【承認の儀】
謁見の間。
重々しい石床に、太い円柱が立ち並ぶ、細長い部屋だ。
玉座の上など、何カ所か荘厳なステンドグラスで光が取り入れられているが、城という都合上あまり窓を増やせず、曇天の今は薄暗い。
【承認の儀】が始まった。
私の妹が貴族になったことを示すための儀式だ。
こういう儀式は公爵家の令嬢として育てられ、今は当主である私にとっては慣れたものだが、妹は初めてで、我が事のようにどきどきする。
一番奥の一番高い場所に玉座が置かれ、そこまでの足下に敷かれた赤絨毯の上を、レティシアと共に歩む。
私が足を止めた十歩ほど先で、妹がドレスの裾をつまんで持ち上げながら、片膝を折ってひざまずいたのを見てから、私も同様にひざまずいた。
レティシアの方は、少々慣れない風ではあるが、それに対し意地悪を言うのは、『悪役令嬢』以外にいない……はずだ。
もしいたら……挽肉にしてやりたいが、まあ、彼女がいずれ名を上げた時に青ざめるだろうから、それまでは大目に見てやる。
レティシアが一段高い玉座、そこに座る、ユースタシア王国を統べる国王に視線を向け、頭を下げた。
「……レティシアと申します、国王陛下」
「……うむ」
十数人の貴族が列席しているが、まばらで、いかにも寂しい。
玉座の脇には宰相が立ち、反対には王子だ。遅刻すればよかったのに。
この制度が使われるのは、珍しい。
貴族家当主の申請によって、国王陛下が承認する――王国法における貴族階級とは、国王陛下に与えられる地位だ。何の問題もない。
しかし、貴族とは特権階級であり、相応の理由が必要となる。
今回は一応、半分血が繋がっているという主張をして、それが通った形だ。
これが、【月光のリーベリウム】のシナリオを強引に進めるための設定でないとすれば、建国間もない頃、自分のお気に入りを、貴族に繰り上げるための制度だったのではないかと思っているが……。
貴族家の成り立ちといえば、戦場働きか、財力のどちらかと相場は決まっている。一部、芸術や産業で名を上げた家もあるが。
そして、最も多くの血を流し、最も多くの富を積み上げ……最も多くの屍を野に晒した家が、ユースタシア。
諸侯をまとめ上げ、利益と恐怖をもって、ユースタシア王国という大国を築き上げた、最も高貴にして最も野蛮な血統。
とはいえ、ユースタシア王国は、ここ百年は本格的な戦争をしていない平和な国でもある。
かつて大陸最強の軍事国家として覇を打ち立てた過去は今は遠く。
しかし今もってなお、名実ともに大陸最強。
国力の高さに、騎士団の練度。小規模紛争の調停に派遣されたユースタシア王国騎士団の活躍は語り草だ。
そしてこの国には、"冷徹非情のヴァンデルヴァーツ"がいる。
国内外に無数の目と耳を持ち、ありとあらゆるユースタシアに仇為すものを排除する、またたかぬ目を持ち、温かい血を持たぬ、ウォールリザード……というのは、国内外でささやかれる、どこかで詩人の手が入っていそうな噂話だ。
どこも似たような組織は抱えているが、貴族家の筆頭たる、三家しかない公爵家――つまり上級貴族に、その権限が与えられているという話は聞かない。
……表向きには、我が家は、王都周辺と北部の領地、それに僅かな飛び地領地を持つだけの貴族だが。
しかし、ユースタシア家は常にヴァンデルヴァーツ家を頼みとし、我が家はそれに応え続けた。
果てしない戦乱の世においては、平和とは見果てぬ夢。
しかし、先人が夢見た未来が、今この国にはある。
……ユースタシアの建国王は、大陸制覇を目指していたようだが、それをしたらヴァンデルヴァーツは過労死していたと思うので、建国王の方針を引き継がず、領土拡大を止めた二代目国王には感謝しても、し足りない。
四大国の一国として大陸に覇を轟かせつつも、数多くの小国家の分離・独立を支援。今も友好関係を築いている。
分裂してくれていた方が都合がいい、というわけだ。
今は、諸国の情勢が安定している。
根深い領土間の争いはおおむね終わり、通商問題などはあっても、複雑に絡み合った同盟関係は――守られれば――即座に全面戦争に発展する。
多少面倒でも、戦争よりも対話が選ばれる。
誰もが、時計の針を巻き戻して、この大陸を再び戦乱の時代に叩き込もうとは、思っていない――
それが、【月光のリーベリウム】の舞台。
建国の時代でなくて良かった。
