旅行前の朝食
妹に対する『貴族教育』は、長期計画……ということになっている。
実際は、一年ほどしか猶予がない。
その後もゆっくり学んでいけばいい話だが、少なくとも、約一年後の舞踏会……【最後の舞踏会】をゴールとしている。
ある程度の立ち居振る舞いは身についてきた。
素なのだろう喋り方の時も、貴族らしくはなくとも不快感を与えるようなものではない。
むしろ可愛い。もっと聞きたい。後、抱きしめたい。
"冷徹非情のヴァンデルヴァーツ"当主ともなれば、より多くが要求される。
社交のための丁寧な口調に、嫌味で殴り合うための面の皮の厚さ、刃を突きつけて脅迫し、強迫するための冷たい視線と声……などなど、全てが必須だ。
貴族の令嬢や淑女として必須とは言えないスキル。
私のそれとは趣が違うが、レティシアにも、イベント進行上必要とされるスキルがあった。
「……乗馬、ですか?」
食事の席で、食後のデザートやコーヒーを待つ間に、事務的な連絡をするのが常になっていた。
今日も、朝食の席で、レティシアに乗馬のレッスンが始まることを伝えた。
「ええ。馬は手配しました。教本を渡しておきます。――シエル。妹の手助けをなさい」
「はい、アーデルハイド様。――レティシアお嬢様。私が事前に、簡単な心構えなどをお教えいたします。当日もサポートはお任せください」
我が家にも厩舎があり、馬もいるが、馬車馬だ。
乗馬用のいい馬は、郊外の牧場に預けている。ヴァンデルヴァーツの直轄地ではないが、他の貴族の馬も数多く預かっている腕のいい調教師が勤める、信頼できる牧場だ。
「週末に、泊まりがけでレッスンです。よろしいですね」
貴族向けの宿泊施設も、整っている。
「……はい。あの、お姉様は……」
「私は忙しいのです。いちいち、妹の教育に時間を取られているわけにはいきませんわ」
妹がしゅんとする。
「……ですよね」
その姿に心が痛む……のと、これからの発言に、関係はない。
断じてない。
「……と言いたいのは山々ですが、ね」
「え?」
私は、深いため息をついて見せた。
「我が家の馬を預かってもらっている手前もあります。当主たる私も、たまには顔を見せねばなりません」
「と……いうことは……」
「メンバーは四人です。御者と、メイド――シエルです。……それにあなたと……私」
これは、私の希望による人選ではない。
断じてない。
ただ、『そうなっている』のだ。
二人目の【攻略対象】は、王都郊外で、私がレティシアに乗馬のレッスンをしている時に、出会うことになっている。
なぜ、お邪魔虫の悪役令嬢をことごとく絡めるのか。
見えざる劇作家は、恋愛物語を素直に楽しみたい観客と、せっかくのイベントなのに意地悪される主人公の気持ちを考えてはどうか。
乗馬の前後に、詳しい描写はなかった。
旅行が泊まりがけになったのも、成り行きというやつだ。
イベントさえ起こせればいいと、日帰りの予定を立てようとした私に、シエルが珍しく反対意見を述べた。
それは無論、私には当主権限がある。
唯一、私がいない『現場』ではシエルに現場判断を許しているが、それ以外では、常に私の権限が強い。
しかし、距離や練習時間、その後の身体の休まり具合……など、丁寧に、泊まりがけの方が良いと説明されては、仕方ない。
呆然としたように動きを止めている妹に、私は念押しした。
「よろしいですわね?」
妹が、飛び跳ねるように席を立った。
「はい! ――はい!! お姉様とこんなにも早く旅行できるなんて、思ってもみませんでした!」
……何がそんなに、嬉しいのだか。
と、切り捨てたいのだけれど。
……分かって、しまう。
分かってしまうのだ。
私が、妹がいることを知って、嬉しかったように。
妹も、姉がいることを知って、嬉しかったのではないか。
彼女なりに、姉というものに憧れを抱いていたのではないか。
……私は、そんな風に慕われるような、いいお姉ちゃんには、なれないのに。
私は、彼女の期待を裏切ることしかできない。
妹の期待を裏切るのは、姉にとっては、身を切られるように辛くて、情けないことなのに。
……一年後には、きっとこんな笑顔は見られない。
「――食事中に席を立たない。はしたないですわよ」
「あ……すみません、お姉様」
レティシアが、スカートを整えて、席に戻る。
「宿泊場所は牧場側の館ということで、あまりマナーにはうるさくありません。ですが、レティシア。あなたはヴァンデルヴァーツ家の令嬢であり、公爵家の名誉を背負っているのだということを、自覚なさい」
「……はい」
私は、『悪役令嬢』だ。
嫌われなくてはいけない。
私と彼女は、運命に定められた敵同士だ。
だから、私は妹を傷付けるような言葉を選んで、続けた。
「あまりにも目に余るようなら、見捨てますわよ。――"裏町"に戻りたくはないでしょう」
「……申し訳ありません。これからも努力いたします……」
丁寧に頭を下げる妹。
その所作も、言葉遣いも、貴族教育の成果が出ている。
……妹の魅力を、型にはめて、押し殺そうとしているのではないかという気分になった。
妹は、"裏町"で……貧民街で、それでも純真さを失わずに、育ってきたのに。
今の立場は、レティシアが望んだものではない。
彼女は一度も、貴族になりたいなどと言わなかった。
彼女は、ただ母の遺言に従って、私に会い……私は運命に従った。
それだけの関係だ。
私は、妹の踏み台でいい。
妹には、私亡き後を生きていくだけの強さを手に入れて欲しい。
攻略対象に支えられるだけでなく、攻略対象を支えられる強さを手に入れて、お互いに支え合える関係になって欲しい。
姉として願えるのは、きっとそれだけだ。
けれど私の妹は、少し元気がないながらも、こんな姉に笑顔を向けて見せた。
「……でも、私はお姉様と旅行に行けることが嬉しいです。……週末を、楽しみにしていますね」
「……そう」
タイミングよく、食後のデザートに、カットされた果物が盛られた鉢が運ばれてきて、私は会話をそこで終わらせることができた。
嫌われなくてはいけないのに。
私と彼女は、運命に定められた敵同士なのに。
……なのに、なぜ。
なぜ運命は、最初から妹に、私を嫌わせなかったのだろう……?
瑞々しい果物のはずが、砂を噛むようで、何を食べたのかも分からなかった。