「義務と忠誠を」
なぜ、こともあろうに、いい雰囲気になった令嬢の前で、『あなたの姉が自分の婚約者候補だった』――などと言うのだ、この馬鹿王子は。
デリカシーゼロか。
それとも、なにか? うちの可愛い妹に対して、そういう気がないと釘を刺したつもりか? あ?
王子に対し、今までで一番攻撃的な気分になり、戸惑うほどだった。
「お、お姉様に婚約者が? え、そんな……」
レティシアも、思わぬ話に戸惑っているようだった。
「……落ち着きなさい、レティシア。『候補』。それも、流れた話ですわ」
「……はあ」
「お父様は私を次期当主の本命候補とは考えていなかったようです。年の近い私を王族に嫁がせ、新たな子供が生まれればそちらを当主に……と。そういう案もあったと、後に聞きましたわ」
結局、母は第二子を授かることなくこの世を去り、私は爵位継承権第一位のまま父の死を迎え、当主に就任した。
――母は身体が弱かったから、第二子が生まれなかったのは、病弱な妻を気遣った結果なのかもしれない。
かといって、よその女を孕まされても、娘としては複雑すぎる。
……それでも。
待っている未来が、断頭台だとしても。
私は、レティシアという妹がいてよかったと思う。
でも、浮気は許してない。
死後の世界とやらがあれば、父からきっちり事情を聞き出して、どんな事情だろうが不貞そのものは叱らせてもらう。
「……今の私は、ヴァンデルヴァーツ家の当主ですわ。王家に嫁ぐような縁談は、もう絶対にありませんわね」
「あなたの当主就任で、唯一良かったのはそこですからね」
うんうんと頷き合う。
私が彼の婚約者になるには、私が、かつてはヴァンデルヴァーツ家唯一の子供であり、今では当主であるという『問題』がある。
だから、彼には王になってもらわないと困るのだ。
応援している、と言ってもいい。
王の資格なし、されど貴族としては有能……などという中途半端な評価を受けて継承権が変化し、まだ幼い第一王女や第二王子に順番が回るようなことがあれば、私との縁談が現実味を帯びる。
さすがにそんな、絶妙な馬鹿ではないはずだが。
「……お二人は、昔からのお知り合いなのですか?」
「「一応」」
ハモってしまい、ふんっ、と鼻を鳴らすが、それもかぶった。
「……仲がおよろしい……」
「ないですわ」
「ありません」
相性が悪い。
私も彼も負けず嫌いで意地っ張りだ。
大人の目からは仲が良く見えていたようだが……子供とて、好き嫌いや相性というものもある。
子供の喧嘩が微笑ましいものばかりだと、思わないで欲しい。
彼にとって不幸だったのは、私が一つ年上ゆえに、彼がどう足掻いても一年の差を埋められなかった、ということか。
特に幼い頃は女子の方が成長が早い。
そして私は一足先に当主になった。
もう、彼との溝は、何をしても、絶対に埋まらない。
私と彼は、平行線なのだ。
……そういえば、父の葬儀の時、彼の顔を見てほっとしたことがあったのを思い出した。
もう親族は誰もいないと思った。
シエルの他に、私の支えになってくれる人は、もう、誰もいないのだと。
でも、腐れ縁で、顔を合わせれば憎まれ口を利く仲で、きっと『仲良く』なることはないのだろうが、それでも。
いつかの未来では、きっと彼はユースタシアの国王になり、私はヴァンデルヴァーツの当主であるのだと、そう思えた。
彼が支えてくれるのではない。私が、勝手に意地を張るだけの話だ。
でも、そういう相手がいるのは……ありがたかった。
拷問を受けても、絶対に誰にも言わないだろうが。
彼はヴァンデルヴァーツという家が嫌いで、私は我が家の裏稼業を……うしろめたさがないと言えば嘘になるが、それでも誇りに思っている。
私と彼が、仲良くなることはないだろう。
けれど、お互いのことは分かっている。嫌になるぐらいに。
私と彼は、平行線だ。
交わることは、ない。それはない。
けれど、距離が開き過ぎなければ、ずっと同じ方向を目指して、線が引かれていく。平行線だから。
私の線は、後一年ほどで途絶えるだろうが、一足先に、重荷を下ろさせてもらうだけだ。
レティシアがいれば、きっと上手くいく。
私は義務を果たす。
忠誠を誓ったのだから。
――『義務と忠誠を』。貴族の決まり文句は、私の中に息づいている。
私の首よりも、誓いは重い。それだけだ。
ついでに妹が幸せになるなら、文句もない。そういうことだ。
「それでは殿下。私達はこれで」
「ええ。道中お気を付けて」
ふっと笑った。
「嫌味のない挨拶を、久しぶりに聞きましたわ」
「私もです」
むしろ、そんなものを聞いたことがあったのだろうか?
会えば憎まれ口を利いて、嫌味を言う。挨拶のように。
「……それと、少し見直しました。あなたが、妹をかばうような真似をするとは」
「……ヴァンデルヴァーツの名を汚されるのは、我慢ならなかっただけですわ」
王子は、私に見せるのは珍しい笑顔になった。
「そういうことにしておきましょう」
そういうことにしておく、とはどういうことだ。
その、上から目線の余裕ぶった表情を引き剥がしてやりたくなったが、今日は、レティシアも疲れただろう……と、この場は見逃してやることにした。
貴様を救ったのは、うちの可愛い妹だということを覚えておくがいい。
――帰りの馬車でも、レティシアは私の隣にスムーズに陣取った。
行きに強く言えなかったのに、帰りに言えるはずもなし。
レティシアが、私に笑顔を向ける。
「お姉様、今日はありがとうございました」
「……礼を言われるようなことではありませんわ」
「私にとっては、お礼を言うようなことなんです」
そして、ぎゅっと私の腕に自分の腕を絡めてくる。
あ……あったかい。
レティシアは私より体温が高いのか、その温もりが、心地良かった。
……思い返せば、人の温もりを感じるのは久しぶりだ。
母を除けば、それこそシエルぐらい。
そのシエルにしても、あくまで幼い頃だけだ。
今でもメイドとして髪を洗って乾かしてもらったり、ドレスを着る際に手伝ってもらったり、身体が触れるぐらいのことはあるが。
こんな風にぎゅっとされることは……なかった。
……本格的に懐かれた、ような気がする。
目の前のメイドにも、微笑ましいものを見る目で見られている。
ダメだ。
こんな風では、いけない。
妹は、主人公。
私は、悪役令嬢。
それ相応の、役に沿った立ち位置というものがある。
私は、決意を新たにした。
明日から、厳しく行く。
――貴族というものを、叩き込んでやる。
しかし、とりあえず妹をねぎらうことにした。
できた時は褒めるのが、教育というものだ。
立場上、あまり優しくはできないが、事実を事実として伝えるぐらいは、許されるだろう。
「……まあ、今日はそれなりに頑張りましたわね。正式に貴族と認められたのですから、明日からは厳しく行きますわよ。――義務と忠誠を」
「はい! ――義務と忠誠を!」
そんなに明るい『義務と忠誠を』は、初めて聞いた。
私の妹にかかれば、厳かで重苦しい決まり文句がこのザマだ。
明日から、厳しく行くと言ったのに。
今日までは、儀式のための最低限の振る舞いだけを教えたが、明日からは本格的に、貴族教育を始める。
……明日から。