あなたの好きなように
一緒に寝ないかというお誘いに、狼狽した様子の妹が目を見開いた。
「えっ。……同じベッドで?」
「ええ。寝間着も貸すから」
一瞬、私の寝間着で胸が入るかと不安になったが。ゆったりしたデザインの物もあるから大丈夫。……多分。
"仕立屋"が、寝間着も仕立てたいと言ったので任せている。
本人の趣味でデザインはいろいろだが、どれも着心地はいいので文句はない。
私は、朝の支度は一人ですませているし、寝ている時はメイド長として館の全室の合鍵を持っているシエル以外の入室を許していないが、使用人に見られても問題ない品格を保っている。
着心地。派手すぎない。品格。この三つが私が要求した条件だ。
それに反してはいないので、フリルやレースがついているのは諦めた。
妹が背に回していた腕を緩めて身体を少し離し、見上げてくる。
今日は妹とくっついている時間が長くて幸せだ。
「……はい。ふつつかものですが……」
嫁入りか。
「じゃあ、とりあえず寝る前に、身だしなみを整えてらっしゃい。寝間着を出しておくから」
「はい」
「洗面所、そっちよ。分からないことがあったら聞いて」
「はい」
妹が隣の洗面所に消え、私はその間に二人分の寝間着を出しておく。
そわそわと、既にベッドメイクされているベッドを無意味に整え……枕が一つしかないことに気が付いた。
普段、この当主の部屋は私が一人で使っているのだから当然だが。
クッションはある……が、迷った挙げ句に、一度持ち上げた枕を真ん中に戻し、クッションをベッドの隅に押しやった。
それから、妹と入れ替わりで一通り身だしなみを整え、お互いにドレスを脱がせあって、寝間着になる。
並ぶと、着ている寝間着が似たデザインで、同じ人間の持ち物とは思えない。
豪華なドレスを脱いでも、妹は可愛かった。
そして、今こんな格好の妹を見られるのは私一人なのだという、心にあふれる、濃い蜂蜜のようにどろりとした満足感をひとすくいして、ゆっくりと味わった。
緊張しているらしい妹に、先にベッドに寝転がって、両手を広げた。
「……来て?」
「っ~! はいっ!」
妹が飛びついてきて……けれど、勢いを殺して、そっと抱きついてくる。
丁度、頭が枕に沈む分で受け止められるぐらいの勢いだ。
妹の身体に布団をかぶせながら、抱きしめた。
抱きしめて、抱きしめられて……お互いの熱を感じながら眠る幸福を、私は知っている。
たった一度、乗馬レッスンの日、雷に怯える妹を抱きしめながら寝ただけだが。
ヴァンデルガントでは、起きたら抱きしめていて、すぐに離れなければいけなかったので、ちゃんと味わえなかった。
「……そうだ。ねえ、レティシア。雷に怯えていた時に……『怖い物なんて二つしかない』って言ってたわよね」
「え、今この状況でその話、します? ……私、そんなこと言いました?」
目をしばたたかせるレティシア。
「言ったわ。怖い物、一つは当然、雷よね」
「はい。住んできた家は、どこも避雷針が生きてるのかさえ怪しくて……もし雷が落ちたら、ひとたまりもないなって。……近所に落ちたことはあるんですよね」
優しくすると、胸の内で誓った。
「うちは雷対策万全だから、安心なさい」
その誓いを実行すべく、レティシアを抱きしめる。
「――それで、もう一つは?」
「……お姉様が、断頭台に行くことですよ」
私の薄い胸に頬を寄せながら、妹が呟くように話し続ける。
「私は、知っているのに。お姉様の攻略ルートの知識があるのに、そうできなきゃお姉様が断頭台に行くかもしれないのに。そうできなかった……」
背中をぽんぽん、と叩いてやる。
「……もし最初からお姉様の……【アーデルハイドルート】に入れてたら、牧場の宿では、最初からベッドで一緒に寝られたはずだったんですけど」
「……え、あの時、まあまあ序盤よね?」
「姉妹ですし。それにゲームのお姉様、チョロインで有名ですよ」
「ちょろい……ん?」
知らない言葉だ。
が、けなされているような気がする。
「恋人でもない、初対面同然の……いや、それ以下の、亡き父親との思い出を台無しにして、財産分与にも関わる邪魔者のはずの妹を、断頭台行きも辞さずに持ち上げるような、妹のことを好きすぎる、ベタ甘お姉ちゃんですよ」
反論しにくい。
それもこれも、妹が可愛すぎるせいだ。
