救済の花畑
妹は、ルイ医師長の下で医師団の仕事を手伝っている。
手伝っていると言っても、慰問が主だ。
流通が滞り、一度国家が全て買い上げてからの配給制さえ検討されつつある今、人の心を荒ませない取り組みは重要度が増している。
配給制自体は悪いことではない。
……ただし、その配給が実行される時、人口の計算は人頭税に基づくものになるだろう。
"裏町"の住人は、そこに含まれない。
誰も、"裏町"に何人住んでいるのかを知らないのだ。
そして皮肉だが、元々二級品、三級品が卸されていた"裏町"の方が、今回の疫病によって流通網が壊れつつある影響が少ない。
ヴァンデルガント領からの直送がなくなり、我が家の食卓も貴族にしてはずいぶんと寂しい。
……こういう時に自分だけ贅沢できるほどの度胸は、私にはない。食べ物の恨みはそれこそ死に直結するからだ。
その朝食の後、妹が廊下で私を捕まえ、おずおずと切り出した。
「お姉様……その、不確実な話なのですが……今回の疫病についてのお話が……」
――来た。
「言ってみなさい。慰問の合間に、図書室で何かを調べていたのは知っています」
「はい……」
妹が小さく頷く。
彼女は、最近元気がない。……疫病が流行している中、今までのような笑顔でも不謹慎だと思う一方で、気分が沈んでいる時に暗い表情を見たくないという気持ちもあり、このあたりは複雑だ。
私は悪役顔をしていればいいので、その辺は楽な方か。
妹が、顔を引きしめ、キリっとした表情になる。
「――【ヤマイドメ】という薬草が、特効薬になる可能性があります」
乗馬イベントの際に私がむしって投げつけ、ヴァンデルガントの薬草園でも見かけた薬草。
その名前を聞いて、ほっとした。
【月光のリーベリウム】のシナリオでは、この子は苦しむのだ。救えぬ民の慟哭を聞き続け、心が壊れかけながらも献身的に看護を続け――そして道を見出す。
そういう風になっている。そういう『設定』だ。
でも。
……『見出せなかったら』?
既に微妙にほころびは出ている。
この子が見つけ出せなかったら……対処が遅れたら、何千、何万と死ぬ。
疫病で国が滅びずとも、生活が立ちゆかぬ民も出るだろう。
「それで、えっと……」
このシーンも、【公式イベント】で欲しかった。
ゲームの中の私は、いったいどういう風に説得されたのだか。――この可愛い妹への好感度が異常なまでに低い『私』は。
それともルイに直接持ち込んだのか。……私に相手にされなかったから医師団へ? ありそうな話だ。
……自分の選ぶ道が、未来を変えないか、怖い。
「レティシア。我が家が王都近郊に、この屋敷以外の領地も持っていることは知っていますわね」
「あ、はい……」
「同行なさい」
「あ、はい……?」
戸惑いながら頷く妹。
今ここで細かく説明してもいいが、面倒だ。
見れば分かる。
私は、妹とシエルと共に馬車に乗り込むと、王都郊外へ向けて出発した。
道中、妹に取ってこさせた本の記述を確かめながら。
「――お待ちしておりました、アーデルハイド様」
「ソニア、さん?」
曇天の空の下、王都郊外にある丘のふもとで私を出迎えたのは、ソニアだ。
茶色の髪を野放図に伸ばし、おでこを出しているのは変わらないが、いつになく落ち着いた物腰――疫病が本格化してからは、こうだ。
彼女の今の所属は医師団とは違うが、選んだのは人を助ける道――今回の病は、彼女にとっても『敵』、ということだろう。
前が開いた紫のローブは、ヴァンデルヴァーツ家の薬草園職員の中でも、研究員の職に就いているという証だ。
シナリオにソニアの名前はない。しかし、彼女の力が必要になるだろうと、疫病の兆候が出た時点で、ヴァンデルガントより王都へ呼び寄せていた。
「はい、お久しぶりです。レティシアお嬢様」
ソニアが口元の布を下ろし、頭を下げた。
眼鏡の奥の瞳を、悔しそうに細める。
