最近流行りの睡眠補助機能付き枕
王立の緑地公園の芝生は広く、多くの人が一時の憩いを求めて集まっていた。
一人で来ている人もいるが、二人連れや、家族連れも多い。
妹と並んで芝生に腰かけ、そういう人達を見るともなしに眺めていると、女性の二人連れのうち一人が座り込み、もう一人が寝転んだ。
――もう一人の、膝の上に。
レティシアが彼女達を軽く指さしながら私を見る。
「あの、お姉様……あれ」
「……やりませんわよ」
ダンスレッスンの後の休憩時間と何が違うのかと聞かれると答えにくい。
しかし、ダンスの練習の後にやっている膝枕は、強弁するならばレッスンの後の体調管理の一環だ。
それに対して、今見ているような膝枕とは、親子でもなければ仲良しの姉妹や、親友……あるいは、恋人同士でしたりするものだろう。
なので、やってほしいと言われても、心を強くもって断る気でいた。
妹が、口を開く。
「むしろしたい」
「……は?」
うちの妹は、言葉が足りない。
いつも次に何を言うのかとドキドキするが、彼女は無言で膝を揃えて座り直すと、ふとももをぽんぽんと叩いた。
その仕草は、言葉よりも雄弁だ。
つまり、膝枕をされる側ではなく、する側になりたいと。
脳内の競馬場で、騎手達がそれぞれ白馬に飛び乗って、唐突にレースが始まる。
トップを独走するのは「いいの? お姉ちゃん嬉しいわ」。
数馬身離されている「やっぱり私が膝枕したい」。
最後尾を走る「枕になりなさい」。
まともな選択肢はいないのか。
ダメな選択肢が紛れ込んでいるというか、全部ダメというか。
この、時々頭をよぎるアホらしい光景は、やはりストレスの産物だろうか。
当主としての資質に疑いを持たれたくないので、誰にも相談できないが。
レティシアが、何かに挑むように、真剣な顔で私を見つめる。
そんなに膝枕をしたいのか。理解に苦しむ。
私と――仲良し姉妹みたいに?
少しだけ、想像してみた。
芝生に座る妹の膝に頭を預け、身を委ねる。……甘えるように。
それは断じて、悪役令嬢らしい振る舞いではない。
"冷徹非情のヴァンデルヴァーツ"当主としても、どうなのか。
この子の未来に必要なのは、私ではない。
私の未来も、決まっている。私が決めて、そうする。
――そこに姉妹の絆など、必要ない。
「……ふん。膝枕? 馬鹿らしい。調子に乗るのもいい加減になさい」
鼻で笑った。
レティシアが、口を開き……声を出さずに、うつむく。
「枕になりなさい」
ぽすん、と倒れ込むようにして妹の膝を枕にした。
「ふぁっ!?」
びくんと跳ねる妹の太ももを、頭で押さえ込んで、頬を寄せる。
脳内の競馬場が、思わぬレース結果に沸いた。
いつもは、このレース結果はうやむやになる。近い選択肢が選ばれるとしても、比較的まともな、先頭の一番人気だ。
が、これは絶対に選ばないだろうなという大穴中の大穴、「枕になりなさい」が脅威の追い上げを見せて勝ってしまった。
……選んでしまった。
選択肢は、選び直せない。
【恋愛シミュレーションゲーム】だと、どうも以前の記憶を持ったままやり直せるようで、それはまた高尚な神々の遊びだなあと思ったものだが。
「お、お姉様。これ、膝枕と、どう違うんですか?」
「おめでたい頭ね。どこをどう見ても違うでしょう」
どこをどう見たら違うのか、とかそういうことは言わない。ボロが出る。
しかし、うちの妹はうわずった声も可愛いな。
もっとこういう声を聞きたいと思ってしまう自分がいた。
……それは、身に余る欲望だ。
この子を汚してしまう。
いろんな顔を見たかった。いろんな声を聞きたかった。いろんな場所に行きたかった。――二人、一緒に。
思ったより、いろんな顔を見られたし、いろんな声を聞けた。
