ダンスの後のふたり
踊り終えた私とレティシアは、囲まれていた。
酒場で吟遊詩人やジャグラーなど芸人達が口にする決まり文句「顔と名前だけでも覚えて帰ってくださいね~」が頭をよぎる。
それと違うのは、芸を伴わないことだろうか。
私の妹が、顔と名前だけでも覚えてほしいほどに重要人物になったということで、ギリギリ我慢する。
最大限好意的に見れば、妹が丁重に扱われているのだ。
なので、邪険に扱うのもはばかられ、当たり障りなく対応していると、ファーストダンスを私に奪われた三人の【攻略対象】の男どもが揃ってやってきた。
……誰かが、妹にダンスを申し込むか、と緊張したのは一瞬。
コンラートが、造作だけは整った顔に、王子スマイルを浮かべた。
「お二人はお疲れでしょう。よろしければ、後は私達が」
王子の評価が二倍ぐらいに上がった。
元が低いので二倍になったところで大したことはないのだが。
こいつ、そういう気遣いができる奴だったのか。
基本、嫌味を言い合うか、無言で視線を交わすしかしないから。
「まあ、光栄ですわ! 第一王子殿下!」
きゃあきゃあとご令嬢方……から、年上のご婦人方まで、幅広く人気のコンラート。
「騎士団長殿は、隊商を狙う盗賊団の討伐から帰られたばかりとか。是非とも話をお聞きしたい」
男性陣と一部の筋肉好きの令嬢に人気の高いフェリクス。
「医師長様。よろしければあちらで二人きりに……」
心なしか彼目当ての令嬢方は本気度が高いような気がするルイ。
何はともあれ、寄せ餌の任を買って出てくれた三人の厚意をありがたく受け取ることにした。
会場の中央を離れ、飲み物や軽食が用意されたテーブルのある辺りまで下がる。
「お疲れ様でした。アーデルハイド様。レティシアお嬢様。よろしければこちらをどうぞ」
後ろに控えていたシエルが、両手に一つずつ持ったグラスを差し出した。
「ありがとう、シエル」
「ありがとうございます、シエルさん」
礼を言って受け取ると、くいっと飲む。
りんご果汁の炭酸水割り。定番だが、疲れた身体にりんごの甘みが染み渡り、鈍っていた頭が炭酸の刺激ですっきりと冴えるようだ。さすがのシエルセレクト。
様々な飲み物を楽しめるようにとの配慮で、少し量が少なめなのもあるが、二口で飲み干してしまった。
「公園でも飲みましたね。私、これ好きです」
同じく飲み干したレティシアがはにかむ。
「ええ。町中でもよく売ってるわね」
「今まで私が飲んだことあるの、水割りだったんですよね。すごく薄かったし」
それは、ただ水で薄めているだけだ。
「…………」
――とは言えずに、私は、曖昧に微笑んだ。
「あ、ごめんなさい。気を遣わせて」
謝ることではないのだが。
私は、力を手に入れるために、力を維持するために、力を誇示するために、金貨を積むようにして生きてきた。
公爵家令嬢にして次期当主、そして今は、"冷徹非情のヴァンデルヴァーツ"現当主にして、【月光のリーベリウム】の【悪役令嬢】だ。
もう少しで当主は交代する。
爪に火を灯すようにして生きてきた、ささやかな幸せの価値を何よりもよく知る少女に。
「……私が生きてきたのは、そういう町で。それ自体を恥じることはなくて」
レティシアが、空のグラスに視線を落とした。
くるりと手の中で回す。まるでガラスの向こうに、水で薄められたりんごの果汁を見ているように。
そして顔を上げる。
深い青の瞳が私を見つめた。
「……でも、あの味が過去になればって……思うんです」
すぐにそうできるかは、分からない。
けれど、多くの者があの町を知った。"救国の聖女"が生まれ育った区画を。……この国が目を背け続けてきた暗部を。
医師長も気にしていたし、王子も騎士団長も、思うところがあるはずだ。
そして何より、あの区画の住人達自身が、現状をよしとはすまい。
ならばきっと、あの町を過去にできる。
切り捨てるのではなく、なかったことにするのではなく、ゆっくりと溶け込むように。
正式に引かれた線は、ないのだから。
妹が、そっと腕に触れる。
そのままエスコートされる体勢になり――そのまま私を促して歩き出させた。
マナー的に微妙なところだが、エスコートされるはずの側が相手を引っ張っていくのは、まあまあよく見る光景だ。
シエルを見ると、彼女は目配せした。
止めなかったということは、自由にしろ、ということだろう、多分。
壁際まで連れて行かれる。
普段の私は、舞踏会だとこの辺が定位置だ。
今さら舞踏会で温め直すような、ぬるい友好関係などない。
それは、ヴァンデルヴァーツ家には不要のもの。
そもそも舞踏会のような場に出席すること自体が珍しいし、最低限の挨拶を終えると、いつも壁の花だ。
花で言うなら毒花だが。
壁のくぼみに掛けられた、本来の用途からすれば無意味と言えなくもない、カーテンの陰に身を寄せる。
しかし、ちょっとした密談をしたり……愛をささやいたりするのにも使われる、見た目より用途の広い空間だ。
レティシアが目を閉じて、一つ息をつく。
「――作り笑顔って、疲れますね」
なんて直接的な物言いだ。
妹に似合わない毒の含まれた言葉に、思わず苦笑してしまう。
「そうね」
たしなめるべきなのかもしれないが、まったくもって同意だ。
"冷徹非情のヴァンデルヴァーツ"の当主という仮面を作り、かぶり続けるのに、苦労している。
彼女に相応しいのはここだが……妹に似合うのは、きっと貴族社会ではない。
けれど【月光のリーベリウム】の【エンディング】では、【主人公】は改めて、貴族社会で生きていく決意をする。
好きな人と一緒に居たいから。
自分にできることがあるから。
そういう運命に、導かれたから。
「……レティシア」
「なんですか、お姉様?」
笑顔で応じる妹。
作り笑顔は疲れたと、言ったばかりなのに。
「……この後は、自由にしていいわ。今日の主賓は、あなたなのだから」
今、ちょっと、いいお姉ちゃんみたいだった。
と、内心で自分を褒める。
「はい、ありがとうございますお姉様。自由にさせていただきます」
すすすっ……とほんのわずかな距離を詰めて、肩と肩を触れ合わせるように密着してくる妹。
うちの妹、一秒先の行動が読めなくて怖い。