二人の行き先
「それで? 行き先は任せて欲しいということでしたけれど」
なんとなく歩き出したはいいが、私は行き先を知らない。
今日は、妹の希望を聞く日だ。
悪役令嬢的に絶対やってはいけない選択肢を選んでいるような気がするのだが、この程度で変わる運命ならむしろありがたい。
少しだけ、か細い希望がある。
細かい違いが積み重なって、もしかしたら、私が恐れているような事態にはならないかも……と。
その場合、妹に無駄に意地悪をしただけになる。
……その時になって謝ったら、妹は、私を許してくれるだろうか?
私は許せないかもしれないな、と心の狭さを自覚するが、それでも相手がレティシアなら秒で許す自信がある。
……でも、私は『意地悪』をされた経験がない。そうなった時、本当に許せるものかも――分からない。
強いて言えば騎士の練成課程だが、教官は厳しくはあったが公正な人だった。
騎士に求める水準を、私にも求めただけ。
心ない言葉や噂に傷ついたことはあるが、私も、なんで公爵家の令嬢が騎士の訓練を受けているんだろう……と思うことがしばしばあったので、そういう噂が立つのも仕方ないかなと思う。
「はい、お姉様。行きたいところもいくつかあるんですけど、そんなに多くなくて。……私、その。王都に住んではいたんですけど」
「……ああ、ええ。分かりましたわ」
みなまで言うな、というやつだ。
妹は"裏町"出身ということを隠そうとはしない。
それ自体を恥と思っている様子もない。
……けれど、辛い過去もあるに違いないのだ。
妹は明るくて、可愛くて、純真で、健気で、懸命に頑張っているから――時々、忘れてしまいそうになること。
妹は、今年で十七の、ただの女の子だ。
一夜にして貧民から貴族になったとはいえ、妹の立場をうらやましく思う者は少ないだろう。
シエルを通した報告によれば、世間は妹に同情的だ。少なくとも悪い噂は主流ではない。
お高くとまった貴族にもてあそばれた母と、その娘。
姉はよりによって、冷徹で非情な、『あの』ヴァンデルヴァーツの当主。
いくらお貴族様に迎えられるったって、せめて他の家ならねえ、と苦笑いと共に語られるような、そんな境遇だ。
私は妹のことが大好きだ。
それこそ、思い切り可愛がって、甘やかしたいぐらいに。
ただ、それをしたら、妹は【主人公】たる資格を失うだろう。
私が妹と居られるのは、一年ちょっと。
そのわずかな期間で、私は彼女に、武器を与えなければならない。
そしてもう、時間はあまり残されていないのだ。
「だから、その……お姉様が行きたいところがあれば、お願いします」
「ええ。そうしましょう」
軽く私の腕に手を添えるレティシアがはにかんだ。
「私は、お姉様と一緒なら、どこでもいいですから」
その笑顔が、尊く、そして貴く見えた。
妹が、私のような女に断頭台行きを決意させるほどに愛らしいのは、彼女の外見が可愛いからではない。
苦しんで、傷ついて――それでも、今のようでいるために、どれほどの努力が必要だっただろう。
あの区画においては、汚れることも、曲がることも、歪むことも、折れることさえ、簡単だ。
そうしてでも生きていくことを、上から目線で間違いだと断じられるほど、私は正しくも、清くも……正義を信じても、いない。
それでも、まっすぐ生きてきた妹の姿は眩しい。
私が安穏と過ごし……貴族教育に耐毒訓練、"黒い森"の横断、酒場その他で働いて一定額を稼ぐ課題、騎士の練成課程といったそれらを安穏と呼んでいいかはさておき。
私が安穏と過ごしている間にも、妹は必死に生きてきたに違いないのだ。
かつて私に言った「生きてきただけだよ」という言葉。その生きてきた『だけ』が、公爵家の令嬢と比べて、どれほど重いか。
「……分かったわ」
誰もが、自分の道しか歩めない。
それでも、私は、妹のために自分の道を歩みたい。
レティシアが幸せなら、私の行き先は、どこでもいい。
ただ、この瞬間だけは。
「今日は、一緒に王都を歩きましょう」
「……! はい!!」
満面の笑顔を浮かべ、手を添えていた私の腕を、自分の胸に抱くようにぎゅっとするレティシア。
思わず笑顔が消える。
妹の可愛さとか、愛らしさとか、笑顔の破壊力とか、再び腕に押し当てられた胸の感触とか、その他諸々が、私の公爵家当主としてのキャパシティを溢れさせた。
急に無表情になって黙り込んだ私を、レティシアが少し不安げに見上げる。
「……お姉様? その、なにか?」
「いいえ。少し重要な案件を思い出しただけですわ」
何を考えているのか。