舞踏会のドレス
年が明け、疫病は急速に終息へ向かっていた。
特にユースタシア王国では。
まだ春と呼ぶには早く、しかし空気の冷たさは少し落ち着いてきた頃に、王宮から舞踏会の招待状が届いた。
私とレティシアの二人を招待したそれは、時期的に疫病の終息宣言を出し、祝うためのもの。
準備もあるので日程は少し先だが。
余裕をもって命じていたので、"仕立屋"は、きっちりドレスを仕上げてきた。
私の物は薄青で、レティシアの物は薄紅。
仕立てた仕立て屋が同じだと知っているからか、デザインに共通性を感じる。違いを言うなら、妹のドレスの方が華やかで愛らしく、私の方が派手だろうか。
二着とも、『完璧』だ。
「……ふふ」
二つ並んだトルソーに着せられた『舞踏会用のドレス』を見た時に、私は思わず笑ってしまった。
「……お姉様?」
「良い出来だなと思ってね」
怪訝そうな妹には、そう言って笑う。
笑ってしまった理由は、絶対に言えない。
――『完璧』に、【月光のリーベリウム】で見た通りのデザインだということが、おかしかった、なんて。
彼女のいつもの赤いジャンパースカートに、乗馬服、デー……お出かけ服。"仕立屋"に仕立てさせた服は多岐に渡る。
それらの時にも思ったが、やはり運命は、彼女の作る服さえ知っているらしい。
これまでに何度か、道を外れたことがあったような気がした。
けれど、終着点は変わらない。
これまで、長く私の服を仕立ててくれた"仕立屋"にも笑顔を向ける。
「――"仕立屋"。本当に良い出来です。ますます腕を上げていますね」
「ありがとうございます!」
笑み崩れる"仕立屋"。
レティシアはきっと彼女を悪いようにはしない……はずだが、この世渡り下手な職人が、私亡き後ちゃんとやっていけるか、少し不安になった。
「レティシアの服を、今後も頼みます」
今後も妹の服を独占的に作れるのだから、"仕立屋"はさぞかし狂喜乱舞するだろうと思ったが、なぜか彼女は、不安げな表情になった。
「……あの、アーデルハイド様の服も……ですよね?」
「え? ……ああ。言葉の綾ですわ」
ふん、と鼻を鳴らす。
"仕立屋"は、両手をぐっと握りしめて、顔面を歓喜の色に染めた。
「やった……! じゃあ、姉妹コーデとか作っちゃってもいいんですね……!?」
「しま……?」
聞き慣れない言葉だった。
服飾用語には詳しくない。コーデ……コーデュロイ生地?
しかし、妹は意味が分かったようで反応する。
「え、そういうのいいんですか!?」
「ええ、アーデルハイド様の許可が頂ければ、明日にでも!」
明日は無理だろう。
また目の下の隈を濃くするつもりか。
期待に目をきらきらとさせる"仕立屋"に、呆れ顔を向ける。
「休みなさい。大物を二つ仕立てたばかりでしょう。根を詰めすぎですわ」
「はい……」
しゅんとする"仕立屋"。
「"仕立屋"……」
……守れない約束は、してはいけない。
「――私が死ぬまで、私はあなたに服を作ってもらうつもりですのよ」
なので、嘘は言っていないが守る気もない約束で、適当になだめることにした。
「えっ……そいつは絶対に死ねませんね……!」
「だから、帰って休みなさい。メイドを付けますから、ゆっくりなさい。もちろん、鋏を持ってはいけませんわよ」
意味が分からないことを言われた、とでも言いたげな、きょとんとした顔になる"仕立屋"。
「え、鋏ではなく針を持て、縫製をしろ……ということでしょうか?」
「休みなさい、ということですわ」
「生地を用意するのは?」
「休みなさい」
「生地と糸の色を合わせるのは?」
「休みなさい」
「トルソーのお着替えを」
「だから、休みなさい」
「じゃあ、私は何をすればいいんですか!?」
「だから、休みなさいと言っているでしょう!」
服のこととなると、話が通じない。
「……で、デザイン画だけでも……」
「……意識を失って倒れる前に寝るんですのよ」
それぐらいなら、まあいいかと譲歩する。
「はい! ちゃんとベッドの中で描きます!」
世の中には相手の譲歩を、より多くのパイを切り取るチャンスだと考える人種がいるのを忘れていた。
私もその一人だが。
「ちゃんと休まなかったら、資金を引き揚げます」
「……はい。言う通りに致します、アーデルハイド様……」
切り札を使われて、ようやく大人しくなる。
このドレスを着るのも、一度きりか。
処刑前には、ドレスは取り上げられて、着心地など期待できない囚人服になっていることだろう。
私を【断頭台】に追いやる陰謀が画策されているはずだ。
