無限の【DLC】
物語の完結後は、どうなるのか?
通常、そこには何もない。
今聞いたのも、私……『アーデルハイド・フォン・ヴァンデルヴァーツ』を攻略した場合の【エンディング】がどういうものか、という意味だった。
しかし、無限の【DLC】がある、と妹は言った。
「さすがに無限は比喩ですけど。決まった完結がない……ぐらいの意味です。でも、あの集金システム怖いですね。小さいものは"仕立屋"さんが売ってくれる衣装とかで、中くらいだと既存キャラの追加シナリオ。大きいものだと、【攻略対象】まるごと追加されるんですよ。他のキャラ攻略中に推しの新情報があったりして。あ、私の推しはお姉様ですからね!」
違う世界の文化。違う世界の言葉。……未知の概念。
私は、混乱の只中にいた。
最初に【月光のリーベリウム】のことを知ってから、それら未知の概念を、どうにか自分の知っている概念に落とし込もうと努力してきたつもりだが、一気に放り込まれ、追いつかない。
「……とりあえず、『推し』ってなにかしら?」
「贔屓の役者さんとか、好きな登場人物とか……ざっくり言うと、『好きな人』ってことでしょうか」
ふむ。
「例えば私なら、『推しはレティシアです』って言えばいいの?」
「い、いえ。普通は恋人とかには使わないんですけど……」
照れるレティシアに、ちょっと照れる。
「それで、『でぃーえるしー』って?」
「【DLC】は略語で、正式には【ダウンロードコンテンツ】って言って、……演劇の追加公演みたいな感じでしょうか? 続編とはちょっと違って」
頑張って噛み砕いて説明してくれようとするレティシア。
おかげで、なんとなく分かった……ような。
「私も全部知ってるか分からないんですけど……お姉様の追加シナリオが、一番好きです」
「……私は、どんな風にあなたに接したのかしら」
レティシアが、首を横に振った。
「『私』でも、『お姉様』でもないです」
「え、でも……」
「――ゲームの中の『レティシア』は、私じゃありません、お姉様」
ずっと繋いだままの手に、そっと力が入れられる。
「私達は、それをなぞって演じてきたのかもしれないけれど。違うセリフ、たくさん言いました。ゲームの中の私は陛下の前で転んでないし、雷を怖がってお姉様に添い寝されたりしてません。風邪を引いた時にあんなに親身な世話もされてないはずだし、お風呂だってもっと後です」
「一緒にお風呂入る【公式イベント】もあったのね?」
「同性の姉妹ですから」
それはそうだが。
なんか複雑だ。
「……私、【イベント】の全部をなぞろうとしてないんです」
「……そういえば、そうね。どんどん【公式ゼリフ】の割合が少なくなって……」
だから、不安だった。
物語が進む度に、分からなくなっていったから。
私の知っている知識を、信じていいのかどうか。
ヤマイドメが、本当に疫病に効くのかどうか。
妹の演説が、"裏町"の住人の心に届くのかどうか。
妹が、幸せになれるかどうか。
「それはお姉様が、知らないルートのセリフを公式と分からなかっただけかもしれませんけど。違いが積み重なって、矛盾するところも、多くなってしまって……でも、お姉様のそばに、いたくて。声が聞きたくて。触れ合いたくて。私の大好きなお姉ちゃんがしてくれることなら、『いじわる』だって嬉しくて」
妹の声に、力が入る。
「確かにお姉様はシナリオ通りの意地悪とかして、辛く当たったつもりかもしれません。でも、それだけじゃなかった。かばってくれて、気遣ってくれて、大切にしてくれた。――私、それに気付かないような鈍感系主人公じゃありません」
きっぱりと言い切るレティシア。
「鈍感系主人公? ……だいたい聞いたままの意味でいいの?」
「多分それでいいです」
頷く妹。
……純真なところが嘘だったとは思わないが、どうやら、これまで見てきた妹の態度は、まったく裏がない素でもなさそうだった。
しかし、当主としての仮面に重ねて、悪役令嬢の皮をかぶって接していた私に何が言えるだろう。
後、そういうのも好きだ。
惚れた弱みというやつを感じながら、この妹、私のこと大好きだなという実感を噛み締める。
