でか盛りサンドイッチ
妹から受け取ったサンドイッチを、改めてしげしげと見る。
中身はレタスにタマネギにピクルス、それにベーコン。
具材は普通だが、特にベーコンが分厚く、さらに間にレタスとタマネギをもう一度挟んで、重ねている。
妹と一緒にいると、視線や意識は主に妹に向けているので流していたが、自分の手の中にあると、存在感が尋常ではなかった。
サンドイッチとは、もっと手軽に食べられるものではなかったか。
「ナイフ……とか」
思わずそう口にしていたが、皿もなく、当然、ナイフもない。
サンドイッチをナイフで一口サイズに切ってフォークで食べるのは、さすがにテーブルマナーというものを過剰に適用した結果だと思うが、普通はもっと薄いし、こんな大判の四角いパンではなく、斜めにカットして三角にしたり、いっそ四分割したりするものではないか。
「これ……どう食べれば……」
結果として、パンと野菜と肉の塊を前に、途方に暮れることになる。
「どう? ……って、普通に、こう」
レティシアが、あーん、と可愛い口を、顎が外れないか心配になるほど思い切り開けて、かぶりついた。
そのまま目を閉じて、もきゅもきゅと味わう妹。
ごくん、と飲み込むと、にこっと笑うレティシア。
「噂通りのボリュームで、食べ応えありますね」
私は自分のことを、貴族家の令嬢、そして公爵家の当主としては、それほど上品な方だとは思っていなかった。
軽んじられるわけにはいかないので、一通りのマナーは修めているが、私の立場では、上品に口元を隠しながら笑うよりも、口の端を歪めるようにして笑い、相手の心を折りにかかる方が、よほど重要だった。
シエルに、これ令嬢としても当主としても本当に必要だろうかという、それこそどんな状況でも生き残れそうなスキルを叩き込まれている。
彼女との訓練や騎士の練成課程を通じて、野外での食事、マナーに気を遣わない食事も、慣れている――つもりだった。
どうも、思い上がりだったらしい。
今もきっと、見られているのだ。
護衛の選定はシエルに任せている。誰かが、妹はもちろん私にも気付かれないように護衛して――見張って――いるはず。
私は常に、見られて、当主に相応しい存在であるか試されている。
ただ口を大きく開けて、サンドイッチにかぶりつくようなことさえ、私にとっては……当主としての規範に則っているかを考えなくてはいけない。
でも、それが馬鹿らしい気もした。
私は、当主としての鎧を脱ぐ気はない。
"冷徹非情のヴァンデルヴァーツ"の名は、軽くはない。
それでも、露店で、でか盛り? サンドイッチとやらを食べたぐらいで揺らぐような誇りを守ってきたつもりはない。
主催者の第一王子殿下がご乱心めされた結果誕生した、目の前で肉を焼いてくれるスペースがあったお茶会を思い出す。
令嬢としての規範に迷いながら、それでも好奇心に駆られ、勇気を出してそこに集まった令嬢達。
彼女達のささやかな冒険に冷たい視線を向ける、つまらない手合い。
……いちいち妹にくだらないことで絡む悪役令嬢という役柄は、時に、ああいう手合いと同列になることを要求する。
私は、悪役令嬢だ。
悪役令嬢として、断頭台を目指す。
公式シナリオは、可能な限り再現してみせる。
でも、今この瞬間に、妹が誘ってくれたデ……お出かけで、彼女が差し出してくれたものを否定するのは、それこそ私の誇りに反する。
今この瞬間は、レティシアが、自分一人のために使っていい時間と資金を使って、私のために用意してくれた時間だ。
何かと辛辣な姉と仲良くなろうと歩み寄りを見せる妹。
私は、それに報いることは、できない。
……公式シナリオをなぞることしか、できない。
他の道を、私は知らない。選べない。選ぶ勇気も……ない。
それでも、今、口を開けるぐらいは。
あーん……と大きく口を開け、それでも足りず、なるほど、さっき妹が顎が外れそうな勢いで口を開けていたのはこういうことか、と納得しながら、もう一段大きく口を開けた。
こんなに口を大きく開けたのは初めてで。
