緑地公園
王立の緑地公園。
王都定番のデートスポッ……憩いの場という称号は、伊達ではない。
緑地公園だけあって緑が豊かで、石畳の街とは空気からして違うようだ。
目にも優しい。小川のせせらぎが耳も癒やしてくれる。
贅沢の対価でもあるので仕方ないが、当主としての仕事は心労が溜まる。
うさんくさい役柄である、悪役令嬢とやらも同様だ。
歩くだけで幸せな空間だ。
もっと早く来れば良かったか。
――しかし、それは妹が隣にいるから、かもしれない。
私の腕にそっと手を添えてくる妹の微かな重みが心地よい。
時折視線がぶつかって、はにかむレティシアの表情に、いちいち胸が締め付けられる。
こんな風に目と目が合うぐらい、今日だけで何回目か分からないのだから、いい加減慣れればいいのにと思うのだが……――これが、妹とこんな風にできる最後の機会かと思うと、一瞬一瞬を心に刻みつけたい。
同じように、つかの間の休息を楽しんでいる人の姿がある。
勤勉を美徳とするユースタシアだが、休息が軽んじられているわけではない。
働く時は働き、休む時は休むのが仕事だ。
今、この世に泣いている人がいるとして、それでもこの場に確かに存在する幸福な光景を、否定したくはない。
私の隣の、今は笑っている妹が、傷ついた過去を持っているように。
……私が選択肢を間違えれば、この光景は消えて、戻らない。
きっと、妹も笑顔ではいてくれない。
たとえ、私が今も胸ポケットに収めている懐中時計にも刻まれている、我が家が戴く紋章が、家守だったとして。
たとえ、我が家の異名が、"冷徹非情のヴァンデルヴァーツ"だったとして。
それでも私はこの国に三家しかない公爵家の当主であり、国家に奉仕する義務を担っている。
義務と忠誠を。
ユースタシアに安寧を。
私の命は、天秤の分銅に同じ。
全てに、しかるべき『重み』がある。
私の命は、案外と軽い。
この光景を守れるのなら。
私の妹の笑顔が、曇らないのなら。
妹の顔をじっと見る。
また、にへ、と表情を緩めるレティシア。
……私が断頭台に行ったら、この笑顔は、曇るのかな。
妹は、私が負った責任を、分かってくれるだろうか。
相談できるはずもない。もう決めたこと――決まっていることだ。
この物語が始まった瞬間から。
私達は、【月光のリーベリウム】というシナリオの内側にいる。
でも、そんな奇妙な運命に操られでもしなければ、私とレティシアは……きっと出会うことさえ、できなかった。
この国に訪れる災厄も、私に待ち受ける断頭台も、妹と出会えないよりはいい。
死別するとして……もしかしたら、軽蔑されるとして。
それでも、ほんのひとときでも、この子の笑顔を見られたことに後悔はない。
「お姉様。多分、あのお店だと思うんですよ」
妹が指さしたのは、車輪のついた移動屋台だ。
本来は馬に引かせる荷車を改装して、人が引けるようにしたものだろう。入り口には馬車止めの杭があり入れられそうにないが、区画整備用の搬入口があったはずだから、許可を得てそちらから運び込んだものと推測できる。
店外に置かれた立て看板からして――
「サンドイッチかしら?」
「はい。でか盛りで、ボリュームたっぷりだって」
でか? 森?
聞き慣れない言葉に内心で首を捻っている間に、妹は、ぱっと手を離して屋台に向かって駆け出していた。
フットワークが軽い。
さす……と、さっきまで妹の手が添えられていた腕をさする。
妹が来てから、振り回されることばかりだ。
自分の感情を、制御しきれなくなりそうになる。
さっきまで妹が隣にいたのに、今はいないのが寂しい……なんて。
……そんな弱い自分は、当主として許せないのに。
ふらふらと、手を添えてくる妹の圧がなくなったせいか、どこか頼りない足取りで彼女の後を追う。
店主は大柄で、短く刈り込まれた黒髪とひげ面も相まって、熊を思わせる大男だったが、手つきは繊細だ。
木製のカウンターに、それとは色合いの違う木製のまな板が置かれていて、そこにバターの塗られているらしい四角くカットされたパンが置かれる。
目の前で作ってもらえるのは、見ていて楽しい。
パンの上に載せられたのは、ちぎりレタス、スライスされたタマネギ、薄いキュウリのピクルス、分厚いベーコン……えっ、待って、分厚い。そのベーコン分厚くない? またちぎりレタス、タマネギ……えっ、ベーコン? 二回目!?
戸惑っている間に、最後のパンが重ねられる。
そして二つ目が手際よく作られて、妹がそれぞれの手に受け取った。
「どうぞ、お嬢様」
「ありがとうございます」
声は野太いが口調は丁寧だ。
「あっちで食べましょう、お姉様。あ、両手が塞がってるので、飲み物お願いできますか?」
「ええ」
薄い陶器のコップを両手に受け取る。
「返してくれれば、銅貨一枚お得なので」
「分かりましたわ」
ボートや貸本と同じ、あらかじめ保証金を払っておくシステムだ。
近くの、備え付けの木製のテーブルとベンチのセットに座っているレティシアの元に向かう。
こと、と、風雨にさらされて古びたテーブルに陶器のコップを置く。一つはレティシアの前に、もう一つは反対側へ。
テーブルは古び、傷も多いが一見したところ、ささくれはない。公園の整備者は丁寧な仕事をしているようだ。
たくさんの人の手で、この空間は維持されている。
――失いたくないものが、ある。
"冷徹非情のヴァンデルヴァーツ"の長、またたかぬ瞳を持つ冷血動物にも、大切なものぐらい。
レティシアが笑顔で、右手のサンドイッチを私に差し出す。
私の、一番大切なもの。
きっと私の幸せは、彼女のそばにあるのだろう。
――そんな未来が、ないとして。
それでも、運命にも、その筋書きにも、今だけは邪魔をさせてやるものか。
レティシアから、サンドイッチを受け取った。
ずしり……と、並々ならぬ重量感がてのひらに伝わってくる。
……やっぱり、このサンドイッチ大きくない?