「アーデルハイド様。未だ、解決の糸口は見えず……申し訳ありません」
彼女が謝る筋ではない。
しかし、責任感の強い彼女のこと。気に病むなという方が無理だろう。
だが、彼女もまた、私の手札の一枚だ。優秀な部下。……使える、駒。
そう見たくはないが、そう見るしかない。
「その件で来ました。私の妹が我が家の図書室で見つけた過去の事例が、参考になるかもしれません。――レティシア」
妹を促す。
彼女は、胸に抱いていた、屋敷の図書室にあった革装丁の大判本を差し出した。
何カ所か、栞が挟まっている。
ちら、と見えた栞を飾るのは――白い押し花だ。
「はい、あの……この本によると、ヤマイドメという薬草に、効果があるやも……」
「ヤマイドメ?」
ソニアが目をしばたたかせる。
そして首をかしげた。
「――アーデルハイド様の指示で、四年前から増産している?」
「……え?」
妹が、私を見る。
「ええ、眠気覚ましに使われるアレよ」
「――丘の向こうが、王都近郊での栽培区画です」
その言葉を聞いた妹が、ばっと駆け出した。
私とソニア、それにシエルは、彼女の後を追う。
丘の上で立ち尽くしていたレティシアに追いつくと、白い花が一面に広がる花畑が見えた。
わさわさとしたギザギザの葉っぱに、冬に差しかかるというのに、まだまだ元気に咲き誇る可憐で小さな花。
かつては大陸のどこにでも見られた光景だ。
今も人里離れた場所では、たくさん咲いている――はずだが。
それに頼る必要はない。
空を覆い隠す分厚く黒々とした雲の間から、太陽の光がはしごのように降りてきて、白く咲き誇る花を輝くように照らした。
不意に吹いた風が野原を揺らし、花弁を舞い散らし、舞い上げる。
レティシアが振り返って、私を見た。
「……お姉様。この花畑は? ――まさか」
私は、この花を栽培させていた。
栽培地を探し、集める手間を減らすために。
ただの情報で終わらせることなく、妹が手ずから――ヴァンデルヴァーツの名の下に――薬を生産できるように。
運命に従いつつも、抗うために。
「ええ、そのまさかよ」
私は、悪役に相応しい、口の端がつり上がった笑みを浮かべてみせた。
まさしく悪役令嬢。
断頭台間違いなし。
「私一人が生き残るために――」
「お姉様も民間療法を研究されていて、この花が、今流行している疫病に効くのではないかという結論に達したのですね!?」
「……え、いや? これは私一人が生き残るためですのよ?」
「何言ってるんですか? こんな量要らないじゃないですか」
まさしく正論。
聖女待ったなし。
「いや、あのね? 私はね?」
レティシアが、私の両手を、自分の両手で包み込んで、至近距離で私の瞳を覗き込んだ。
こんな時だというのに、どきっとして、言葉を失う。
「お姉様。――ヴァンデルヴァーツ家の力を、どうか今こそお貸しください。噂を広げたり……できますよね?」
「い、一応」
勢いに呑まれて頷く。
「これが本当に効くとして、薬にできるかどうかは……時間との勝負です。その間に、少しずつ噂を――いいえ、真実を広めてくれませんか? ヴァンデルヴァーツ家が薬を製造中であり……完成の暁には、配られる予定であると」
展開が……早い。
違和感を覚えつつも、確かに、時間との勝負だった。
「分かったわ」
頷くと、後ろの二人に向き直った。
「――シエル。ソニア」
「「はい、アーデルハイド様」」
二人の返事は、綺麗に唱和する。
「この病を、改めて、ヴァンデルヴァーツの敵と定めます」
「……失礼ですが、これが此度の疫病に効くという確証はありませんが……」
ソニアが控えめに申し出る。
「藁でも猫の手でも構いませんわ。行き詰まっているなら可能性のある方に賭けます。ソニア、以後あなたが本計画を主導なさい。文献を皆で検めて、試験に入りなさい」
「はい」
ソニアが頷いた。
「シエル。ソニアを全面的にサポートなさい。ヴァンデルヴァーツの名において、最優先です」
