待ち合わせ
正直に言うと、一度は了承したレティシアのお誘いを、今からでも断ろうと思ったのだ。
改めて考えると、プラス要素が見つからない。
私が嬉しくて楽しみな以外には、ない。
【月光のリーベリウム】のストーリー上、妹にメリットがない。
ただ、それを切り出そうとする度に、レティシアに笑顔を向けられて。
その、週末を楽しみにしているとでも言いたげな表情を見ていると、どうしても切り出せなくて。
……ああ、私はこの子を傷つけるだろうな、と思ってしまった。
私が死んだら、多分、妹は悲しむだろう。
それでも私は、断頭台を目指す。
今さら、生き方を変えられない。
ここまで石畳を敷かれた道を歩いてきた。
泥道を溺れるように足掻きながら進む者達もいるというのに。
私は、貴族としての恩恵を受けたのだ。
ならば、貴族として死ぬべきだ。
そうと決めると、ちょっと心が楽になる。
傷ついた妹を慰める役は、妹が選んだ【攻略対象】に任せよう。
しんどいものでも、方針は方針だ。
未来への方針を決めかねている不安よりはマシだった。
そして、レティシアと出かける当日になった。
屋敷の玄関で、メイド服のシエルと言葉を交わす。
「それでは、シエル。後を任せます」
「はい。……どうぞお楽しみを」
鼻で笑った。
「この機に、貴族としての振るまいというものを叩き込んでやりますわ」
そういう体で行くことにしている。
屋敷を出ると、一人、王都を歩く。
こういうのは、久しぶりだ。
影から護衛はされているのだろうが、それはいつものこと。
馬車を使うことの方が多いし、大抵は使用人を連れている。
だから、一人で街を歩くなんてことさえ、私にとっては久しぶりで、少し肩の力が抜ける。
なぜ私が一人で屋敷を出たのかといえば、レティシアの希望で、待ち合わせだ。
なんでも待ち合わせというものに憧れがあるらしい。
何を馬鹿なことを、一緒に住んでいるのだから同時に出ればいいでしょう、と、一度は情緒を無視して一蹴しようとしたのだが、レティシアがあんまり楽しみにしているらしいので失敗した。
確かにデートであれば待ち合わせというものは定番だ。
貴族社会においてはどうかとも思うのだが、彼女の魅力は貴族社会という枠には収まりきらない。
公爵家も、王族さえも、彼女の器には狭いと思うほど。まさしく運命に導かれた【主人公】だ。
しかし変な話だが、それは彼女が特別ではないから。
特別ではないのに、彼女は波乱に満ちた物語を歩み通して見せる。
その姿に憧れた。
同時に、なんだこの生まれに恵まれたくせに心根が狭くいやみったらしい小悪党は……と思ったやつがいて、それが『私』だ。
物語の障害でもなく、恋愛のライバルというほどでもなく。主人公の対比なのだな、とはっきり分かるような、舞台装置の一部。
ただ、そんな役でも、名前があって、出番があって、妹と絡める。
対価は断頭台だが、レティシアの可愛さを間近で拝めるなら、それぐらいは払ってもいい。
待ち合わせは、王都のとある広場の彫像前。建国王にして初代ユースタシア国王――の愛犬、アハト公のブロンズ像前だ。
主人が病に倒れてより側を離れず、死して後は、主の墓の側を離れようとしなかったと伝えられる。
近隣住民から餌は貰っていたらしいが、間もなく後を追うように亡くなり、敬意を込めて誰からともなく『公』を付けて呼ばれるようになった。
その後、悼んだ者達の手によって彫像が作られて今に至る。
私も正式にはヴァンデルガント公ということになるので、名前上は同格になる。
観光スポットとして扱われることもあるが、ただ彫像があるだけなので、そういう意味では物足りない。
ただ、王都の住人であれば誰もが知っている場所なので、待ち合わせスポットとしては定番だ。
ヴァンデルガントの領都ほどではないが、歴史がある王都は入り組んでいる。
近道をしたので、早く着きすぎただろうか?
