最後の幕間
それからの全ては、とても順調だった。
【ヤマイドメ】の薬は効果を発揮し、死者は大きく減少に転じた。
特に、死者数を大きく押し上げていた"裏町"に医療が行き届いたことが大きい。公式には『旧市街』から『開発予定地』と名前を変えた。
もちろん、そこの住民達がいなくなったわけではない。ひとまずは今回の騒ぎ――疫病が沈静化するまで人頭税を免除し、収まった後は、区画の開発作業や王都のインフラ整備などに雇われることになるだろう。
地方への移住の斡旋や職業訓練など、一つ一つは小さいが、確実に未来を作るだろう取り組みも始まった。
懸念されていた犯罪組織だが、おおむね把握しているので、ヴァンデルヴァーツ当主自ら交渉に赴くと……想像よりも順調だった。
遵法意識の欠如はともかく、"裏町"の生活を支えるという義侠心を持った者達も多い。
単に儲かるから、あるいは生活のため、と犯罪に手を染めた者達もいるだろうが、そこまで追い込んでしまったことを思えば、私のような『お貴族様』が何か言えた筋の話ではない。
新しい区画の顔役として、商会がいくつか立ち上げられ……その構成員の前歴が怪しいことに、我が家は目をつぶることにした。
調査報告書の一部だけを都合良く欠けさせ、調べれば私が賄賂を受け取って、犯罪組織の存続に手を貸した……という風に解釈できるようにしている。
いずれ、その(一部が捏造された)『証拠』が、疫病の特効薬を作る際に行われた『臨床試験』のデータと共に、私を追い詰めるだろう。
シナリオに記述がないが、さりとて放置もできない要素の一つがすんなりと片付いたのは、とてもありがたい。
我がヴァンデルヴァーツは、むしろそういった筋との付き合いが少ない。
情報を求める際に現地組織に接触する……買収したり、取引したり、潜り込んだりすることがないとは言わないが。
我が家は言ってしまえば、ひっそりと情報を集めるだけの存在だ。
法に触れる行動がないとも言わないが、ただでさえ危ない橋を渡りがちなので、他の組織に外注するという発想がない。
悲しいことに『誤解』されがちなのだが、我が家はきちんとした公爵家であり、大貴族だ。
事態解決に武力が必要なら、自分の領地ならヴァンデルガント領軍を使う。
王家直轄領を含む他領なら、公的なルートで報告するか、社交の場でそっと耳元にささやくか、密告して解決を任せる。
なので、犯罪組織との繋がりはそれほどない。
王都でいえば、とある娼館の女主人は"仕立屋"を囲う際に面識があった。
その娼館にしても、正規の額を納税するのではなく、賄賂に回して節税している程度で可愛いものだ。
だが、それゆえに我が家は"裏町"への影響力が少なく、各種交渉はもっと難航するかと思っていた。
以前、"裏町"支援のための市民団体立ち上げの際に、妙な横槍が入らず、略奪や横流しされないように調整をお願いした件で『地域住民』の信頼を積み重ねていたのかも知れない。
暗黒街の顔役達が集う場での交渉となれば緊張していたが、誠意を尽くして語れば届くものだ。
しかし、護衛のシエルを見て、何人か怯えていたような気がする。
我が家のメイド長にして、"影"を統括する暗部の責任者であるシエルは、その筋では割と有名だ。
が、暗黒街のボス連中を怯えさせるほどなのだろうか。
「……なにか?」
応接間で、ソファーに座る私のかたわらに控えるシエルを、これまでのあれこれを思い返しながらじっと見ていると、視線を返された。
「いいえ。ようやく面倒ごとが片付いてきたなと思ったのよ」
冬が深まってきているが、肩の荷が下りて、ほっとしている。
ここまで来れば、後は、いい感じに妹の名を売り込みながら、のんびりと断頭台を目指せばいい。
街道が雪で塞がる前に、【ヤマイドメ】の薬はユースタシア全土、そして大陸中に行き渡った……はずだ。
各国の手腕次第だが、自分達の命と――自分達の国の存続が懸かっているのだ。真面目にやるだろう。
【最後の舞踏会】は、もう少しだけ先。
私の首が繋がっているのは、この冬限り。
レティシアと出会ってから約一年が経って、【月光のリーベリウム】のシナリオも終了間近だ。
テキストなら、すぐに舞踏会なのだが。
なかなかそうはいかないものだ。
ただ、いいこともあって。
いや、悪いことか。
「お姉様。被害は抑えられそうで、本当に良かったですね」
至近距離で、妹が微笑んだ。
距離。
いや、距離、近くない……?