「かしこまりました」
シエルも頷く。
その二人から顔をそらして、私はヤマイドメの花畑を見た。
可憐な花だ。
これから、たくさんの人を救う。
そして、それよりは少ない人達を殺す。
「無制限の臨床試験を許可します。――何人殺してもいい。可能性が一筋でもあるなら、それを結実させなさい」
「お姉様!?」
血相を変える妹は、無視した。
「はい、アーデルハイド様。……最小限に留めるよう、努力いたします」
「可能な限り、問題とならないようにいたします」
ソニアとシエルがそれぞれ頭を下げて頷く。
レティシアが、私の袖を強く引いた。
「お姉様! ……それ、は……」
私の視線を受け、途中で妹の声が力をなくす。
「レティシア。代案があるなら、述べなさい。――何もないなら、その口を閉じていなさい」
「っ……」
彼女は、言いつけ通り口を閉じた。
「……レティシア。――ヤマイドメの薬が、特効薬だとして。まっとうな対処法が通るのは、いつになると思います?」
「……いつ」
レティシアがオウム返しにする。
「医師団の『上』が動くまでに。宮廷会議にかけられ? ちまちまと安全性の高い試験をして? ――悪意なき、無自覚な愚鈍が一番、多くの人間を殺す」
ゆえに、ヴァンデルヴァーツ家は生まれた。
私達は、自覚ある悪意。
この国の陰から、またたかぬ目で見張り続ける家守。
まだ私の袖を掴んだままだった妹の手を振り払って、宣言した。
「全ての責任は、私が負います」
民を臨床試験という名の人体実験に使い、その命を使い捨ててでも、自らが生き延びようとした悪女――
断頭台への罪状には、十分だ。
人を救うというのは、分かりにくい。
特にその救済が、的確であればあるほど。
危険をあらかじめ排除すればするほど。
それは、『賞賛される救済』ではなくなる。
人を殺すというのは、分かりやすい。
たとえ、それが必要な犠牲というやつであろうと。
時間をかければ、それだけ多くの人間が死ぬのであろうと。
常に人殺しは、『糾弾されるべき悪』だ。
"冷徹非情のヴァンデルヴァーツ"は、多くの人間を殺してきた。
そして……その殺した数が、死ぬはずだった人間よりも少ないと判断されている限り、存続を許された。
それでも――私達の行為は、常に『悪』だ。
ただ、本当はこの世界に、誰もが明確に共有する『正義』などない。
ゆえに、私達はこの国の存続が目的であると定めた。
より多くの民を生かし、幸福にするための受け皿を、守り抜くことを誓った。
ヴァンデルヴァーツ家は、そのために生まれた。
アーデルハイド・フォン・ヴァンデルヴァーツは、その次期当主となるべく育てられた。
それでも私は、迷っただろう。
このシナリオを、知らなければ。
【月光のリーベリウム】が、ハッピーエンドの恋愛物語だと知らなければ。
私に、妹がいなかったら。
ヤマイドメは、ただの眠気覚ましに使われるだけの、大した価値のない草で。
私は、きっと解決策を見つけられなかった。
私の『役』が【悪役令嬢】でなければ。
死にたくはない。
当主として、そう簡単に死んでやるわけにはいかない。
それでも、切り札には切り時というものがある。
次期当主を任せられるまでに成長した妹と、悪辣で嫌われている現当主の首。この二枚の使い時は、ここだ。
……ああ、よくも、盤面をこんなにも簡単にしてくれたものだ。
シナリオ通り、事が進めば。
妹は、聖女で。
私は、悪女で。
妹が解決策を見つけて、私が命令する。
綺麗に光と闇を分担して、薬が作られる。
妹は賞賛され、私は糾弾される。
もっと良い道を選べなかったのか、という私の心に残るわだかまりさえ、断頭台がそそぐ。
もう一つ、"裏町"が絡んだ問題が起きるが、それは妹が解決する。
ならば、そのほかの全てを解決するのは、姉である私の役目だ。
私は、私の役割を果たす。
……私が愛した全てを、守るために。