知るように終わらせよう。
そのために努力しよう。
私の、たった一人の妹のために。
これから、きっと嫌われてしまうけど。
それでもいい。
そうしようとは思っていたが、迷いもあった。
でも、本物の妹に会って、腹が決まる。
私は、断頭台を目指す。
行く先に何が待っていようとも。
私は、物語の主人公に向けて、手を差し伸べた。
そして、このチャプターの締めくくりとなるセリフを口にする。
「【――あなたを、ヴァンデルヴァーツに連なる者として認めましょう、レティシア。……いえ、レティシア・フォン・ヴァンデルヴァーツ】」
妹が、おずおずと私の手を取る。
緊張していたのか、肩から力を抜いて、口元を緩ませた。
そして、私に笑いかける。
「……はい! お姉ちゃん!」
……知らないセリフも、好き。