「【断頭台】のせいで微妙に後味の悪い他ルートの口直しか、甘いエンディングを三回迎えてまだプレイする人へのご褒美かは知りませんけど。早々に、妹に対して甘々になったお姉様に溺愛される様を楽しむルートです」
「……溺愛?」
……【アーデルハイド・フォン・ヴァンデルヴァーツ】……『知らない私』が、そこにいる。
「……現実では、公式にないダンスレッスンもしてもらって、乗馬レッスンでは、公式通りより、ずっと早く二人乗りもできて」
そう言われてみると、二人乗りに動揺していた気もする。
「でも……牧場の宿で、ベッドが一つしかないから一緒に寝ようってお姉様から誘われるのが、お姉様のルート確定のサインなのに、その様子、なくて……」
ベッドが一つしかなかったので、私が妹のことを好きなら、あるいは逆に、妹のことをまったく意識していなかったなら、普通に同じベッドで寝ることぐらいは許しただろう。
私と彼女は、姉妹なのだから。
あの時の私は、悪役令嬢らしく振る舞おうと必死だった。
「こっちから誘ってもダメで。ソファーで寝ろって言われて。もしかしたら、ダメなのかなって思って……」
妹の言葉の端々に、苦しみと、痛みが滲む。
その様子に、心が痛んだ。
が、しかし。
「にしては、すぐ寝たわよね」
「体力温存は基本です」
即答するレティシア。
ちょいちょい見せるたくましさも好きだ。
「……それに、渡してくれた枕と毛布が、あったかかったから……」
微笑むレティシア。
その笑顔も好きだ。
が、しかし。
「あれ投げつけたの、いじわるのつもりだったんだけど?」
「やっぱりお姉様、致命的にいじわる向いてないですね。――枕と毛布ありなら、廊下に放り出すべきだと思います」
その発想はなかった。
「【承認の儀】で転んだ時も、やらかしたって顔面蒼白になってたところを、お姉様が、かばってくれて。かっこよくて」
……やはりあれは【イベント】ではなく『アクシデント』だったらしい。
「ゲームの通りじゃなくても、やっぱり優しいお姉ちゃんだって……ゲームのキャラクターじゃないお姉様を、あの時はっきりと見つけられた気がしたんです」
私は?
もしかしたら、私はずっと彼女を、物語の登場人物と見ていたのかもしれない。
私の予測通り――運命のシナリオ通りに動くしかできない、無力な女の子だと。
……とんだ思い上がりだ。
私の妹は主人公にふさわしい器だが、同時にそれに収まるようなタマではない。
妹がじっ……と見つめてきたので、背に回していた腕を彼女の後頭部に添えて、引き寄せた。
目を閉じて、今日で、三度目になる唇と唇のキスをした。
少しだけ楽しむ余裕が出てきた……と思ったのは一瞬で、妹が控えめながら舌で唇に触れてきて、ぴくん、と身体が反応した。
うちの妹は積極的だ。
おそるおそる唇の間から舌を出して応えると、やはりその動きに妹が応える。
追いかけっこのようで、お互いにその間に息を吸い、当然のように酸素が足らず、息が荒くなって……それでも止まらなかった。
ずっと、こうしていたい。
ただ、妹はそうは思わなかったようだ。
肩のあたりに当てられていた妹の手が私の胸に移動して、触れてきた。
「やっ、レティシア!?」
遠慮がちではあったが、割としっかりと揉まれたのに驚いて、思わず至近距離の妹の目を見る。
「あ、い、痛かったりしました?」
「え、いや……痛く、は……なかったけど……」
身を離しながら、じっと見つめ合う。
「………………」
「………………」
お互いに、同じことを感じていると思う。
何かが噛み合っていない。
私は慎重に言葉を選びながら口を開いた。
「……えっと、その。『したい』の?」
妹がこくり、と頷く。
彼女も口を開いた。
「お姉様、さっきの『一緒に寝ない?』ってお誘い、もしかしなくても健全な意味でした?」
私もこくり、と頷く。
初手で抱きしめたし、さっきも私からキスしたし、本当に健全だったかは分からないが。
「………………」
「………………」
再び見つめ合う。
妹が、ぱっと身を離し、半身を起こす。
そのまま両手で目元を覆って、叫んだ。
「色ボケな妹でごめんなさい……!」
斬新な謝罪だ。
「れ、レティシア。あのね?」
「本当にごめんなさい! お姉ちゃんと恋人同士だー! って思って、浮かれてて。不安から解放されたのとか、好き同士だったらこうしたいって妄想してたのとか、いろいろ溢れてなんかもう」
