エスコートのマナー
今日の格好は、どうでしょうか。
それは姉に聞くものだろうか。
いや、後日のデートにも同じ格好で行くのかもしれない。
ならば、万が一にも私の妹が不当な評価を受けないように装いは厳しい目で見る必要があるだろう。
改めてじっと見る。
妹が着ているワンピースは以前と同じ、薄い赤でチェックが入った物。
あの時は麦わら帽子と相まって正に夏の妖精といった風情だったが、それは撤回せざるを得ない。
今は秋ということで、袖なしのワンピースの上に、長袖で薄桃色の上着を羽織っている。
先の質問が似合っているか、という意味なら、愚問と言う他はない。
死ぬほど可愛いに決まっているだろう。
"仕立屋"に、またボーナスを出すことにした。
夏の妖精あらため秋の使者とは彼女のこと。
今すぐ抱きしめて、耳元に口を寄せ、ものすごく似合っていて可愛いとささやきたい。
……が、妹が求めているのは、そういうセリフではないだろう。
妹の服装を見定めている振りをしながら、口元に指を当てて、真面目な顔で、なんと言えばいいのかを考える。
――【「似合ってますわ」】。
雑踏の賑わいに混ざって、声が聞こえた気がした。
虫の羽音に似た、耳障りな響き。同時に不快なだけではなく、酒を飲み過ぎた時の酩酊感に似ている。ふわふわと気持ちよくて……何も考えられなくなる。
さっきは妹に褒められたことだし、心に従って「似合ってますわ」と言ってやりたい衝動に駆られたが、違う言葉を選んだ。
「……貴族とは思えない格好ね」
レティシアが、はっと目を見開き……うつむいた。
目に見えてしゅんとした様子に、罪悪感が湧いた。そんなに似合っていると言ってほしかったのか。
「……まあ、似合ってますわ。ええ、あなたにはお似合いね」
取り繕うが、「貴族とは思えない」という発言の後では、むしろ嫌味だ。
いや、悪役令嬢的にはそれでいいのか。
しかし妹は、ぱあっと顔を明るくした。
「今、『似合ってますわ』って言ってくださいましたよね!?」
そんな、言質を取ったとでも言いたそうな、満足げな顔にならなくても。
「え、ええ。まあ、言いました……わね?」
「そう言ってくださって嬉しいです! さあ、行きましょうお姉様!!」
目に見えて元気を取り戻すレティシア。
私の言葉の何が刺さったのか。
しかし、こうも浮かれられてはたまらない。釘を刺す。
「――あまり浮かれないように。いついかなる時も、自らの立場を忘れないようになさい」
「……はい、申し訳ありません」
私は、レティシアに手を差し出した。
「……あなたは、エスコートされた経験が足りないでしょう。今日は、その練習ですわ」
妹が、きょとんとした顔になった。
この言い訳、苦しいかな。
しかし今さら差し出した手を引っ込めることもできずに、当然のことを言った、という風に表情を崩さない。
ややあって、レティシアが笑み崩れた。
「……練習でも嬉しいです、お姉様」
そして、私の差し出した手に、自分の手を重ねる。
こころもち小さい手。私より体温の高く、柔らかく……優しい手。
そのまま私の腕に、両の腕を絡めてきた。
「行きましょう、お姉様」
そして押し当てられる胸。
これは凶器だ。
……そうだ。忘れていた。
一度だけ一緒に入ったお風呂で、妹がエスコートされる側のマナーを修めていないことを思い知ったのに。
「……はしたないですわよ」
「え? 女同士で、姉妹ではありませんか」
正論だ。
正論だけど。
私が妹を『好き』な気持ちは、もう正論で律せられる段階ではない。
そうでなくて、どうして断頭台を恐れずにいられようか。
愛が重い自覚ぐらいある。
……それを、悟られたくない気持ちも。
「……今日は、エスコートの練習だと言ったでしょう。それとも、殿方にもそのようにするつもりですか」
「いえ、それはないです。そういう殿方はおりませんので」
表情豊かな彼女にしては珍しく、真顔で首を横に振るレティシア。
その彼女が言った言葉が、胸に引っ掛かった。
……いない?
あれだけ、好かれているのに?
三人の【攻略対象】を、彼女もまた、憎からず思っているものだと……。
三人に均等に好かれ、同じく均等に仲良くなっているがゆえに、誰か特定の相手がいない……のだろうか?
