【断罪】()
既に陛下は退出されている。
それもあって、人数は若干減っている。恋人同士が連れだって抜け出したりしているし、そもそも帰る時間に決まりはない。いつ帰るかは自由だ。
他の二家の公爵家当主の姿も見つからなかった。
私も、適当なところで切り上げて帰るのが常で、最後までいることはまずない。
今日は、妹が主賓ということもあり、三人の【攻略対象】が寄せ餌を買って出てくれたこともあり……最終的に、私が糾弾され、断罪される必要もあったので、残っていた。
中央に進み出て、王子と向かい合う。
「先に退出された陛下の御言葉を伝えます」
誰もが、第一王子殿下の言葉を待っていた。
「『先代から続く、ヴァンデルヴァーツ家の王家への変わらぬ忠誠を嬉しく思う。今後も姉妹仲良く、義務を果たすように』」
…………なんだ、それは。
「……それだけ、ですの?」
「ええ。……あなたの父、先代ヴァンデルヴァーツ家当主は、陛下の腹心の部下だった。その娘達が国難の危機を救ったことを喜ばれたのでしょう」
ぞくりとした。
この世界を貫く運命があると知った日に感じたのと、同じ悪寒。
世界が、ズレた。
今まで知っていた世界が、書き割りのように思えて。
その代わりに知った【月光のリーベリウム】の物語は、重苦しい部分もあれど、華やかで、色鮮やかで。
妹は、愛らしくて。めまぐるしく変わる感情は好ましくて。【ゲームテキスト】で吐露される心情に、共感し、応援し。ほんのちょっとの弱音をパートナーに吐くことはあれど、それでも、いつも笑顔――対外的には。
それを、本当にしたいと思った。
「……【断罪】、は?」
「お姉様」
後ろから聞こえる、レティシアが私を呼ぶ声が、遠い。
コンラートが眉をひそめた。
「何を言っているのですか?」
「――私がしたことを、許せないとお思いなのではなくて?」
「また何かやらかしたのですか?」
『また』とはなんだ、『また』とは。
【断罪イベント】の途中だが、普通にコンラートの物言いには腹が立つ。
……そう、普通だ。
「……あの薬は! 【ヤマイドメ】の薬は、完成までに犠牲が――」
「完成が遅れれば、それよりも犠牲が出たでしょう」
コンラートの冷たい声。
いつも私に冷たいが、それとは違う。
指先一つで人を殺し、国を滅ぼしうる王の資質を感じさせる、氷のように冷徹で、それ以上の議論を無用だと断じる声色だった。
こいつは、さぞかし傲慢な暴君になれるだろう。――道を間違えれば。
「報告は陛下と共に見ています。……新薬の開発中に死んだというだけでは、何が原因で死んだのかは分からないこと。それを責める者があれば、承認した宮廷医師団と、それを庇護するユースタシア王家を責めるのと同じ。公爵家とはいえ、一家に責を負わせることはありません」
何をまともなことを言っているのだ、こいつは?
「私を【断頭台】へ送るための陰謀が画策されているのは知って――」
言いながら、思わず味方――敵――を探して、あたりを見回してしまう。
だいたい助けを求める時には遅いのだが。
そこで気が付いた。
……我が家を疎ましく思うはずの家が……いない?
