父子漫才
……いや待て。
妹の可愛さに惑わされてはいけない。
このポジション、おかしい。おかしいよね。おかしくない? うん、おかしい。
なぜ、どこぞのボンボンからのダンスのお誘いを断る際に、姉の腕を抱き寄せているのだ、この妹は。
そんな風にしてくれるレティシアは可愛いけれど、その可愛さを、意地悪な腹違いの姉である私が、このポジションで味わえている現状は、おかしい。
……あ、断る口実……?
"冷徹非情のヴァンデルヴァーツ"の当主を盾にしたと考えると、筋は通る。
しかし、なんだかんだと気の強い令嬢方も多い貴族社会でも、あそこまで切れ味の鋭い断り文句は、なかなか聞けないレベル。
一人でも、なんの問題もなく撃退できそうだ。
そこに、男性の渋い声がした。
「――姿が見えないと思ったら、こんな所で何をしている」
また知らない顔……いや、彼は知っている。とある伯爵家の当主だ。
白髪の混じった栗色の髪にヒゲ。顔の作りは今ここで涙目で固まっているイケメンと似ている。
「父上……その、オレ……いえ、自分は、レティシア嬢にダンスの申し込みを……」
「馬鹿者! パートナーがいる相手にダンスを申し込む奴があるか! それも今日のような席で……」
聞き捨てならない。
妹のパートナー? 誰だ。
「それに、会場の端にいるペアに話しかけるなど、礼儀にもとる。休みたいだけでも、二人で話したいだけでも……そこに、初対面のお前が割って入っていいと思っているのか?」
「でも、父上。壁の花を誘うのは男の義務ではありませんか!」
「大馬鹿者! 恋愛小説と現実をごっちゃにする奴がいるか! ――あれは美しい幻想だ!!」
言い切りよった。
その力強さに、恋愛シミュレーションゲーム、【月光のリーベリウム】のシナリオ通りに物事を進めようと暗躍する、私の心に流れ矢がぶっ刺さる。
「しかし、父上は母上をそんな風に誘ったのが、なれそめだってのろけ」
「うちはうち、よそはよそだ!」
父子漫才かな?
口を挟む気にならないぐらいには面白かったので、これは顔と名前を覚えるべきかもしれない。
父親の方が真面目な顔になって私達の方に向き直る。
「――せがれが失礼をしました、アーデルハイド様、レティシア様。……正式な謝罪が必要でしょうか?」
「いいえ。その必要はないわ。……私の妹が許すなら、ですけれど」
「大変ですね、お父様。あ、正式な謝罪などは不要です」
にこにこと答えるレティシア。
「お二方の寛大なお心に感謝を。今後も教育して参りますので……」
そう言って、息子の腕を掴んで、そさくさと立ち去るお父上さん。
甘い対応だったかもしれない。
ただ、私の父も、こんな風に苦労したことがあったのかな……と、思うと、なんだかあまり強くは出られなかった。
私も、幼い頃……特にコンラート絡みでは、子供の喧嘩……で済ませるにしては、結構やらかした気もするので。
第一王子って、いくら向こうが喧嘩を売ってきたとしても、相手が言ってきた剣の稽古という名目があったとしても、木剣で殴ってはいけなかった気がする。
もう一つ、【継承の儀】でレティシアが転んだ時の気持ちを思い出したというのもある。
あの時のレティシアに非は(それほど)ないが、身内を想う心は一緒だろう。
「父上ぇ……」
「情けない声を出すな! お前も貴族なれば、胸を張れ。後、もしもまた、お相手がいる令嬢にちょっかいを掛けたら、タダじゃおかんぞ」
去り際の会話が、ヴァンデルヴァーツの地獄耳のせいで聞こえてしまう。
だから、お相手って誰。
――そのまま舞踏会は、私達をよそに盛り上がっていく。
妹が、今日はもう誰とも踊るつもりはない宣言をしたのが広まったのか、察せられたのか、それ以上、誰も壁際の私達に話しかけてくることはなかった。
妙な真似をしてヤモリに睨まれてはかなわない、といったところか。
たまにシエルに命じてお菓子や飲み物を持ってきてもらう。
地下牢ではこんないい物は食べられまい。
妹が何を話したかったのか分からないが、そわそわと周囲を気にしている。
軽く肩を抱くようにして、ぽんぽんと叩いて安心させようとしたら、もっと挙動不審になった。
あまり話が弾まない。
私は、この後の流れが気になっていて、上の空だった。
レティシアのドレス姿を目に焼き付けるのに忙しいのもある。
そんな風に、ぽつぽつと話しながら踊りの輪を眺めていると、やがて時間は過ぎていく。
間もなく、舞踏会は終わるだろう。
宴もたけなわでございますが、というやつだ。
間もなく、【月光のリーベリウム】が終わる。
ここで、セーブしたい。
ずっと、ここがいい。
この瞬間がいい。
……でも妹は、この先に行かねば。
彼女には未来がある。
この先の道を、一番好きな人と共に歩む、輝かしい未来が待っている。
私には、断頭台が待っている。
運命を変えようとしなかった、私には。
……きっと、筋書きに文句を言う資格さえ、なかったのだ。
運命のシナリオを超えられるようなストーリーを考えて、その道を自分で歩むだけの覚悟がなかった。
失敗したら、これまでの私が大切にしてきたものと……妹の幸福が全て壊れてしまうから。
私の道はここで終わるけれど。
それでも。
妹が幸せなら、それでいい。
心の底から、そう言える。
恋愛物語に差し込まれた、重苦しいイベントは終わった。
疫病による正確な死者数は描かれないが……多分ゲームでは、もっと多かった。
妹の尽力と、ちょっぴり私の暗躍で、被害はだいぶ抑えられたのではないか。
さあ、終幕だ。
ようやく、長かった物語の幕が閉じる。
「――コンラート殿下」
私は一歩踏み出すと、ユースタシア王国第一王子殿下へと声をかけた。
彼は今日のホストだ。そうそうたる顔ぶれの中、私を糾弾する先陣を切るのは、彼をおいて他にないだろう。
「……何か、私へ言いたいことがおありなのでは?」
全部見透かしているぞと暗にあてこすりながら、水を向けた。
ほどほどに抵抗するつもりだが、既に包囲網は閉じているはずだ。
他ならぬ私が、『人体実験』の実態は提出している――平民の命に大した価値はないとでも言いたげに、包み隠すことなく。
「ええ。あなたとは、長い付き合いですね」
彼がちょっと笑った。
長い付き合いもこれで終わり。この嫌味ったらしい顔も今日で見納めかと思うと、せいせいする。
彼は、こほん、と軽く喉を整えると、私をしっかりと見据えた。
「ユースタシア王国第一王子、コンラート・フォン・ユースタシアの名において。陛下の名代として、あなたに伝える言葉があります。ヴァンデルヴァーツ家当主、アーデルハイド・フォン・ヴァンデルヴァーツ」
スキップできるなら、使い所はここだ。
しかし実際はできないので、いちいちフルネームで呼ぶ長ゼリフも、レティシアが幸せになるプロセスだと思って、我慢してやろう。