我が家を疎ましく思う家はそれなりにある。
【攻略対象】の三人も、私を疎ましく思っていることだろう。
大なり小なり私と仲が悪く、そして、それぞれのやり方でユースタシア王国を……そして、レティシアを守ろうとする男達だ。
ヴァンデルヴァーツ家は、あればとても便利だが、なくてもやっていける。
まして、レティシアがいるのだ。
武力に頼ることなく、暴動寸前の窮地を収めて見せた、私の妹が。
【ヤマイドメ】の薬で他国にはたっぷりと恩を売ったことだし、我が国は他国より先んじて薬が行き渡ったので、相対的に被害は少なく抑えられている。
王家の権力は強く、騎士団の精強さは疑いようがなく、医師団へ向けられる民の信頼は厚い。
乱れた国を一つ二つ併合しようとすれば、今なら簡単だろう。
火種を抱え込むから、やらないだけで。
私は、義務を果たした。
自分が選んだ道を、間違いではなかったと思える。
きっと、守れたのだ。
もしも私が、運命を無視していれば。
薬は完成したかもしれないが、各所の連携など望み得なかった。陛下へ進言し、その命令があれば、まあ……疫病は収められただろう。
だが、おそらく"裏町"は消えた。
もっと、たくさんの人が死んだ。
助けが間に合わない地域から秩序が失われ――大陸地図の端から、ゆっくりと火が点いて、燃え始める。
混迷と戦乱の時代が、再び来る。
世界がそんな風になっても、私は生きていける。私は、武を司る家でこそないが、大陸最強の軍事国家の公爵家の当主だ。
今よりもなお、重用されるかもしれない。
でもその世界では、きっと私の妹は笑ってくれない。
疫病が流行中のレティシアの憔悴ぶりといったら、見ていられないほどだった。
病に倒れる前から、顔色が悪かったし……何より、笑顔がなかった。
何一つ、彼女のせいではないのに。
運命の全てが、自分のせいのような顔をして。
だが、その傲慢さすらも愛おしい。
貴族ともなれば絶大な力を有するが、現実には手が届かないことも数多くある。
けれど私の妹は、その無力さを許せないと、そういうことだ。
私の妹は、完全でも無欠でもないかもしれないが、彼女が全ての鍵だった。
"仕立屋"が、ささ……と蜘蛛が逃げる時に似た素早さでドレスに寄り添うと、両方のトルソーの肩に手を置いた。
「さあ! それでは最終チェックです。試着して、それで、ちょっとだけ踊ってみてください!」
これまでも仮縫いを繰り返したとはいえ、完成品の試着は必要だが。
「踊る必要あるかしら?」
「だって、私、本番は見られな……可能な限り、本番と似た環境を再現することが重要かと」
口がゆるい。
思考がダダ漏れだ。これで店とか大丈夫なのか。
しかし妹は、あっさりと納得した。
「分かりました、"仕立屋"さん。……ね、お姉様?」
……まあ、一理あるか。
頷いた。
「少しだけですわよ」
「はい」
レティシアが、笑顔になる。
……後、何回見られるかな。
「では隣の部屋に」
「手伝いましょう」
"仕立屋"とシエルが、トルソーごとドレスを持ち上げて、隣室へ運んでいく。
二人の後ろ姿を見ながら、妹が隣の私を少し見上げるようにして、口を開いた。
「お姉様。その、まだまだ大変な時期ですけど」
「そうですわね」
それを分かっているならいい。
「でも、舞踏会、楽しみです」
妹の言葉を聞いた瞬間、ずぐん、と胸が痛んだ。
肉になまくらの刃物を差し込まれ、抉られるような、鈍い痛み。
自分の心の醜さを思い知らされるような感覚に、動悸が速くなる。
心臓がうるさい。早く止まれ。
そんな、笑顔で。
楽しみ、だなんて。
この子は、誰を選んだ?
私の妹は、誰と踊るのだ?
――姉として妹の幸せを願っていることは、間違いないのに。
ルイやフェリクスならまあ文句はないし、コンラートですら認めてやってもいいと、頭では思っているのに。
私の心は、それを許せないと思い始めている。
だから、どうか。
私が、許せるうちに。
本当に、妹の幸せを願えるうちに。
「――お姉様と、一緒だから」
妹の手が、私の腕に添えられる。
ほっとした。
その動作だけで、胸に満ちた暗い感情の疼きが収まり、心がふわっと軽くなるようだった。
大丈夫。
やれる。
ちゃんと、上手くできる。
そのまま妹をエスコートするようにして、隣室へと向かう。
【最後の舞踏会】は、私の妹の功績――と可愛さ――を知らしめるための重要な【イベント】だ。
私の、実質的な最終目標。
さっき胸に忍び寄った問いを、思わず心の中でもう一度繰り返していた。
――妹は、本番で、誰と踊るのだろう?