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【主人公】の登壇


「こ、これは国王陛下の名において発せられる布告であり――」

「国王が何をしてくれた? 王家が何をしてくれた!?」


 布告役が、うろたえながら背後の王子(コンラート)を見た。

 私も見るが、彼は険しい顔で口元を引き結んでいた。


 今までは、平和な時代。

 ほとんどの民が、王家に感謝しながら繁栄を享受していた。


 そう、『ほとんどの民』が。



 今ここにいるのは、繁栄から取り残された者達だ。



 私達が切り捨てた……諦めた階層の住人達。

 貴族の対極に位置する貧民達であり、違う形の不平等の体現者。


 集まった群衆が次々に、口元に巻いたボロ布を引き剥がすように外して、叫び始めた。

 その言葉には抑えようのない熱がこもっていて……言葉の端々から、憎しみが滴り落ちるようだった。


 これが、私達『上』が選んだ結果。

 選択肢を間違え続けた果ての未来。


 背筋が、ぞわりとした。



 ……暴動になる。



 『シナリオ』通りなら、そんなものは起きない。

 主人公が、収めてみせるから。


 ……でも、妹はただの女の子だ。


 貴族とはいえ、ヴァンデルヴァーツの暗部を担うための教育は受けていない。

 【月光のリーベリウム】の【主人公】とはいえ――それは、ただの物語。



 レティシアは、ただの女の子なのだ。



 肌にぴりぴりと来る敵意が、刺すように痛い。

 場に満ちる不安と混乱が渦を巻いて、今にも爆発しそうだった。


 騎士達が、腰の剣に手をかける。――のを、騎士団長(フェリクス)が制止した。


「抜くな」

「しかし……」


 フェリクスが一喝する。



「抜くな!」



 正解だ。……抜けば、斬るしかなくなる。

 何人か、何十人か――あるいは全てか。

 この場にいる、こちらに敵意を向ける『敵』を、全て斬るしかなくなる。

 しかしこちらが抜かなければ、この場が収まるかというと、そうとも限らない。



 【月光のリーベリウム】では、レティシアの演説がこの場を鎮める。



 ……でも、この空気は。


「……アーデルハイド様。いけません。この空気は……ダメです」


 同じことを感じたらしいシエルが、私の腕に手をかける。


「騎士団に任せ……レティシアお嬢様様と共に、この場を離れましょう」


 彼女の見立ては正しい。

 ……奇跡でもなければ。


 運命のお膳立てでもなければ、この場は収まらない。


 私の隣の妹が、一歩進み出た。

 群衆はまだ気付いていないが、私達の視線は、彼女に集中する。



「私に、行かせてください」



 群衆の叫び声の中で、彼女の声は、不思議とよく通った。


「レティシア嬢……」

「レティシア」

「レティシアさん……」


 コンラート、フェリクス、ルイが、それぞれに彼女を呼ぶ。

 そこに込められているのは制止――あるいは、期待? 何が込められているのか、もしかしたら本人達にも分かっていないかもしれない。


 私も、そうだ。


「みんな知ってますよね。私、"裏町"出身です。ここにいる人達の気持ち、分かるつもりです。叫びたい気持ちも、分かる……つもりです。――私の言葉なら、聞いてくれるかもしれない」