血塗られたヤモリの紋章を戴く公爵家当主としては、ちょっと人様にお見せできない顔をしている気もするが。
思い切ってかぶりつくと、パンの間に挟まれた野菜の、シャクっという歯触りが心地よく、逆に分厚さから相応の覚悟をしていたベーコンは思いのほかあっさりと歯が通った。隠し包丁が入れてあったらしい。丁寧な仕事だ。
ベーコンは塩気が強め、脂も多め。しかしそれがたっぷりめの野菜と合っていたし、外で、頬を撫でる風を感じながら食べると、元気が湧いてくる。
一口目でかじり取れたのはちょっとだけだったキュウリも、ともすれば一口で飽きそうなボリュームをキリッと引き締めていた。
一言で言うと、食べ応え抜群で楽しい。
「……こんな風にしたの、初めて、よ」
ぽつ、と呟く。
レティシアが、ちょっと不安そうになった。
「でも、悪くないわ」
ぱあっ、と表情を明るくする妹。
別に彼女を喜ばせるために言ったわけではないが、デー……食事を共にする相手の表情が明るいのは、それだけで気分がいい。
お互いに顔を見合わせると、二口目に取りかかる。
口の中がぱさぱさしてきたので、陶器のコップに入った、りんご果汁の炭酸水割りを口に含む。
脂と塩を洗い流すようなさっぱりとした果汁の甘みと、ぱちぱち弾ける炭酸水のおかげですっきりして、改めて、このテーブルマナーへの挑戦とさえ言えるような塊と向き合う気になれた。
同じタイミングで飲み物を口にし、やはり、ちょっと人様にお見せできない勢いでサンドイッチを食べ進めるレティシア。
私はそういう妹も可愛いと思うが。
……こんな姿を見せてくれるのは私だけ、と思うのは、うぬぼれだろうか?
まあ、同性で姉だし、と内心で理屈を付けて納得する。
今日私を誘ってくれたのは、このサンドイッチの話を屋敷のメイド達から聞いて気になったが、【攻略対象】の男どもの前で食べる気にはならなかった……ということかもしれない。
少なくとも、私はあの三人の前ではごめんだ。
コンラートは論外として。ルイには気を遣われそうだし、フェリクスはあまり気にしなさそうだがそれはそれで複雑だ。
……シエルの前ですら、恥ずかしいかもしれない。
幼少の頃、それこそ生まれた時から仕えてくれているのだから今さらかもしれないが、彼女の期待を裏切りたくはないのだ。
私は、自分が結婚するならどうせ政略結婚だと思っていたので、あまり真剣に、交際相手に求める人柄とか、そういうことを考えたことはなかった。
でも、今日、妹と一緒にボリュームたっぷりのサンドイッチを食べて……希望が一つできて。
一緒に、こんな風にサンドイッチを食べられる相手だといいな。
公爵家当主としてはひどくささやかな希望。
けれど、悪役令嬢の道を歩む私には無縁のものだ。
どうせ、断頭台に行かなかったとしても待っていたのは政略結婚だ。
両親は子供から見える範囲では仲睦まじかったので、恋愛結婚至上主義のつもりもなかった。
が、レティシアという謎の存在がいるので、私に見えていた通りではなかったらしい。
今のレティシアの結婚相手としての政略的な価値は、正直に言って微妙だ。
ヴァンデルヴァーツ家の爵位継承権を得られるかもしれない……ぐらい。それにしても、当主が認めないと言えばそれまで。
でも、いずれ誰もが彼女と結婚したいと思うぐらいの名声を手に入れる。
その時に選ばれるのは、王子、騎士団長、医師長のような、以前から彼女を好いていて、関係を積み重ねてきたような相手だ。
あいつらは、レティシアと並んで街を歩いて、きっちりエスコートして、一緒にでか盛りサンドイッチを食べてくれるだろうか?
「あー、美味しかった! お腹いっぱい!!」
一足先に食べ終わり、はあっ、と息をつくレティシア。
コップも空にし、両肘をテーブルに突くと、じっと私を見つめてくる。
なんだと思いながらも、私は小さくなりつつあるサンドイッチを頬張った。
「……本当にお腹いっぱい……ごちそうさまです……」
頬を緩めながら呟く妹。
それはさっき聞いたし、この場の払いも妹のはずだが。