【イベント】絡みが多いし、二人きりでないことも多々あるが、それでも一緒にいろんな場所へ行った。
今日が、最後。
自分がどんな顔をしているか自信がなくなったので、寝返りを打って、妹のお腹を見つめる格好になる。
ダンスレッスンの後の妹がよくやっているのを思い出し、丁度いい場所を探るようにぐりぐりと頬を押し当てると、しっくり来る場所が見つかった。
「…………」
「…………」
しばし、お互いに無言になる。
丁度いい距離を、探るように。
先に、レティシアが動いた。
私の銀の髪に、妹の手のひらが当てられる。
思わずぴくっ、と反応し、レティシアもぴたっ、と動きを止めた。
お互いに動きを止める。
相手の反応を窺う。
妹は、私が動きを止めたのをどう解釈したものか、ゆっくりと頭を撫でる動作を再開した。
たどたどしい手つき。けれど、手が一往復する度に、その動きは私の頭の形に馴染んでいくようだった。
あるいは私の頭と髪が、妹の手に馴染んでいくような。
沈黙に耐えられず、呟く。
「……最近の枕は、便利になったものね」
「これはアレです。最近流行っている、睡眠補助機能付き枕です。あなたに良質な睡眠と快適な安眠をお約束します」
実に適当なことをほざく妹。
どこから突っ込めばいいのか分からない。
――受け入れられない言葉がある。
仲良し姉妹だとか、そういう区分に私と妹は入ってはいけない。
彼女は【主人公】で、私は【悪役令嬢】。
それが、求められる役割だ。
運命に、定められた配役だ。
今の姿がはたして人にどう見られるか。そういう客観的視点にはあさっての方向を向いてもらうとして、これは悪辣な姉が自らの安眠のために、最近流行りの睡眠補助機能付き枕になるよう命じただけのこと。
実際にそんなものが流行しているのか――いや、そもそも存在しているのかさえ疑っているが、それは口にしない。
妹が、私に何を求めているのかは、分からない。……分かってはいけない。
高望みなんて、してはいけない。
所詮、私は小悪党で。
妹が何を望んでいたとしても。
運命に抗う覚悟なんて、ないのだから。
「……手を、離しなさい」
「……いや、です」
「寝るわよ……」
「いいですよ。私の膝を枕にお姉様が寝てくださるなら、むしろ光栄です」
光栄の使い方おかしい。
――時計塔の鐘が一つ鳴った。
もう、公園に来てから一時間経ったのか。ちょっと遊歩道を歩いて、屋台でお昼ご飯を食べて、芝生に座って話をしていただけだったのに。
この後も、一緒に行きたい場所があるのに。
時計の針は前に進み、戻らない。
時計を止めても、歯車を壊しても、時間は流れていく。
ユースタシア王国を貫く大河、美しく清きアルトラインが、私が生まれる前から流れていて、私が死んでも、流れは止まらないように。
私は、まぶたを押し下げようとするまどろみに、それ以上抗わないことにした。
またたかぬ瞳を持つ家守の紋章を戴く公爵家の当主としては、失格だろうか。
でも、レティシアがいる。
私を膝に乗せて、今も髪を撫でている、聖女のような心根の清さに健気さと愛らしさ、全てを兼ね備える物語の主人公のような、女の子が。
私の、宝物。
伝承に語られるような、積み上げた金銀財宝の上に眠るドラゴンの気持ちが分かったような気がしつつ、肩の力を抜いて、完全に妹に身を委ねた。
呼吸を整え、ゆっくりと寝息を立て始める。
穏やかなくらやみの中で、レティシアが、ごくごく小さな声で呟いた声が耳に届いた。
「……高級な長毛種の猫がなついてくれた時って、こんな感じかな……」
レティシア。
お姉ちゃん、まだ起きてる。
姉を猫扱いしている疑惑が生まれつつ、なんだかむしろほっとした。