長い夢の終わり
この世界は、月光のリーベリウムという恋愛シミュレーションゲームの舞台。
"裏町"と呼ばれる王都の貧民街で、一人で暮らしていた主人公の女の子は、実はユースタシア王国に三家しかない公爵家の血を引いていて、十六歳のある日、母が遺した手紙でその事実を知る。
公爵家、"冷徹非情のヴァンデルヴァーツ"の女当主である『いじわるな腹違いの姉にして、人の優しさを解さぬ高慢ちきなお嬢様』にいびられながらも、彼女は貴族として学び、様々な人物と出会い、絆を深めていく。
そして、疫病が大陸全土を襲う。
彼女は、貴族としての教養を修める際に偶然手に入れた知識――古くからあるが、近年は作物の生育を邪魔する畑の雑草として扱われ、忘れられていた薬草、ヤマイドメの真価に気付く。
血止めや眠気覚ましに使われ、飢饉の際に食べられる、木の皮と同程度の最後の手段。――そんな雑草を常食せざるを得ないほど追い詰められた、貧しい地域の方が、生き残った者の割合が高かったのだ。
それを原料にした治療薬が完成する。
最も被害が大きかった"裏町"の住民に対する演説を行い、不安を鎮め、治療薬を広めた彼女は、"救国の聖女"と呼ばれるようになった。
犠牲者を悼むために、そして、疫病の終息が宣言されたことを祝うために開かれた舞踏会で、彼女はパートナーにダンスを申し込み――想いを告げ、結ばれる。
その陰で、非道な女当主との立場は逆転した。
自らが助かるために多くの人命を犠牲にしたことを筆頭に、数々の罪業が暴き立てられ、物陰に潜む家守、冷徹非情と謳われた血塗られた公爵家の当主は、心優しい妹による助命嘆願をされながらも断頭台へ送られ、首を落とされた。
とうとう最後まで分かり合えなかった姉との別れを悲しみつつ、彼女はパートナーと共に、より良い未来を作るために歩んでいく――
この物語は、そんな風に終わるはずだった。
びくん! と身体が跳ねた。
目を開けようとしたが、くらくらとめまいがして、失敗した。
どっどっどっ……と、心臓が早鐘のように脈打っている。
わーん……と耳鳴りが響いて、うるさい。
長い夢を、見ていたような気がした。
私が――アーデルハイド・フォン・ヴァンデルヴァーツが知っていた物語は……実際には、どんな風に終わった?
目を開けるのが、怖い。
それでも、じっとしていると、心臓の動悸が耳鳴りと共に収まってきた。
ちゅんちゅん、という小鳥の鳴き声が窓の外から聞こえてくる。
そろそろと目を開けると、いつもの天蓋付きベッドの天井。
薄暗くとも、カーテンのほんのわずかな隙間から差し込む光だけで見えるということは、朝になっているらしい。
……寝息が、聞こえた。
こわばって浮いていた頭を枕に落とすようにして隣を見る。
ぼんやりとした薄明かりでも分かる、美しい金の輝き。
私と同じ青い瞳は今は閉じられて、あどけなさを残した寝顔は愛らしい。
昨夜寝るのは二人揃って遅く、さらに妹が先に力尽きたので私が着せた寝間着姿は、記憶の通り。
ほーっ……と息をつくと、肩の力が抜けた。
何度か深く息をすると、段々と落ち着いてきた。
けだるさをもてあそぶようにしながら、のろのろと身体を起こす。
そっと胸元に左手を当て……右手を口元にやって、唇に触れると、全身に昨夜の感触が蘇り……じんわりと頬が熱くなるのが分かった。
「んっ……んん゛っ」
軽く咳払いをして確かめると、少々、喉の調子も悪い。……大きな声を出しすぎた、だろうか。
逆に、声を出すのを我慢しすぎたせいかもしれない。
隣の執務室ほどではないにせよ、ここも防音はしっかりしている……はず。
扉の前でもなければ聞こえない……はずだ。
確かに『好きなようにしていい』とは言ったけど。
『優しくでなくても構わない』とも言ったけど。
一夜を経て、姉の威厳が残っているかは、定かではない。
しばらくじっと妹を見た後、ベッドを抜け出して、窓に歩み寄る。
カーテンを開けると、日光の眩しさに思わず目を細めた。
振り返ると、太陽の光が差し込んで、まっすぐベッドまで道を作っている。
その道に影を落としながらベッドに戻ると、妹の、陽光に照らされてきらきらと輝く金糸のような髪に指先を差し込んで、軽くすくい上げた。
さらさらとした、撫で心地のいい髪を何度か撫でる。
「ん……お姉様……だいすきです……」
愛らしい『寝言』に、思わず微笑んだ。
「もう……」
そしてほっぺをむに、とつまむ。
「寝たふりはやめなさい」
そろそろと目を開けるレティシア。
私は笑顔だ。
「……おはようございます、お姉様」
「ええ。おはよう、レティシア。私が起きた時に、起きたわよね。寝起きのいい妹で嬉しいわ」
むにむにと頬をいじる。
この感触も好きだな、私。
「で、さっきのはなに? 『寝言は寝て言え』と、当たり前のことを言わなくてはいけないのかしら」
ちょっと私が目指していた悪役令嬢っぽい物言いだ。
起きているか寝ているかぐらい、分かる。
……ということは、やはり初めて一緒に寝た時、『お姉ちゃん』と寝言で言いかけたり、抱きついてきたのは素だったらしい。
私の詰問に、妹は妙な躊躇いを見せた。
「……言っていいんですか?」
「言いなさい」
私がほっぺから手を離すと、レティシアが起き上がる。
そして、口元を手で隠すと、ちょっと目をそらした。
「……えっと……ヴァンデルガントで泊まった時、お姉様が言ってくれたのが嬉しくて……真似してみたんです」
「は?」
「『レティシア、大好き……』って、私を抱きしめながら言ってました。寝言で」
「…………は?」
ちょっと、妹の言っている意味が分からない。
ヴァンデルガントで泊まった時というと、あれだ。領主の部屋にベッドは一つしかないから、警備の関係もあり、一緒に寝た。
同じベッドで、一つの毛布で。
その初日、私は妹を抱きしめた状態で目覚めた。
――妹の証言を信じるなら、抱きしめるだけでは、なかったらしい。
「……忘れなさいって、言ったら」
「無理です、お姉様。……で、返事はよろしいですか?」
どこか懐かしいやりとりだ。
だが、悲しいほどに立場が弱かった。
そもそも、当時の強いはずの立場でも言うことを聞かせられなかったのだ。
そんな寝言を言っていたのなら、それも当然だろう。怖いはずがない。
「つまり、あれね。私、結構早い段階でボロを出していたのね……?」
「寝言ですから、お姉様」
慰めてくれる妹。
次に断頭台を目指すことがあれば、寝ている自分を信用すまい、と心に誓う。
しかしそこに、妹によってさらなる追い打ちが掛けられた。
「でも、"仕立屋"さんを初めて呼んでくださったあたりから、きつい言葉の割に、大切にされてるなあって」
「……え」
それは、『結構早い段階』どころの話ではない。
『最初期』だ。