魅力的な選択肢
私は、【悪役令嬢】だ。
同時に【攻略対象】だと知った今でも、妹をどうやったら幸せにできるかなんて、分からない。
目を閉じたまま暗闇の中にいた私に、声が届いた。
「――『お姉様』」
さっきまでの震え声とは違う、凜とした声色。
その声の強さに、目を開ける。
「私、誰かに幸せを決められたくありません」
幼さを残す口調ではなく、貴族として、私が教えた話し方。
「明日、仕事にありつけるか……ご飯を食べられるかなんて分からなかった。ろくに食べられなかった日もあります。――【月光のリーベリウム】のシナリオを信じていいかも、分からなかった」
今日ここに至るまで、私と妹が辿ってきた道筋は、【公式シナリオ】とは、ところどころ……いや、かなり違った。
私が自分を【攻略対象】と知らなかったせいで。
もしかしたら、心に従っていれば……時折、心に浮かんだ言葉を素直に声にしていれば、そうなったのかもしれないが。
私はそんなに素直でも、従順でもなかった。
そこでふと、妹に迫られた時に頭に浮かんだ、脳内の競馬場を駆ける騎手達の姿が思い返される。
……あれは、私向けに調整された【選択肢】だったのだろうか。
いや、主人公にしか【選択肢】はないはずだが。
そもそも、かなり危ない選択肢が混ざっていた気がする。
膝枕はしてもらったけど。
「【疫病】を押さえ込むのに使えそうだったから、シナリオは利用させてもらいましたけれど」
……私の妹、たくましいな。
使えるものはなんでも使う。――怪しげで、情報の精度を疑っている運命さえ。
「それでも、【断頭台】だけは、そうならないようにしました。――私が知っているお姉様にふさわしいのは、断頭台なんかではありません」
まっすぐに、見つめられる。
「……その、何かした?」
「私が"救国の聖女"って呼ばれ始めたあたりで、何度か、当主の交代を支援する……みたいなほのめかしを受けたのもあって。お姉様をどうにか断頭台に送ろうとしている勢力があるかも、みたいな感じでシエルさんに相談して」
あー、知らせちゃったかあ……。
「『それは私がなんとかします』って言ってくれました。頼もしかったです」
シエルに証拠(一部捏造)……全部、握りつぶされたんだろうなあ。
私の力の大半はシエル由来だ。
当主である私でも、シエルに気付かれないように動かせる"影"の人員には限りがあるし、そもそも責任者がシエル。
「他には、隙を見てお姉様の魅力を布教していました」
「待って、レティシア。もしかして【合同演習】の時みたいに、あることないこと言ってないでしょうね」
こっそり天幕の陰から聞いていたら、そこに集うヴァンデルガント領軍とユースタシア騎士団の騎士・兵士相手に、私のエピソードを面白おかしく語っているのに出くわしたことを思い出す。
「そんなことしてませんよ」
「そうよね」
ほっとする。
レティシアが笑顔になった。
「あることしか言ってません」
舞踏会で、ルイに指折り数えられた内容が頭をよぎる。
……頑張って意地悪しようとするも、妹が可愛すぎて、【公式イベント】以外は、かなり脇が甘かった。
なんなら、【公式イベント】も結構な割合で改変してしまった。
「明日からどんな顔すればいいのよ」
……明日、から。
自分の言葉で、気が付いた。
実質的に今日が命日だ、と思って、身辺整理を含めて、覚悟をしてきた。
……でも、私には明日があるらしい。
「仲良し姉妹みたいにすればいいと思います。……やり直せませんか、私達。全部なかったことにして、初めから」
妹が、じっと私を真剣な目で見た。
やり直す? ……やり直す。そうか。そういう選択肢も、あるのか。
実に魅力的な選択肢だ。
彼女に対して行った意地悪など、なかったように。
レティシアが提示した選択肢を選べば、何の確執もない仲良し姉妹のようになれるのかもしれない。
やり直せば。
もう一度。
初めから。
――もう一度、自分の心に嘘をつけば。
「……無理ね」
「お姉様!」
妹が、握っていた手にもう一度ぎゅっと力を込める。
私は、微笑んだ。
「この気持ちを、なかったことになんて、したくないから」
妹の手を、私もぎゅっと力を込めて握り返した。
目を細めると、口元が薄く歪むのが分かる。
多分、ひどい顔をしているだろう。
『いいお姉ちゃん』が、絶対に妹に向けてはいけないような。
「……お姉様?」
私は今日、死ぬはずだったのだ。
助けられてしまった。
数時間前なら、諦められたのに。
もう、その選択肢は選べない。
――この子は、鳥籠から逃げるべきだった。
愛らしい小鳥が、腹を空かせた猛禽の前で、無防備に首をかしげている。
がしりと彼女の左腕を、空いた手で掴んだ。
鷹の爪が、獲物を捕らえるように。
「や、お姉様。ちょっと痛い……」
「ああ、ごめんね」
力を緩めた。
逃げられないように、つかまえたままで。
そして、そっと身をかがめて。
今度は、欲望のままに。
「おね――」
目を見開いた妹の唇に、自分の唇を重ねた。