四人目の【攻略対象】
私が【攻略対象】とは、どういう冗談だ。
私の知る限り、【月光のリーベリウム】の攻略対象……恋愛対象は三人。
第一王子であるコンラート、騎士団長であるフェリクス、医師長であるルイだ。
"冷徹非情のヴァンデルヴァーツ"の当主であるアーデルハイド・フォン・ヴァンデルヴァーツは、そこに含まれていない。
完全に予想外の言葉に固まる私に、妹は説明を続けた。
「……【月光のリーベリウム】。私とお姉様が登場するゲームの名前です」
それは知ってる。
「マルチエンディングシステムを搭載してます」
「マルチ? エンディング……システム?」
私は、断片的に単語を拾い上げてオウム返しにするしかできなかった。
知らない言葉だ。
「プレイヤーの選択肢で、誰と結ばれるかが決まる」
それも知ってる。
「……誰を選ぶかで、物語が、分岐する。『別ルート』になる」
「別……ルート……」
他のルート。
他の道。
どの道を選んでも、私は断頭台に行く――はずだった。
でも、妹はそうではない未来を知っている?
「"冷徹非情のヴァンデルヴァーツ"の当主、アーデルハイド・フォン・ヴァンデルヴァーツが断頭台に掛けられるルートがあるのは確かです」
そうだ。そのはずだ。
「でも、お姉様の知ってる【攻略対象】三人のルートを、それぞれクリアした後に解放されるルート……【アーデルハイドルート】では、そうなりません」
三つの道を辿った後にだけ見つけられる、四つ目の道。
四人目の【攻略対象】。
それが、私?
「――お姉様の断頭台行きは、絶対に変えられない運命なんかじゃ、ない」
「は……はは……」
笑うしか、できなかった。
こうも明瞭に断言されては。
――物語の、分岐。
誰かが考えた。
全てのキャラクターに、幸福を配分したいと。
分かりやすい物語には、分かりやすい悪役が必要だった。
けれど、そんな都合のいい物語は『面白くない』。
だから、誰かが考えた。
物語を、色んな方向から切り取ることを。
絶対の悪も、絶対の正義もない世界を、描くことを。
「違う台本を渡されていた……のですね? 私……私、は……」
アーデルハイド・フォン・ヴァンデルヴァーツは、他の三人のルートでは、断罪されて当然の、底意地の悪い小悪党として描かれていた。
でも、そう描かれないルートもある。そういうことだ。
そういえば、あの三人のルートでは、攻略を狙う相手が違う顔を見せるのは当然として、他にも、主人公が得られる情報は少しずつ違っていた。
大筋が、変わらないだけで。
「――お姉様、何度もさりげなく聞いてきましたよね。私が、誰を選んだのか。誰をパートナーにしたのか」
勢いに気圧されて、頷く。
【月光のリーベリウム】は、恋愛物語だ。
その中には、複数のお相手が……【攻略対象】が存在する。
妹が誰を選ぶかで、ルートが変わる。
私が断罪されるのは変わらずとも、妹がどんな幸福を得るのかは、複数のルートがある。
「私が、選んでいいなら。そうしていいなら。――そうしたいのは」
その無数のルートから、妹が選んだのは。
「アーデルハイド・フォン・ヴァンデルヴァーツ。"冷徹非情のヴァンデルヴァーツ"の当主。厳しくて、優秀で、でもちょっとポンコツで、だけどすっごく優しい……私の、たった一人のお姉様だけです」
「レティシア……」
そんなセリフは、知らなかった。
そんなテキストは、私の記憶になかった。
「それも……【ゲームテキスト】ですの?」
「違います。私、お姉様の攻略ルート、入れなくて。ゲームの知識、使えなくて」
妹は、必死に言いつのる。
「だからこれは、私の言葉です。――違うルートに、行かないで。私と、一緒にいて……!」
妹と、一緒にいたかった。
仲良しの姉妹に、なりたかった。
いいお姉ちゃんに、なりたかった。
そうなれないって、思っていた。
――私は今も、そう思っている。
だから、私を純粋に慕う目を見ていられなくて、目をそらした。
私が死ななくてもいいとして。
私が妹のお相手に相応しいかは、また別の話だ。
「……他にも選択肢、あるでしょう。【攻略対象】、いるでしょう。こんな家は捨ててもいい。もっと幸せに――」
「ええい、お姉ちゃんの馬鹿!」
「っ!?」
脳天に振り下ろされる、かなり本気の手刀。
反射的に距離を取りながら、じんじんと痛む頭を両手で押さえてうろたえる私に向けて、彼女は一声一声に力を込めて叫んだ。
「私が! 好きなのは!!」
妹の目端に、涙が滲む。
その声も、涙に濡れた。
「私が攻略したいのは、アーデルハイドおねーちゃんだけなの……」
「……私で、いいんですの?」
いいはずが、ない。
それでも。
妹が……私を、選んでくれた、なら。
「お姉ちゃんしか、いないの」
妹が、私の手をぎゅっと握った。
その手は、震えている。
気を張っていたのだろう今までとは違う、幼さの残る口調で、声も震わせながら、レティシアは続けた。
「一人は、凍えそうだった……」
本当に、凍えていても……凍死しても、おかしくなかった。
階下の熱が伝わるようにしたり、多少は暖かくなるように努力したとはいえ、私は、妹を暖炉のない屋根裏部屋に追いやるような女だ。
それに、妹が生きてきたのは"裏町"。
暖炉のある部屋の方が珍しい、貧民街だ。
「……私は、もっと早く助けられたのに……」
「私が今日まで生きてこられたのは、お姉ちゃんのおかげだよ。……運命とやらは、『貧民街』を気軽に設定しすぎ。お姉ちゃんが難易度下げてくれなかったら、ガチで死にそうだった」
意味が、あったのか。
これまで私が"裏町"にしてきた、ささやかな支援。
根本的な解決の方が望ましいのは分かっていて。
一時しのぎにしかならないとも、分かっていて。
それでも、それが妹の元に届くなら。
ほんのわずかでも、誰かの助けになれば、と。
……自己満足の塊だ。
でも、『もらえるものはもらっておくのが"裏町"の鉄則』と、他ならぬ"裏町"の住人であったレティシアは言った。
井戸は誰が掘ったかに関わらず、人の役に立つ。
もっと上手いやり方は、あったのかもしれない。
単純に規模を大きくすることも、よりきめ細やかに支援することも、出来たのかもしれない。
でも、無駄ではなかった。
「自分にお姉ちゃんがいるって知ってからは、ずっと、お姉ちゃんに会うことを夢見て、生きてきた……」
ずきり、と胸が痛む。
この子は、私のことを初対面で『お姉ちゃん』と呼んだ。
親を亡くした。
私にとってのシエルのような、何もかも教えてくれて、何もかも導いてくれるような人もいなかった。
それでも、一人きりで生きてきた。
私に、会いに来てくれた。
……そんな彼女に、私はどう接してきた?
「……私も、自分に妹がいるって知ってから。『本当』は、どんな子かなって、そう思って。楽しみに、してて」
でも。
「でも。私、悪役令嬢、で。主人公に、意地悪しなきゃって。私が、そうしなかったら。私が、間違えたら」
私が、道を間違えれば。
「あなたが、幸せになれないって……!」
涙が滲んで、それを、目をぎゅっと閉じて止めようとした。