妹の言う通り、疫病の被害が抑えられたことは、本当に良かったのだが。
それは、二人ならゆったり座れるし、詰めれば三人も余裕なソファーで、姉の隣に密着する理由になるのだろうか……?
今は、幕間。
チャプターとチャプターの間、シナリオの空白地帯。
なので、妹への対応を決めかねている。
いや、基本は素っ気なく、冷たくあしらう一択なのだが。
そのはずだが。
情勢は大きく好転しているが、何もかも元通りとは言えない。死者数は膨大で、被害は甚大なのだ。
そんな状況下だから、妹も、特別なことを要求したりはしてこない。視察や慰問を共にすることはあるが、至って真面目だ。
ただ、なんかこう、距離が近い気がするのだ。
気のせいだろうか。
コンコン、というノックの音。
そしてメイドの声が続いた。
「アーデルハイド様。"仕立屋"様がいらっしゃいました」
「通しなさい」
隣のレティシアが、居住まいを正す。
こういう風に、きちんとすべき場面ではキリッとしているので、強く言いにくいのだ。
貴族とて、プライベートぐらいある。
――妹の名声は高まりつつあり、時々、私抜きで招かれている。
当主をさしおいて、腹違いの新参である爵位継承権第一位が優遇される――わあ荒れそう。
……と、他人事のように考えられるのは、私が断頭台に行く気満々だからだ。
争う気はない。
全ては、妹が継ぐ。
目指すは、【断頭台】……の一つ手前、【最後の舞踏会】。
「ヴァンデルヴァーツ家専属"仕立屋"が、お呼びにより参上いたしました! 疫病が終息した暁に開かれるであろう舞踏会用のドレスですか? ドレスですよね! もちろん、二人揃ってですよね!?」
メイドによって開かれた応接間のドアから、かつてないほど勢いよく"仕立屋"が登場し、早口でまくしたてた。
仕立屋の常で猫背気味の背がしゃんと伸ばされ、いつもはその大きさが目立たない胸を張っているのは珍しい。
激しい動きの名残だろうが、海藻のような髪が重力に逆らってたゆたっているような錯覚さえ覚えるし、黒い瞳も、爛々と怪しい眼光を宿している。
少し前、疫病の暴威が吹き荒れていた情勢下なら、不謹慎だと叱責するほどの態度だ。
しかし、彼女の言う通り。
【最後の舞踏会】は、疫病の終息を宣言し、それを祝うために開かれる予定だ。
【寒さが緩んだ頃】とあるので、冬の終わりか春の初めか……微妙なところだ。
内容としては、最大の功労者である妹を招いて、褒め称え、承認欲求を存分に満たし、さらに【攻略対象】とのダンスと甘いささやきで恋心も存分に満たす、一石二鳥のイベントだ。
いや、ついでに【悪役令嬢】の告発と断罪も兼ねているので、一石三鳥か。
「"仕立屋"、落ち着きなさい」
「はっ。それでは、私めに改めてご命令を」
絨毯の上で片膝をつき、すっと落ち着いた様子になる"仕立屋"。
しかし、瞳はぎらぎらとした期待に満ちている。
「妹の舞踏会用のドレスを仕立てなさい。私のもついでに」
「はい! お任せあれ!!」
「……二点は大変でしょう? 私の物は仕立て直しでも構いませんわよ」
【立ち絵】という、上半身の挿絵で表示される私が着ているドレスは、今の私の手持ちにないものだった。
なので、新調する必要はある……のだが。
納期に多少余裕があるとはいえ、舞踏会用のドレスとなれば大物だ。
特に、この完璧主義で好きな物に無限のリソースを――健康さえも度外視して――ぶち込もうとする"仕立屋"が不安になり、そう提案してみる。
"仕立屋"は立ち上がると、そっと胸に手を当てて、微笑んだ。
「――アーデルハイド様。私は仕立屋です。どうかその私から、鋏と針を奪うようなことをおっしゃらないでください」
「下職を雇ってもいいのよ?」
「全部自分でやりたい。……いえ、晴れ舞台の衣装ですから、責任をもってやり遂げたく思います」
今、本音がぽろっと出た気が。
「……時々、メイドをやりますから、身体を壊さないようになさい。疫病はまだ、流行っていてよ」
「はい、アーデルハイド様!」
返事だけはいいのだが。
「それでは、本日はとりあえず採寸を」
隣のレティシアを見ると、視線がぶつかる。
思わず目をそらしていた。
採寸は二人とも、何事もなく終わったが。
――前回の採寸同様、なんだか少し、恥ずかしかった。