恋愛物の舞台なら、別に戦争の過去は要らなかったのではないかな? と思いつつ……きっとシナリオを担当した見えざる劇作家の生まれた世界も、人は争い続けたのだろう。
そして……恋愛物語を楽しめる程度には、平和になっているのだろう。
建国戦争のような争いではないが、一年もしない内に、この国は乱れる。
そしてヴァンデルヴァーツの仕事は、建国時から何一つ変わっていない。
ユースタシアに安寧を。
そのために、実の妹を利用せねばならないとしても。
そのために、私が断頭台で首を落とされるとしても。
――ヴァンデルヴァーツの仕事に、変更はない。
怪しげな運命とやらも信じよう。情報の精度だけはまあまあだ。
いろんな意味でうさんくさいので、警戒はしているが。
陛下が、私の妹に、一段高い壇上から声をかける。
「――レティシア。そなたは、『フォン』の称号を受け、ユースタシアに忠誠を捧げ、義務を果たすことを誓うか?」
朗々とした声に、列席者は居住まいを正す。
私は妹の晴れ舞台ということでかなり気を張っているので、変わらないが。
もう、書類上では妹は貴族だ。
だから、これはただの儀式。
この国が妹を貴族と承認したと、広く知らしめるための儀式だ。
……外では、重く立ちこめた雲に晴れ間が覗いたらしい。玉座の上の一際大きいステンドグラスが輝き出して、鮮やかな色とりどりの光が降り注ぎ、レティシアを照らした。
「――はい、誓います。国王陛下」
妹がしっかりとした声で宣言し、頭を垂れた。
ちゃんと練習の成果が出ている。
さすがヴァンデルヴァーツ家の次期当主だ。
……生まれた時にはもう、この血は私を縛っていた。
実の妹がいると知って最初に思ったことがある。
殺し合う必要が、あるのだろうか……と。
そして、いっぺんに頭に叩き込まれた大量の情報をゆっくりと処理して……長い物語を読むように【月光のリーベリウム】のシナリオを全て辿り終えた時。
私は……ほっとしたのだ。
私は、ただの小悪党で。
妹は、純真な女の子で。
断頭台で首を落とされる――『だけ』だ。
私は、妹を殺さなくてもいい。
そして、妹の手に掛かって死ななくてもいい。
……妙な運命だとは、思う。
けれど、私はずっと前から生き方を定められていた。
私には、それまで学んだ全てを放り捨てて……培った誇りも、果たすべき義務も、シエルとの約束も捨てて、ただ一人の自由な人間として生きていけるような、そんな我が儘さ……強さは、なかった。
私は、貴族として生まれた。
私は、貴族として死ぬべきだ。
『ゲームの中の私』は、ヴァンデルヴァーツの責務を果たしつつも、ちょっと心を病んでしまったのではないだろうか。
……それか、今も私が突き進んでいるように、徹底的に悪役を演じようとしたか、だ。
物語は主人公視点で進むので『悪役令嬢』の心情は語られない。
自分の心さえ、分からない。
「レティシア・フォン・ヴァンデルヴァーツ。ユースタシア王国国王の名において、そなたを貴族と認める。――義務と忠誠を」
「――義務と忠誠を」
陛下の言葉を、妹が復唱する。
お決まりの文句だ。
……ああ、よいイベントだ。
テキストで語られるだけだと、この良さは伝わらないのではないか。
特等席で、妹の晴れ姿を生で見られる幸せ。
強いて言えば、ちょっとだけ、国王陛下に取って代わりたかった。
その位置が真の特等席では。
……不敬かな。
妹が立ち上がり、すみれ色のドレスの裾をつまんでお辞儀をする。
付け焼き刃ではあるが、彼女の愛らしさと相まって、それなりに様になっている……と思う。
私の位置からでは、後ろ姿しか見えないのが、残念だ。
……陛下の隣に立つ王子が、拍手をはじめた。
ぱちぱち……という一人分の拍手が、謁見の間の広々とした空間に吸い込まれていく。
しかし、戸惑いながらも他ならぬ第一王子の祝福に、当事者である陛下とレティシア以外の皆が続き、ぱちぱちという拍手の音が、謁見の間を華やがせた。
私も。
私も、拍手をした。
レティシアの背後で、膝を折りながら、妹の背中を眺めていた。
妹は、よくやった。
陛下が玉座に腰かけるのを見届けて、私は立ち上がった。
妹も踵を返し、私の姿を見て、笑顔になった。
そして私の元に小走りで駆け寄ってきて――
思いきり、転んだ。
謁見の間が、しん……と静まり返る。
妹は、よくやった。
転ばなければ、もっと良かった。