【月光のリーベリウム】の【ゲームテキスト】で正式な記述はないが、私を追い落とすなら、多分このへんだろうなあ……という家をあらかじめリストアップして、『断罪役』を選定していた。
その断罪役に選ばれた貴族家からもたらされた(私が掴ませた)情報を元に、コンラート・フェリクス・ルイ達が正義感と、妹への愛のために連帯し、協力し、私を公爵家の当主の座から追い落とす。
……はず、だった。
私は、そう手配した。
臨床試験という名目のおぞましい人体実験のデータ、"裏町"の犯罪組織との繋がり。そういうものが、我が家の敵の手に渡るように。
世界の全てが、私の敵になるように。
シナリオ通りに、物語が進むように。
「あなたの言う『陰謀』とやら、少なくとも王家は把握していませんね。権力争いなら、調査して報告書を提出してください。今この時期に国内で争うような無能がいれば、相応の報いを与えねばなりませんから」
コンラートがゆっくりと辺りを見回すと、多分この辺は勝ち馬に乗るだろうなあ、というあたりの貴族家の関係者がさっと目を伏せる。
一瞬のことだったが、顔を青くしているのは見て取れた。
……やはり、『陰謀』はあったはずだ。
その陰謀の首謀者としては、どうもしくじったらしいと悟って、内心で顔を青くしている。
このままでは――『助かって』しまう。
シナリオが……変わって、しまう。
「疫病の犠牲者に対し、似合わない罪悪感など抱いているなら、今後もユースタシアのために義務を果たすことですね。――義務と忠誠を」
さばさばとしたコンラートの様子に、無性に腹が立った。
「コンラート!」
「まだ何か?」
堪えた様子もない。
「私、の。妹に対する態度に、思うところが……あるのでは?」
「……ああ。冷たく当たっていたようですね。『表面上は』」
腹を立てているのは、私の方のはずだったのに。
「あなたは妹を守っていたでしょう。……私達などより、強く」
「は?」
彼の方が、苛立っているようだった。
「気付かなかったとでも? ……あなたが冷徹で、非情で、恫喝と罵倒が上手くて、睨み顔が淑女がしていいようなものでなかったとして――」
けなされているのか、褒められているのか、微妙だ。
"冷徹非情のヴァンデルヴァーツ"当主としては、褒め言葉な気もする。
「……それは、身内を守るためなのでしょう?」
屈辱だ。
こんな奴に。こんな男に。
ただ、生まれた時と立場が近いだけの野郎に。
理解された。
「あなたが『妹に冷たく当たった』なら、それが必要だったのでしょう。ですが――もう、あなたの妹は守られるだけの存在ではないし、彼女を守るのはあなただけでもない」
分かっていた。
分かっているのだ。
私は、自分が必要なくなるように、全てを整えた。
妹が、自分の身を自分で守れるように。それでいて、守られるように。多くの人に、愛されるように。
この世の全てが、運命さえも、彼女の味方となるように。
――たった一人、敵役の【悪役令嬢】である私を除いて。
「アーデルハイド・フォン・ヴァンデルヴァーツ。私は、あなたを頼りになどしない。いつか、そうしてみせる。あなたの家を役立たずにして、誰もがヴァンデルヴァーツを平凡な薬売りと言うまでに、してみせる。ああ、今から、隠居後の予定を立てておくことですね」
嫌味しか言えないのかこの王子様は。
……くだらない、理想を。
ヴァンデルヴァーツの力なしで? ギリギリまで誰も殺さずに、国を治めようとでもいうのか。
そんな……くだらない――妹と、同じような理想を。
私と、本気で喧嘩して。一つ年上の女の子に、自分から挑んだ決闘で木剣で殴り合った挙げ句に負かされて、涙をこらえて「剣の稽古だ」と震え声で言い訳していたような、幼い男の子が。
そんな未来を、信念をもって語れるまでになったのか。
私は、次の敵を求めて、視線をめぐらせた。
「――フェリクス」
「なんだ」
「……あなたも、私に、思うところがあるのでしょう。我が国と関係のないところで、他国の紛争に首を突っ込んで、部下を死に追いやった、私に」
ルインズ公国――いや、ルインズ『共和国』の紛争調停。