ゲームの中では、【攻略対象】とゴールインする。
コンラート、フェリクス、ルイ……この三人の内の誰かと。
私はそれぞれ一本道で選んだ場合の【記憶】があるだけで、【選択肢】を三人それぞれ均等に選んだ場合など、ゲームの『ルール』がよく分かっていない。
……レティシアが誰も選ばない場合、どうなる?
妹に運命を超えて結ばれたいほどの相手がいるなら、お姉ちゃんとしてはどうにかしてやりたいが。
「それで、お姉様。エスコートされる側は、どのようにすればよろしいのですか?」
「状況にもよりますが、手を取られたなら、相手に委ねなさい。あくまで礼儀として、一時的に手を取っただけの場合もあります」
私が馬車に乗り込む際、コンラートから礼儀として手を差し出されたように。
「自分の腕に誘導されたら、軽く掴まるようになさい。間違っても、胸を押し当ててはいけませんよ」
相手を誘惑して落としたいなら、有効だろうが。
そういう手法は、覚えないでほしい……と思うのは、姉の我が儘だろうか。
「分かりました、お姉様」
けれど妹は純真な笑顔で頷く。
そう言いつつも、私の腕に自分の腕を絡めたままだ。
むにむにという感触が理性を削りって行く。
「後は、手の甲にくちづけされたり……とかですね」
妹が、また真顔になった。
「あの、それの拒否権ってありますか?」
「……嫌いな相手で、立場が下か同格なら、手を振り払いなさい。頬を叩いても、ヴァンデルヴァーツの名において許します」
妹が頷く。
「なるほど」
「……いえ、やはり、相手の格に関わらず、嫌ならやんわりと手を引きなさい。事を荒立てたくないなら」
この妹は、本当にやりそうな気がした。
それはまあ、ヴァンデルヴァーツの力があれば事態の収拾はできるだろうが、そういう暴力的な真似は私が担当するべきだ。
「分かりました」
妹が、もう一度頷く。
「それでは、やってみてくださいませんか?」
「……え?」
「手の甲に、くちづけをされた場合とか、エスコートの練習とか、です」
この妹は、何を言い出したのか。
「それはさっき説明を……」
「家庭教師の先生方には、復習と実践練習が大事だと教わっております」
キリッと真面目な顔で言いきるレティシア。
なんという真面目な顔の無駄遣いだろうか。
一つため息をつくと、気持ちを切り替えて、レティシアの手を取って浮かせた。
そして軽く身をかがめ、手の甲に唇を寄せ――
軽く舌を鳴らして、音を出した。
「……あれ? 本当にくちづけはしないんですか?」
「くちづけする真似をして、軽く舌を鳴らすだけよ。恋人や夫婦でもなければね」
この妹は何を言って――
「お姉様になら構いませんのに」
……いる、のか。
そういう手練手管を、どこで学んでくるのだろう。
……屋敷の図書室の、貴族の財力を背景に充実している恋愛小説コーナーではないかという、恐ろしい可能性が頭をよぎった。
あれはファンタジーだ。恋愛物語とは、そういうものだ。
強いて言えば、精神を参考にするもの。
妹の恋愛観を問いただした上で、「姉を練習台にするのをやめるように」と言いたいが、そうするには、妹と和やかに話せる下地が必要だった。
そして、さらに恐ろしい可能性として、これが妹の素だったらどうしよう……という考えが頭をよぎる。
姉を相手にして、これなのだ。
彼女が本気になった時、一体どんな悪女が生まれてしまうのか。
何も言わず、そっと手を戻す。
「次は、エスコートの練習ですわね」
「はい」
笑顔で頷くレティシア。
彼女の手を取って、自分の腕に誘導する。
……妹は大人しくされるがままになっていて、私はその手を途中で止めた。
「なんで抵抗しないんですの。嫌だったら手を引きなさいと言ったでしょう」
「お姉様にされて嫌なことなんて、何もありません」
断言するレティシア。
私は、嫌な相手にエスコートを申し込まれた時の練習だと思っていたのだが。
「……行きますわよ、レティシア」
「はい!」
途中で止めていたエスコートの手を動かす。
教えられた通り、軽く腕に手を添えるようにするレティシア。
それが、正しい姿勢だ。
でも。
ちょっとだけ。
本当にちょっとだけ、さっき腕を絡めてぎゅっとしてくれたのも、よかったな――なんて。
そんなことを、思ってしまった。