追加情報
「……どういう、意味かしら?」
妹の言葉の意味が分からない――いや、分かりたくない。
そんな最初期から、私が言葉の割に妹を大切にしているとバレていたとは、認めたくなかった。
もう少し後なら、まだギリギリのところでプライドを保てる。
寝言ならまだ仕方ないとも思えるが、そんな、劇でいえば第一幕で、妹を好きなことが――それも本人に――バレていいはずがない。
「『廃棄しろ』って言われたらしいお布団はどこも悪くなってなかったし、部屋が不思議と温かくて。調べてみたら、これは床下が温かいんだなって。所々に空いている節穴も、妙に大きくて……真新しくて」
まさかそこに気が付いたのか?
せっせとキリで節穴を拡大した暖房のための工夫は、誰にも気付かれないだろうと思っていたのに。
「聞いてみたら真下の部屋は使用人の休憩室で、使用人予算増額の代わりに、暖炉の火を絶やすなって言われたってみんな口を揃えて言ってました。余った予算で買ったおやつなんかも分けていただいて」
「…………」
いたたまれずに目をそらす。
彼女が、真に無知な"裏町"育ちの少女なら、ごまかせたかも知れない。
しかし彼女は『主人公が本来どんな環境に置かれるか』を知っている。
その環境と、今の自分が置かれている環境とを比べられる頭があれば……私が妹を疎ましく思っているのは口だけだ……という推論は容易い。
「ヴァンデルガントからの帰りの馬車でも、思い切って手を握ってみたら、握り返してくれて……」
悪役令嬢的には認められず握り潰した、おぼろげな記憶が蘇る。
あれ、やっぱり現実だったのか。
眠い時の私は、悪役令嬢的には本当にポンコツだったらしい。
「……でも、直接確かめる勇気は、なくて」
妹が、ぽつりと呟く。
そらしていた視線を戻すと、彼女はうつむいていた。
「……言葉通りに嫌われていたら、どうしよう……って」
口にした言葉は、取り返しがつかない。
妹は、いつも気丈に振る舞っていたが。
私が口にしていたのは、ほとんど全部が妹を傷つけ、自らを嫌わせる意図の下に吐かれた言葉だ。
それを受け続けて、傷つかない人間なんて、いるはずがない。
後悔しても、し足りない――
「なので、最悪、私が嫌われていたとしてもお姉様の断頭台は回避できるように、仲良し姉妹アピールだけはしておこうって思って、頑張りました」
「え、いや。ちょっと待って」
今、話が飛んだ。
「本当に嫌われてたら……どうするつもりだった、の?」
「どうもしません」
顔を上げると、妹はにこっ……と微笑んだ。
ちょっと元気はないが。
「……私は、好きですから」
妹が私を『好き』なのは――薄々、気が付いていた。
しかしそれは、『非道な仕打ちをされても、それでも姉を慕う妹』としての役割に沿った物だと思っていて。
最後は、妹の助命嘆願も虚しく、姉は断頭台の露と消える。
主人公の心の優しさを汚さず、それでも悪役に分かりやすい断罪を与える――そんなお話だった。
けれど。
この妹は。
そんな物とは……姉妹の、家族の情とは違う『好き』を、ずっと胸の内に持っていたというのか。
私が、何かと厄介な存在である腹違いの妹を――本当は、大好きだったように。
それもまた、台本には記されなかった、演者によって解釈の違う内面の話。
「レティ、シア」
突発的に湧き上がった感情で詰まった喉をこじ開けるようにして、言葉を絞り出した。
「ごめんね。ありがとう。……大好きよ」
そんなことしか言えなくて。
伸ばしかけた手を、届かせることさえ、できなくて。
弱くて、臆病で、どうしようもなくて。
でも、妹が手を伸ばして、つかまえてくれた。
一回り小さい彼女の手が、むしろ私の物より大きく感じられる。
指と指を絡めて、隙間をひとつもなくすように手と手をつなぎ合う。
「……知ってます。お姉様が、私のこと、大好きだって」
妹の笑顔に、元気が戻った。
それだけで、胸に幸福感が満ちる。
しかし、レティシアはいたずらっぽい口調で続けた。
「昨夜も、たっぷり教えていただきました」
「……あの、半分ぐらい忘れて……くれたり……とか?」
妹が笑みを深くした。
「無理です、お姉様」
勝てる気がしなかった。
……妹と私が、勝ち負けや優劣の間柄でなくなったことは実に喜ばしい。勝てない相手と戦うのは馬鹿のやることだ。
運命が私の味方かどうかは、分からないが。
それでも、運命のシナリオとやらには、人の意思をねじ曲げて、強制し、押さえつけるほどの力は、ないらしかった。
運命の導きがあったとして、私は断頭台を目指し――妹はそれを阻止しようと動いた。
そして【月光のリーベリウム】は終わった――ように見える。
手をつないだまま、口を開いた。
「ねえ、レティシア」
「はい、お姉様」
「……私を選んだ場合、『完結後』はどうなるのかしら」
コンラートを選んだ場合が一番分かりやすい。未来の王妃となるわけだ。
フェリクスかルイとくっついた場合は、私亡き後のヴァンデルヴァーツ家を継ぎ、公爵家当主となる。
……で、私の場合は?