私の進言がなければ、そのために選ばれたのは、ユースタシア騎士団ではなかったかもしれない。
私は、我が国の最高戦力を求めた。
確実に脅威を排除し、そして、ユースタシア王国の武威を大陸中に知らしめるために。
それだけのために。
それだけの理屈で。
「ユースタシアに安寧を。俺とお前が――ユースタシア騎士団とヴァンデルヴァーツ家が、唯一共有した論理だ。……俺は、お前が間違ったことをしたとは思っていない」
何を。
こいつは、何を言っているのだ。
「ルインズが親交の深い隣国だったことを考えれば、あれが最善だったのだろう。……ただ、そのために剣を取り、死んだ者達のことは、忘れてくれるな」
「そ、れは、もちろん……」
彼は部下を亡くしたのだ。
私は、王国軍に死者が出ることを真剣に憂い、その犠牲を減らすために動いている――経験ある騎士・兵士が死に、遺族への見舞金が必要になるから。
けれど、彼にとってはその犠牲は数字ではなく、盾を並べ、共に剣を取った戦友が死んだということなのだ。
私にとっての『同期』のような。
誰かと一緒に死ぬならこいつらがいいと思ったような、仲間が。
それも、彼自身の命令によって。
彼は、その立場にいる。
「それならいい。……だが、それでも俺は、余力があれば国境を越えて、力なき民のために戦うべきだとも思っている。――他の国とはいえ、世界は繋がっているのだから」
どこにでも、影は出来る。
物陰に薄暗がりが生まれ、壁を這う、温かい血を持たず、またたかぬ瞳を持たぬ生きものが、必要になる。
それでも。
それを理解してなお、それでも。
この騎士団長様は、騎士道を貫こうというのか。
「……お前は、よく知っていることだろうが」
私と同じ世界を、見ているというのか。
この、身体を動かすのが好きで、馬が好きで、剣が好きで、レティシアと会うまで女に興味がなさそうで、女心に疎くて――そんなガサツな野郎が。
「る……ルイ……」
ふらふらと、最後の一人にすがる。
「……アーデルハイド様。僕は、レティシアさんと何度かお話をする機会がありました」
いつも患者に向けて優しげな笑みを浮かべている彼は、いつになく真面目な顔で、表情を引き締めていた。
彼は妹の味方だ。私の敵のはずだ。
「え、ええ、知っていますわ。さぞ悪口を――」
「悪口? ――それを本気で言っているなら、あなたは彼女のことを何も理解していない」
ぐっ、と黙り込む。
私は、黙らせる側だ。嫌味を言う側のはずだ。
なのに、そんな分からず屋を見るような目で。道理の分からぬ者をさとすような口調で。
もちろん私は、必要なら、道理さえ曲げてみせる。
でも、もう、分からなくなり始めた。
「……随分と『優しいお姉様』だったようですね? 家でのあなたは」
レティシア。何を話したの?
よそで、姉についてなんて言ってるの……?
油断して顔に出ていたのか、ルイ医師長は、指折り数えていく。
「風邪を引いた際には献身的な看護をし、入浴の手伝いまで。普段はダンスに乗馬、各種レッスン。休日は共に町を歩き――おや、指が足りませんね」
王子のような嫌味を。
……純朴そうな見た目の青年だが、彼はそれだけの男ではない。
権謀術数渦巻く王宮において、"医師長"であるということの意味は、軽くない。
陛下の容態さえ診る権限を持つ立場で、なにものにも染まらずに立ち続けるのは、並大抵の胆力で出来ることではないのだ。
医師団のコートには、柊をかたどった金のバッジ以外、装飾品は何もない。
医師としての誇りを捨てれば、どんなにも飾り立てられるか。
それでも、彼はそうしない。
医師長であることを示す帽子の飾り羽根以上の、何物も望まない。
その彼が言う言葉は、真実として受け止められる。
それだけの信用がある。
貴族にあらずして、この貴族社会で突っ張る腰の強さは、少し、妹に似ていた。
この三人なら、誰が選ばれたとしても妹が幸せになると、信じられた。
振り向くと、妹は私の少し後ろで、一人でいた。
なぜ、妹は一人なのだ?
なぜ、レティシアの隣に、誰もいないのだ?
恐怖がぞわぞわと背筋を這い上がっていく。
違う。
これは、私の知っている【エンディング】じゃない。
運命の歯車が、狂ってる。