私の価値観では、両方が弱みを握り合った状態を対等と呼ぶ。
つまり、お互いに惚れているなら、それは弱みを握り合って対等な状態、すなわち両想いと言えるのではないだろうか。
しかし、一つだけ聞いておかなくてはいけない。
「……【疫病】のような、私が知っておいた方がいい情報、ないのね?」
「ありません。私の知る限り……ですけど」
レティシアが即答し、私は、ほっと息をついた。
これからも、私が……"冷徹非情のヴァンデルヴァーツ"が、対処せねばならない問題は起こるだろう。
けれど、我が家は手を汚すばかりではない。――手を汚さないためにも、網を張り巡らせ、目を光らせている。
先日も、"裏町"の暴動を未然に防いだように。
あれは、レティシアという反則級の切り札を使ってのことだが、そのために断頭台行きさえ覚悟して、一年がかりでお膳立てしてのことでもある。
情報源は特殊だが、ヴァンデルヴァーツの本領発揮とも言えるだろう。
「……お姉様。お姉様は、私のこと好きですよね。ベタ惚れですよね」
「え、あ、ええ……そうだけど。そんなはっきり」
唐突にそんなことを言われると照れる。
「だから、一つだけ我が儘を言わせてください」
「……聞くだけは聞きましょう」
聞いてしまえば、頷かざるを得ない気もした。
しかし、それでも聞けない頼みもあるだろう。
私の妹に、これからも"救国の聖女"であることを――誰からも愛されるような立場を、望むのならば。
レティシアは、何を言うのか。
「――お姉様に、我が儘を言われたいです」
「……それのどこが、我が儘なの? どういう意味?」
しかしあまりに予想外の方向性で、私は戸惑った。
「……お姉様。舞踏会で私に言ってくれたこと、私もお姉様に言いたいです」
「どれ?」
「アーデルハイドお姉様。――あなたは、自由にしていい」
「じゆ……う?」
そんなものは、なかった。
私は、世の多くの人がうらやむような物を、たくさん持っていた。
でも、私に自由だけはなかった。
心の中に、綺麗な鳥籠がある。
「ヴァンデルヴァーツ家の当主としての責任を捨てろと言うんじゃ、ありません。ただ、それだけじゃなくて、時々は、自分の心に従ってほしいんです。……我が儘を、言ってほしい」
猛禽が閉じ込められた鳥籠の外で、小鳥がこちらを見ている。
何にも繋がれず、囚われず、けれど大空へ飛ばぬことを選んだ小鳥が。
私はずっと、鳥籠の中にいた気がする。
自分で自分を檻に入れていたような。
「……シエルにも、同じようなこと言われたわ」
「シエルさんが?」
「ええ。……昔。父が亡くなって、私が当主になった時に、ね」
鳥籠には、鍵も掛かっていない。
私は、選ぼうと思えば、どんな道も選べた。
でも、私の前には道が敷かれていた。
大陸最大最強の軍事国家、ユースタシア王国の公爵家、"冷徹非情のヴァンデルヴァーツ"の当主となる道が。
私は、そのために教育を施された。
でも、シエルは言ってくれた。
私を完璧な当主へと育て上げることが仕事であるはずの彼女が、それでも。
「自分の心に従う選択肢を持てって。私の幸せを見つけたら、それを選んでいいって。……我が儘を、言っていいって」
貴族としての地位に頼らず、一人でも生きていける生き方を――飛び方を、教えてくれたのだ。
シエルはきっと、私をどんな生き方も選べるように育ててくれたのに。
それでも、私が選んだのは、ヴァンデルヴァーツ家の当主だ。
私には皆の期待を裏切ることはできなかったし、私が大切に思うものは……王国や領地と結びついて、分かちがたかった。
今でも、他の道を選んでいればどうだったかという夢を見ることがある。
後悔はしていない……と言い切ることもできない。自分で選んだ道だが、辛くなることもある。こうすればよかったと思うことも。
それでも、私はきっと同じ選択をする。
手を、そっと離す。
膝の上に手を置き、妹の目をまっすぐに見つめた。
「……もう一つ聞きたいんだけど」
「はい」
レティシアがじっと私の言葉を待つ。
自分で聞きたいと言っておいてなんだが、聞くのが怖い。
「……追加された攻略対象の『メイドさん』って、シエル?」
