妹との読書タイム
あちらのソファーで、二人一緒に。
心の中でオウム返しにしながら、レティシアが指さした先に視線をやる。
……窓際にある、二人掛けのソファー。
赤い革張りで、木の部分には蔦の彫刻が施された貴族家らしい品だ。
幼い頃には母やシエルと一緒に使った思い出もある。一度だけ、両親が二人仲良く本を読んでいるのも見たことがあった。
あそこで、二人一緒に?
私の中の『いいお姉ちゃん』に憧れる部分が、ぴくんと反応した。
……いやいや。ないない。
最近はもっぱら、一人掛けの布張り椅子だ。
シエルと一緒に二人掛けのソファーを使わなくなったのがいつの頃からか、はっきりとは覚えていないが、思い返せば十六の成人前後ではないだろうか。
ヴァンデルガント領軍での騎士の練成課程を終えて、屋敷に戻ってきた頃かもしれない。
シエルでさえそうなのに、まして妹と?
私は今ではヴァンデルヴァーツ家の当主、そして【月光のリーベリウム】の悪役令嬢だ。
「ふざけたことを言わないでちょうだい」
主人公をいじめる役回り。
なので、こういう時にきっちり嫌われるべく努力する。
「話は終わりよ。読書の邪魔をしないでほしいものね」
「邪魔はしませんから」
ん?
これで話が終わったと思ったのに、妹は引き下がらなかった。
言い捨てて踵を返そうとしていた動きを続けられずに、仕方なく、道理を説くべく妹に向き直った。
「だから……」
「ダンスレッスンの後の休憩と何が違うんですか?」
え?
確かに、ダンスレッスン後には膝枕までしている。
レティシアの腰の強さに負けて一度そうしたら、次もなし崩しに同じようにされ……いつの間にか、そういう習慣が出来てしまっていた。
それと何が違うのか?
私が上手い答えを見つけられなかった、ほんの数秒の空白につけこんで、レティシアが畳みかけてくる。
「違いませんよね?」
おかしい。
この私がペースを掴めない?
いくら、仲良し姉妹みたいに、同じソファーで読書とかいいなあ……とかそういうことを思ってしまったとしても。
それが必要だとは思わない。むしろ悪役令嬢としては失格だ。
反論にかかる。
「これはダンスレッスンとは話が違」
「ほら行きましょう」
聞いて?
言葉の途中で腕を絡めて、強引に引っ張っていかれた。
思わずシエルを見てしまう。……が、思った所にいない。
視線を巡らせると、彼女は、いつの間にか奥にいてカーテンを開けていた。
そして、すまし顔でひらひらと手を振られる。
それはどういう意味だ。
長年連れ添った当主補佐との心の距離を感じる。
気が付いた時には、私は二人掛けのソファー、もちろんレティシアの隣に座らされていた。
あっれー……?
「……私の時間は、高くてよ」
精一杯の嫌味を込めて、妹をやぶ睨む。
レティシアは、睨まれたとは思えない笑顔になった。
「――私のために貴重な時間をわざわざ割いてくださってありがとうございます、お姉様」
いや、もぎ取られたっていうか。
心の綺麗な妹が相手でなければ、嫌味な返しと思うような受け答えだ。
ため息をつく。
悪役令嬢としての嫌味ではなく、本当に素で。
この私が舌戦での勝利を諦める日が来るとは、予想だにしていなかった。
こういう時、"冷徹非情のヴァンデルヴァーツ"の家の名に……公爵家という格と、不名誉だが便利な『噂』に頼ってきた自分が透けて見えて、情けない。
……それをまるで気にしない妹に、どう接すればいいのやら。
それでも悪役令嬢の矜持に懸けて、嫌味な姉を貫き通すべきではと思うのだが、もうその元気がない。
これはもう運命が悪いのでは、と軽やかな責任転嫁を果たし、開き直って読書を楽しむことにした。
【公式イベント】は頑張ろう。
所詮は小悪党なので、もう私の出番はあまりないのだが。
まもなく、最後の【選択式個別イベント】だ。
妹が誰を選ぶのか――それは分からないが。
今は、少しだけ、休戦してやろう。
膝の上に本を置いて軽くポジションを整えると、ページを開いた。
物語を辿っていく。
隣に妹の体温を感じながら。
あと、なんか視線も感じながら。
思わず視線を返すと、本で口元を隠すようにしてはにかむ妹。
うちの妹が可愛すぎる。
なんで抱きしめたらダメなんだっけ?
……【悪役令嬢】だからか。
そんな当たり前のことも、妹の可愛さに目がくらむと、つい忘れそうになってしまう。
私は恋愛シミュレーションゲーム【月光のリーベリウム】における【悪役令嬢】……主人公にしょうもない嫌がらせをする小悪党だ。
そして腹違いの妹は【主人公】であり、彼女が恋を実らせる裏側で、私は断頭台に送られ、処刑される。
私と妹の関係は、それだけ。
なぜそんな立場を受け入れたのかといえば、やはり妹が可愛すぎるからだ。
この子が辿ってきた道が、そしてこれから辿る物語が、私をおかしくした。
この子の隣にいられるのなら、他には何も要らない。
公爵家当主の地位も、この首も、妹の幸せと天秤に掛けた時、何の価値もない。
ずっと、こうしていたい。
ずっと、この子の隣で、こんな風に。
けれど、そんな未来は、私にはない。
だから、今だけは。
……私は、『こう』しない方がいい。
仲良くなれば、別れが辛くなるだけだ。
それが分かっているのに。
分かっていながら。
それでも、こうしていたかった。
もう、隣に妹の温もりがないことを、受け入れられそうになくて。
視線を向ければ、笑顔が返ってくる当たり前も、捨てられなくて。
その全てが断頭台の露と消えるとして。
それが、妹をより深く傷つけると分かっていてさえ。
私は今、酷いことをしている。
嫌味を言って、冷たく振り払うよりも、意地が悪く、残酷な真似を。
私が、真に妹のことを想うなら。
完璧な【悪役令嬢】でなくてはいけなかった。
私は、その死に何の痛痒も感じない――いや、いなくなったことに喜びさえ混じるような、小悪党であるべきだったのだ。
弱さを罪と感じながら。
それでも私は、妹が自分の隣にいることを、嬉しいと思ってしまっていた。