胸ポケットから、紋章が見えないように気をつけて懐中時計を取り出すと、待ち合わせ時刻より十五分も早かった。
見るともなしに、周りを見る。
見ると、そわそわしていためかしこんだ男性が、着飾った女性が来たことで顔を輝かせる。――デートの待ち合わせだろうか。「待った?」「今来たところだよ」と、定番の会話をして、連れだって像の前を離れた。
像の前に立って待つ人は、見ている間にも入れ替わっていく。
その中で私は、一人取り残されているようだった。
手のひらの中の懐中時計に視線を落とす。
一秒一秒をカチカチと刻んでいく針の音を聞くともなしに聞きながら、そして、ガラスの風防の向こうで回る歯車を見るともなしに眺めながら、ぼんやりと思考を巡らせる。
残る【イベント】は、二つ。
相手は違えど、ほぼ固定の【最後の舞踏会】、オマケの【断頭台】、そして【エンディング】を除けば、という注釈はつくが。
残るイベントは、【デートイベント】ともう一つだ。
今日のはデートではない。姉妹のお出かけだ。多分。
妹は、後日、また誰かとデートするのだろう、多分。
しかし、気になることがある。
……そもそも【イベント】は起きているのか?
全員、出会うことは出会った。
それぞれ、交流らしきものはしている。
しかし、【視察イベント】は、【乗馬イベント】と比べても、明らかに公式ゼリフの割合が少なくはなかったか?
……【攻略対象】の好感度が足りていないのだろうか。
いや、まさか。どう見てもあいつらはレティシアにベタ惚れだ。
うちの妹は魅力的なのだから当然だが。
ならば、そう。
例えば。
レティシア本人に、あいつらを攻略する気がない――?
「お姉様っ!」
ぽん、と肩を叩かれて、びくっとした。
「あ、ごめんなさい。驚かせてしまいましたか?」
「い、いえ。ちょっと考え事をしていただけですわ……」
何を考えていたのか、心臓が口から飛び出そうな衝撃で忘れてしまったが。
その瞬間に、時計塔の鐘が鳴った。
レティシアが、鐘の音に負けないように少し声を大きくした。
「……待ちましたか!?」
まだどきどきする胸を軽く押さえ、混乱しながらも、頭にすっと浮かんだ言葉を口にする。
「【いいえ、今来たところよ】」
反射的にした受け答えだったが、さっきの男性も口にしていた正に定番中の定番ゼリフで、あっ、これ物語で読んだ所だ……という気分になった。
【月光のリーベリウム】をなぞっている時はいつもそういう気分だが、そうではない時に、それも敵役側でない視点でそういう気分になるのは珍しかった。
私の言葉を聞いたレティシアが、ぱあっと明るい表情になった。
そんな特別なことを言っただろうか。
会話の間に、鐘が鳴り終わった。
いつもは聞き流していることも多い鐘の音が、今は祝福に聞こえる。
「待ち合わせ時間も丁度。時間に正確なのは、いいことよ」
私は少し待っていたが。
それは、『妹を待たせたら悪いな』と近道して、早く着いてしまったからで。
時計塔の鐘が示すように、時間ジャストなのだ。
鐘の音が鳴る時間ということで、待ち人と合流し……あるいは待つことに見切りを付け、犬のブロンズ像前から人が離れていく。
私も、シャツの胸ポケットに懐中時計をしまった。
レティシアが、笑顔のまま今日の服を褒めてくれる。
「お姉様。ちょっとヴァンデルガントを思い出しますね。ケープも、今日の空みたいな色で、とてもお似合いです」
「……ありがとう」
相手の服装を、美辞麗句を用いて褒めるのは、貴族として当たり前の社交辞令。挨拶のようなものだ。
でも、レティシアの笑顔を添えられると、口説き文句かと勘違いしそうになる。
私は、いつもの紋章入りの濃紺の上着ではなく、白い長袖シャツの上に、鮮やかな水色のケープを羽織っていた。
スカートも視察の時に履いたのと同じ青いもの。暦の上では秋になったが、王都の秋は北部の夏に近い。
いざという時にヤモリの紋章をちらつかせるためと、持っていないと落ち着かないために、懐中時計はチェーンを外してシャツの胸ポケットに収めている。
腹違いの妹も同じ物を持っていたということで色々複雑な気分ではあるが、父からの贈り物であり、ヴァンデルヴァーツ家を示す品であることには違いない。
最大限ポジティブに考えれば、妹とお揃いでもある。
「それで、その……」
妹がそわそわした様子を見せる。
何を言いたいのかとじっと見ると、彼女はぐっと唇を引き結んだ。
「……今日の格好は、どうでしょうか?」