「あー……あはは……」
笑って誤魔化そうとするレティシア。
「……はい、そうです」
しかし、じーっと見る私の視線に耐えかねたのか、すぐに観念し、白状した。
「シエルさん、元々ゲームでは【サポートキャラ】で、色々教えてくれるんですよ、ゲームシステムとか、キャラごとの好感度とか……。実際に好感度がどうとかは聞いたことないですけど、家庭教師の先生方と一緒に、色々と教えていただきました」
私が、最も頼りにする当主補佐にして、養育係・兼・教育係だ。
促成栽培になりがちなレティシアの教育にも、当然携わっている。
「私が言うのもなんだけど、私とシエルだったら、シエルの方がいいと思うの」
「そんなことありませんよ」
と言われても。
公爵家の当主であること以外に、どこが勝っているというのか。
「昨夜、分かってくださったんじゃないんですか? ――私が好きなのはお姉様だって」
「そ、それはそうだけど」
今度は、私がじーっと見つめられる番だった。
「シエルさんのシナリオも、物語としては好きです。お姉様にとっては、シエルさんの方が、自分より魅力的だと思うのかもしれません。……でも、条件で人を好きになるわけじゃないでしょう?」
「……ええ、そうね」
条件で相手を選ぶのは、貴族としては当然のこと。
それでも、私が好きになったのは、実の妹であるレティシアだった。
「私がシエルさんのシナリオ好きなのは、お姉様の情報が一番多いからなのもありますし」
どんな内容か聞いてみたかったが、聞くのが怖かった。
……シエルがどんな風にレティシアと結ばれるのかを聞いたら、嫉妬しそうというのもある。
なまじ自分に近しい相手だけに、上手に切り分けられるか、分からなかった。
「……正直に言うと。私の推しはお姉様ですし、絶対に断頭台に行かせないことは決めていたんですけど」
何を言いたいのか。
続く言葉を待った。
「――最初は、恋愛対象というわけじゃなかったんです」
心がざわっとした。
ぐちゃぐちゃの感情が剥き出しになり、鳥肌が立つ。
自分で、『私とシエルだったら、シエルの方がいいと思う』とか言っておいて。
いざ妹の口からそんな言葉を聞くと、心穏やかではいられなかった。
「自分が、本当に【月光のリーベリウム】のシナリオに操られていないか、自信が持てなかった。自分が選ぶ立場だとも、思えなかった。……"裏町"育ちの小娘が、愛されるのかも……」
その寂しげな表情に、彼女と私の境遇の差を、思わず忘れていた自分に気が付いて、はっとした。
――もう、【演説】は終わったから。
"裏町"出身という主人公の過去は『使われた』から。
でも、過去は消えたりしない。
それはずっと、これからも残る。
「……でも、私には、本当にお姉ちゃんがいた」
妹の口元が緩められる。
「一目見て分かった。……一目見て、分かってくれた。あんな頼りない証拠で、私を妹だって認めてくれた。シエルさんみたいな、お姉様とずっと一緒の人に、よく似ているって言われたのも、嬉しくて」
それは、私が妹と初めて会った時のこと。
あの瞬間に、私と妹は『姉妹』であると認め合った。
「……お姉様との【エンディング】は、ないしょです」
「え」
思わず声が出ていた。
それは気になる。
「これからお姉様に言いたい言葉は、ゲームの中のセリフとは違うから。シナリオ通りのことも……そうじゃないこともあった。それでも、その時々のお姉様と一緒に過ごした今だから、自信を持ってこう言えます」
愛しいものを見る笑顔が、私に向けられた。
「愛してます」
「っ……!」
シンプルな一言で、心臓が鷲掴みにされた。
昨日から、今まで信じていた運命が覆された衝撃に襲われるやら、妹の愛らしさにきゅんと来るやら、激しい運動をするやらで、心臓への負担が大きすぎる。早死にするかもしれない。
昨日まで断頭台に行こうとしていた身で長生きについて心配しているのも笑える話だが、今はそういうことを考えたくなったのだ。
妹が、未来をくれたから。
胸を押さえながら悶える私を、レティシアが苦笑しながら見ていた。
「それで、お姉様。……我が儘、思いつきましたか?」