手の隙間から見える頬は、真っ赤で。
「レティシア。落ち着いて」
「告白した当日にベッドインとかそういうのないではないでしょうけど、っ――私達女同士で姉妹同士だし」
まくしたてる早口の中に、しゃくりあげるような涙声が混じった。
「――レティシア!」
先の妹の後を追うように半身を起こして、私にまたがったままの妹を抱きしめて、腕の中に収めた。
「……ちょっとびっくりしたけど、絶対に、嫌とかじゃないわ。……むしろ嬉しい」
「……本当ですか?」
落ち着いたが、錯乱状態の名残か、疑いを捨てきれないらしいレティシア。
本当かと聞かれると、本当だと答えるしかない。
彼女もまた、色々と抱えていたらしいが、脳内で特殊な競馬さえ開催していた私が、何か言える義理ではなかった。
抱き止めるようにしていた妹を解放し、彼女の肩に両手を置いて、目をまっすぐに見る。
「本当よ。……ほら」
彼女の手を取ると、自分の胸に導いた。
びくっと手を引こうとするのを引き止める。
自分の心臓が、どくどくと激しく脈打つのが分かる。……多分、レティシアにも伝わっているだろう。
遮るものが薄いし。
「……私はあなたに触れられて嬉しいし、私からも触れたいって思うわ。……その、恋人同士、なのだから」
私もちょっと浮かれている。
しかし同時に、この気持ちに先があるのかと、私の中のかろうじて残った冷静な部分はささやいてくる。
でも、そんな賢い部分には、今は黙ってもらうことにした。
この感情を肯定できない理屈に、何の価値もない。
「や、優しくするから……ね」
妹がもう片方の手も使って胸に触れてくるが、その手つきは先ほどよりも弱く、繊細なガラス細工に触れるかのようだ。
「……優しくでなくても、構いませんわ」
私は、呟くように言った。
「え?」
「私は……ずっとあなたに、優しくできませんでしたもの」
この一年……完璧だったかと自問自答すれば、まったくもってそうではなかったと認めざるを得ないが、私は悪役令嬢として振る舞った。
大好きな妹のためにと、断頭台を目指していた。
自分の心を偽って。
……大切なはずの妹を、傷つけて。
私は、どうして運命の筋書き通りに事が進まないのかと怯え、その結果、訪れるかも知れない最悪の結果を恐れていた。
――それと同じか、それ以上の気持ちを、妹も味わっていたのだ。
それも、死ぬ覚悟を……無責任に命を捨てる決断をした私とは違って、妹は手の届く限りの全てを助けようとしてのことだ。
何をどれだけ信じていいかも分からない、あやふやな世界の中で、バッドエンドではなく、ハッピーエンドを目指すのは、どれほど大変だっただろう……?
それも、運命の助けなしに逆走しようとする姉の首根っこを掴んで引きずり戻すのは、どれほど。
でも、妹は諦めなかった。
こんな私に、手を届かせてくれた。
愛しさの全てを微笑みに変えて、笑いかける。
「私もよく分からないけど……私はあなたのことを大好きだから、今日はあなたの好きなようにしていいのよ、レティシア」
ぎゅっと目を閉じて、ぷるぷると震える妹。
そして一拍置いて、思いきり叫んだ。
「……公式ゼリフの五倍は甘い……!」
それを聞いて、いったい『公式の私』は、どんなセリフで彼女に愛をささやいたのか気になった。
『公式のレティシア』が、それにどう応えたのかも。
そこでふと、不安と嫉妬心が頭をもたげる。
「……ところで、その、ゲームではもしかしてこういう……」
「【月光のリーベリウム】は全年齢向けだから」
レティシアは、みなまで言わせず、真顔で首を横に振った。
その言葉に、ほっとする。
「だから、ね。……私も、知らない。これは、【イベント】じゃない」
「……そう」
物語には、往々にして劇中では描写されないシーンがある。
きっと今は、そういうワンシーン。
私と妹だけの、二人きりの時間。
「……愛してるわ、レティシア」
「……私も、です。お姉様」
幸福感が、全身を満たす。
そして、ようやく欲しいものを手に入れた、満足感が。
……あるいは、手に入れられたのか。
どちらでもいい。
姉妹仲良く、一緒にいられるのなら。
私が妹の手を引くようにしてベッドに倒れ込んだのか。
それとも、妹によって私がベッドに押し倒されたのか。
それも多分、どちらでもいいことだ。