貴族教育
貴族に求められる能力は、多岐に渡る。
究極的には、領地を富ませ、維持する才覚があればいい。
国家とは、領地の連なり。王家たるユースタシア家の持つ『王家直轄地』に、各貴族家が保有する領地を足したものが、ユースタシア王国の国土だ。
しかし、先人達は、『貴族』という地位に付加価値を持たせようとした。
明確な差異を、作ろうとした。
『私はお前達とは違う』と、貴族と庶民とを、明確に分けた。
『貴族的』な慣習に、『貴族に相応しい振る舞い』たるマナー。
個人的には必要だったのか分からない。そんなものにかまけている暇があれば、もっと実務を……と、ユースタシア国民なら、多くが思ってしまうのではないか。
ただ、この大陸にある国はユースタシア王国だけではない。
多少の差異はあれど、どの国も同じような成り立ちを経て、同じような制度を持つに至った。
婚姻による交流も行われ、ユースタシア王家にも他国の血は入っているので、文化的な類似点があるのは当然かもしれないが。
ヴァンデルヴァーツは外交の際に表に出る家ではないが、外国よりの賓客を接待することもある。――その『裏』を探ることも含めて。
国家の威信とは、決して、農地の肥沃さと騎士団の精強さだけで保たれる物ではない。
レティシアも、貴族として教育されることになった。
幸い、"裏町"と言って世の人が想像するほど、立ち居振る舞いが絶望的だったりはしない。
レティシアも含む、"裏町"の住人達は、ユースタシアの民だ。
なにより、王都の住人だ。
貧民街という言葉が相応しいとしても……あそこは、王都の一部。
あくまでも、地続きの世界に住む、この国の民だ。
レティシア自身の物覚えも、悪くない。
【月光のリーベリウム】では、主人公は学んだ知識を【ミニゲーム】という形で試される。
選択問題を答える、という形式のようだ。
……『恋愛シミュレーションゲーム』とは、実は娯楽ではないのだろうか? と一瞬思ってしまった。
いったい、何を試されているのか。
それは分からないが、私の分かる範囲では、かなり基本的なことしか聞かれない。もしも今の私が受けたなら、まず満点だろう。
その再現は難しいが、テーブルマナー、ティーマナー……それに歴史など、レティシアにつけた各専門教科の家庭教師達に、時折、理解度を確かめる小テストを、選択問題で作るようにお願いしておいた。
シナリオの再現、というよりは、選択式で理解度を測るテストは悪くないな、と思ったのだ。
私の時は、ほとんどが口頭試問……家庭教師に質問され、それに答えるという形だった。
後で見返すことができないのは、知識と経験の浅い妹には酷だろう。
私の場合は、家庭教師がいない間も教本を読み、シエルに付きっきりで教えてもらってなんとかなった。
彼女自身は貴族ではないが、私の教育に当たって学び、かつ家庭教師の授業も、私の背後に控えるという形で一緒に受けているので、シエルのマナーは完璧だ。
今日からすぐにでも貴族になれるだろう。
レティシアは、少しずつではあるが、貴族としての立ち居振る舞いを身に付けつつある。
食事に、お茶の時間など、日々の生活がそのまま、学びの場だ。
貴族は、幼少時からそのようにして、貴族になっていく。
――妹に見られていると気が抜けないので、食事の時間が、以前と比べて、緊張する時間に変わった。
けれど真剣な目で私の動きを見て、真似て、覚えようとするレティシアが可愛いので、楽しい時間でもある。
成長度合いを観察するという名目があるので、見放題なのも嬉しい。
至らないところを指摘する際、なるべく嫌味っぽくしなければならないのは心労が溜まるが。
その、今では訓練の場となった朝食の席で、食後のコーヒーを待つ間に、妹が控えめに切り出した。
「……お姉様。私に、ダンスを教えていただけませんか?」
「私に? ――家庭教師をお願いしてあるはずですが」
「その家庭教師の先生から、経験が足りていないので、自宅でも練習しておくように、とのことで」
……ダンスか。
妹に、手取り足取り、優しく教えながら、一緒の時間を過ごす……。
……憧れないと言えば、嘘になる。
けれど、それは『悪役令嬢らしい振る舞い』だろうか?
……否。
厳しく行くと、自分に誓った。
妹に必要なのは、私との時間ではない。――もしも本気で助命嘆願されるようでは、運命が歪む。
【月光のリーベリウム】のシナリオ通りに進めるつもりなら、妹からはかろうじて助命嘆願される程度に、けれど妹のパートナーや他の者達には断頭台に送るのが相応しいと思われるだけの『いじわる』を重ねなければならない。
いっそ、徹底的に嫌われる方が楽――……かは分からないが、加減が難しいのは確かだった。
これでも貴族。それも当主だ。
妹に、社交用のダンスを教えるぐらいは、できる。
しかし、舞踏会では、いつも壁の花だ。
一応、錆び付かないように、たまにシエルに練習に付き合ってもらっているが。
わざわざ"冷徹非情のヴァンデルヴァーツ"の当主を誘うような物好きは、いないのだから。
たまに見かねた王子が誘ってきたりするが、立場上、断れないので迷惑だ。
妹へのダンスレッスンは、楽しいかもしれない。
けれど、そんな描写は、ない。
主人公が、悪役令嬢である姉にダンスレッスンを頼むような【公式イベント】は、存在しないのだ。
ならば、合理的に進めるべきだろう。
私は、背後に控えるシエルを振り返った。
「シエ――」
「それで、先生から、『あなたの姉も私の生徒ですから、教えてもらいなさい』と……」
……せんせい?
かつての恩師に、知らぬ間に逃げ道を封じられていた。
家庭教師はツテを辿って手配したから、今も現役の先生……私自身が教えを受けた方が含まれるのは当然というもので、自業自得とも言える。
思わず、助けを求めてシエルを見てしまう。
彼女は、すっと一礼した。
「はい、アーデルハイド様」
彼女の姿勢がいいのは、ダンスレッスンのおかげかもしれない。
惚れ惚れするような優雅な所作だ。
「練習場所と、練習用の衣装の手配をいたします。スケジュールの調整も、お任せください」
違う。
そうじゃない。
メイドとしては完璧だけど、そうじゃない。
顔を上げたシエルが、じっと私を見つめる。
「……何か、至らないところがございましたか? 抜けがあればご指摘願います」
「いいえ、シエル。あなたに至らないところなんてありませんわ」
強いて言えば、メイドとして完璧すぎる。
そつなくこなしすぎて、もう、断るという選択肢がなかった。
「……進めてちょうだい。――レティシア、練習に付き合ってさしあげます。ありがたく思いなさい」
なるべく恩着せがましく、いやみったらしく言う。
「はい! ありがとうございます、お姉様!」
しかし効果が見えない。
私の妹は、今日も元気だなあ。
運ばれてきた食後のコーヒーを口元に運びながら、思わず、遠い目になってしまった。