 私達は顔を見合わせる。


 最初に、コンラートが躊躇いながら頷いた。この場における最高責任者は、一応こいつだ。

 次にルイが妹をじっと見てから頷く。妹は慰問という形で彼と共に現場に出ている。任せられると判断したのだろう。

 最後にフェリクスも、渋々といった様子で頷いて、顔を背けた。この場の安全が薄氷の上だと分かっているのだ。


 私は、まだ迷っていた。



「レティシア。……あなたが行く必要は、ないのよ」



 嘘だ。

 彼女が行かなくてはいけない。

 この物語を、シナリオ通りに進めるなら。


 それでも、私は彼女を危険にさらしたくなかった。


 このために――今日のために道を敷いてきたのに。

 いざとなると。


「……お姉様。私が、行きたいんです」


 彼女は、きっと民の方を向いた。



「……ここは、私の町だから」



「レティシアお嬢様。いくらあなたがここの出身でも、現実として――」


 シエルが止めようとするが、私は頷いた。


「いいわ。行きなさい」

「アーデルハイド様!」


 シエルが、私の腕に自分の手を掛けて、こちらを向かせた。いつにない調子だ。

 私は、シエルを見つめた。


「シエル。……私を、信じてくれる?」

「はっ。……いえ、しかし……」


 シエルには、現実が見えているのだろう。

 この場の危険度は、とてつもなく上がっている。……特に立場の高い順に。


 騎士団は剣を抜いてこそいないが、ここに集う私達『お偉いさん』の命を守らない選択肢を選べるはずもない。


 ……物語は、所詮、物語だ。

 シナリオ通りなら、彼女の演説は……つたない。



 いかに気持ちが込められていようと、この場を収めるには、きっと足らない。



 物語なら、それでいい。

 舞台なら、観客が納得する雰囲気があれば、それでいい。


 ――今は、この暴動寸前の、飢え、凍え、疫病に怯える群衆に対して、声を届けなくてはいけないのだ。


 私では、無理だ。

 王子でも、騎士団長でもダメだ。一番マシなのは医師長か。


 それでも、もしかしたら。


 レティシアなら。


 あの子なら。

 【月光のリーベリウム】の【主人公】である彼女なら。



 もしかしたら。



 まだ年若い私より、さらに六つも若い妹に……どうしようもなく期待してしまっている自分に気が付いた。

 私はあの子に何を背負わせようとしているのか。


 私は、自分の腕に置かれたシエルの手に、自分の手を重ねた。


「いざという時は、レティシアの救出を最優先になさい。私一人なら、どうとでもなります」

「……アーデルハイド様……!」


 シエルが抑えた声で叫ぶ。

 ……彼女には珍しく、いつもはすまし顔を浮かべている端正な顔に、今は焦りの表情を浮かべている。


 私は、狂っているように見えるだろうか。

 "冷徹非情のヴァンデルヴァーツ"としての判断基準なら、静観はない。

 離脱にせよ鎮圧にせよ……しかるべき手段がある。


 それでも。

 決めたのだ。


 信じると決めた。

 【月光のリーベリウム】ではない。

 見えざる劇作家の描いた都合のいい【シナリオ】ではない。



 私の妹(レティシア)を信じると、決めたのだ。



「――命令です」


 シエルの手を、ぎゅっと握った。


「――はっ」


 彼女は、表情を消すと、一礼する。

 私の手から自分の手を抜き、私のかたわらで、警戒態勢に移行した。


 コンラートの手振りに従い、布告役がよたよたと演台から下りた。



 レティシアが、演台に上がる。



 彼女は、あそこに上がるべきではなかった。

 この国の常識なら、彼女のようなただの一貴族の令嬢が、この場の説得を任されるなどありえない。


 それでも彼女は、【主人公】だから。


 みんながみんな、彼女を信じている。

 なんとかしてくれそうな、そんな気にさせられてしまう。


 運命が、彼女に道を用意する。

 シナリオが、彼女を否応なくこの場に立たせる。


 私にできるのは、見守ることだけ。

 運命の筋書き通りに、全てが上手く行くように願うことだけ。


 そして――運命が彼女を裏切ったなら、この場に集う何人を殺してでも、彼女を助け出すことだけだ。


 布告役の代わりに演台に上がったのが、王子や騎士団長といった、いかにもな国のお偉いさんではなく、短い金髪をなびかせる少女だったことで、群衆の間にざわめきが広がる。


 彼女は、大きく息を吸って、話し始めた。



「【――私は、レティシア・フォン・ヴァンデルヴァーツ】。……旧四番倉庫街の裏にある、"崩れ屋敷"三階の突き当たり、七号室に、去年の今頃まで、一人で住んでいました。【"裏町"出身です】」



 ……セリフが、違う。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 皆なにかを守ろうとしている シエルさんは姉妹をお姉ちゃんは妹を フェリクスは部下と民衆を レティシアはそんな気持ちを言葉に紡げるのだろうか [気になる点] この国の上層部はよくこのメンバ…
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