腹違いとはいえ実の姉妹で、女同士で……なぜ、その私が【攻略対象】なのだ。
「えっと、お姉様の知ってる【月光のリーベリウム】って……」
「私、断頭台に送られるルートしか……知らなかった、から」
死んでも構わないと思った。
運命の筋書きに甘え、当主としての責任に殉じつつ、妹の幸福を願いながら、断頭台に掛けられる予定だった。
でも、私は今も当主だ。
妹を守る、義務がある。
……妹を守るのは自分がいいという、私的な気持ちも、ある。
レティシアがすまなさそうな顔になった。
「ごめんなさい、お姉様。そんなクソルート行かせてしまって」
「……いや、異母姉を恋人にする倒錯的なルートもどうかと思うのですけど……」
レティシアが不思議そうな顔になる。
「え? お姉様のルート、一番人気ですよ?」
「……【月光のリーベリウム】は、【恋愛シミュレーションゲーム】で、主人公の女性に感情移入したり投影したりしながら、男性との恋愛を楽しむ遊戯なのよね?」
断片的な情報から組み立てた理解は、そうひどくは間違っていないはず……だ。
「はい。でも、恋愛対象は男性キャラに限らなくて。実はメイドさんとか隣国の王女様とか、女性キャラも【攻略対象】として追加されてるんですよ。シナリオはあくまで個別で、同時攻略とかはできないんですけど。……あ! 私はお姉様一筋ですからね」
「は?」
私は、思わず眉をひそめた。
……メイド? 隣国の王女?
何を言っているのだ、この妹は。
妹が『お姉様一筋』と言ってくれた以外、ほとんど頭に入らなかった。
……追加?
「お姉様のルートが一番人気でしたから、追加キャラとかシナリオ、ほとんど女性キャラで、私の知ってる範囲では、女の子との恋愛の方が多いですよ」
「どういうことですの」
「【月光のリーベリウム】は事実上、百合ゲーと認識されている……と言えば、分かってもらえますか?」
「いや、よく分からないわ……?」
妹が何を言っているのか、ちょっと分からない。
百合の花がどうしたと?
「お姉様。世の中には女の子と女の子の恋愛を愛でたい人達がいるんですよ」
「頭がめでたい人達ですのね……おかげさまで助かったようですが……」
ちょっと、愛読している小説、『女当主とメイド』が頭をよぎった。
私もそのお仲間らしい。
「ところで、なんで私なんかが一番人気ですの?」
「……単純にうちのお姉ちゃんが可愛いってのもあるんですけど」
いや、それはどうだろう。
そう思いつつも、さりげなく添えられた『うちの』という響きに、ちょっと心が温かくなる。
「別の人とくっついたら、断頭台に送られるキャラがいて、しかもそれが意地悪に見せかけて自分を想ってくれてる設定だったら、どう思います?」
「……あ、なるほど。めっちゃ後味悪いですわね」
『知って』いたなら。
悪役の胸の内を。冷たく意地悪に振る舞う女の、いっそ子供っぽい幼稚な意地悪の裏に秘められた感情を知っていたなら――知ってしまったなら。
……なんて道化だ。
その滑稽さを笑い飛ばす者がいて……笑い飛ばせない人がいるだろう。
「それで、完結後は? ……追加って?」
「ああ、【メインシナリオ】で、もちろん完結してはいるんですけど。それだけじゃ足りないって人向けに」
妹の言葉の続きを、固唾を呑んで待った。
「無限の【DLC】があるんですよ」
「……でぃー、える……しー? え? 無限?」
妹が、何を言っているか分からない。
そう思うのは、昨日から今日にかけてだけでも、何度目だろう。