演技の終わり
【攻略対象】の三人が店を辞し、店の忙しさも落ち着いてきたあたりで、私達も退店することにした。
ちなみに夕食を食べた様子のないシエルは、「合間にまかないを頂きました」とのこと。
自分一人食べていないのを、私達に気を遣わせないための嘘なのか、本当に隙を見て食事したのか、どっちだろう。
でもシエルなら出来そう。
カウンターの裏、バックヤードの通路で、私とレティシアとシエルの三人は、店主と最後の挨拶をしていた。
「アデル、今日はありがとね。助かったよ」
「……いや、むしろ迷惑をかけたと言いますか」
騒ぎは無事に解決したが、最初に騒ぎを大きくしたのは、ついカッとなって手を出した私のような気がする。
事情聴取や連行はスムーズに済んだようなのが救いだ。
「いつでもおいで……って言うには、あんたの立場は重いんだろうね」
「……はい」
胸に抱く麦わら帽子を持つ手に、少しだけ力が入った。
ヴァンデルヴァーツ家の活動拠点は、今は王都。それに……当主である私と親しいとなれば、それがプラスになるかマイナスになるかは分からない。
……もしかして、彼女はそれさえも見越して、便宜を図るような『お願い』をしなかったのかもしれない。
カミラの、焦げ茶の目が細められる。
そして、私の頭に軽く手を置いて、撫でた。
「それでも、いつでもおいで。あたしは、ずっとここで店をやってる」
「――はい」
ほんのいっとき、道が交わっただけの人。
でも、私を育ててくれた。ポンコツで、世間知らずな小娘を、見捨てないでいてくれた。
カミラが私の頭から手を離すと、赤毛が揺れた。
にっと笑う。
「妹と、仲良くね」
「は、い」
ぎこちなく頷く。
あまり仲良くもできないのだが。
私が目指しているのは断頭台だが。
カミラが、レティシアに向き直る。
「レティ。あんたはどこでもやってけそうだね」
「そうですか?」
妹が目をぱちぱちとさせた。
「……でも、あんたは無理しそうだ。いざとなったらお姉ちゃんに頼りな」
「……なるべく、頼りたくはないです」
やはり、そうか。
頼り甲斐のないダメ姉だ。
「むしろ、いずれは頼られるようになりたいです」
「言うねえ」
……何を言っているのかこの妹は。
いずれは【主人公】として頼ることになるが、姉としては頼るより頼られたい。
カミラは、最後にシエルに向き直った。
「シエルさん。あんたも元気そうで良かった。二人をよろしくね」
「――もちろん。私の大切なお嬢様方ですもの」
にこ……とするシエルの笑顔が眩しい。
別れ際に手を振って、裏口から店を出る。
石畳が熱を持つ、夏の夜だ。それでも腕を出した服装だと、少し肌寒い。
見上げると星が出ていた。
灯りの多い領都でも、裏路地では割とよく星が見える。
ずっと、こうしていたいぐらいだった。
今だけは、少し風変わりな三姉妹でいられるから。
帰ったら、私は領主だ。
明日は帰途に着く。領主代行のユーディットに再び不在の間の全てを任せられるように、きちんとせねば。
断頭台に掛けられるその時まで、私はヴァンデルヴァーツ家の当主なのだから。
ずっとここで、立ち止まっていたい。
それでも、それには何の意味もない。身体が冷えるだけだ。
視線を地上に下ろすと、無秩序に増築された建物が入り組む裏路地がある。
夜空は綺麗だが、綺麗なものばかり見てもいられない。
「……行きましょうか」
「ええ」
「はい」
シエルの先導で、人気のない道を通り、領主の館に戻る。
扉が閉まると、妹がほっと息をつく。
そして、私に声をかけようとした。
「あの……アデル姉様。今日は、とても楽し――」
「――もう、演技は必要なくてよ。レティシア」
口調と共に心を切り替える。
「『楽しかった』とでも言おうとしたのではないでしょうね。今日は視察であり、私達貴族にとって、市井を垣間見られる貴重な機会です。学び、得た物がないのなら、血税をドブに捨てたのに等しくてよ」
妹が絡まれたのにカッとして、拳を痛める勢いで人を殴ってきた公爵家の女当主とは思えないな、と自己評価する。
私が言ったのは正論だし、視察なのも本当だ。
が、【イベント】に合わせて、主要な視察対象は既に回っている。
私はシエルのいつにない振る舞いや、いつもと違うレティシアの愛らしさなどに触れることができて、大変楽しかった。
そういうことを、【悪役令嬢】として全て棚に上げる。
妹は【主人公】だ。
分かっては、いる。
理想の貴族像を、今年で十七の少女に求めるのがどれほど重いか。
それでも、妹には主人公として、幸せな道を歩んでほしい。
ほんの一年と少し、悪役令嬢に付き合えば、それで妹は幸せになれるのだから。
「義務と忠誠を。胸に刻みなさい。――私達貴族が無能でいていい道理など、この世には何一つない」
無能でも爵位と領地があれば案外なんとかなる。
恵まれた生まれに甘え、享楽に耽り、快楽に溺れることもできるだろう。
しかし、そうすれば未来に待っているのは、子孫が断頭台に送られる血塗られた道だ。
妹は、既に貴族だ。
生まれる前から王国を担うことを期待されている王子。
平民から貴族となった騎士団長。
そして、厳密には平民ではあるが並の貴族よりも信頼される医師長。
誰とくっつくにせよ、レティシアは貴族社会で生きていくことになる。
妹が愛される理由は、愛らしさだけではないのだ。
かつての自分と同じ境遇の者を救いたいと思う心であり、そのために動ける行動力であり、それを支える才知である。
ならば私が妹の愛らしさに溺れ、甘やかしていい道理など、何一つない。
どれほど憎まれても、私には妹を、物語の主人公のような真の貴族に育て上げる義務がある。
自分にできないものを他人に望むのは、まあまあクズの所業だが、断頭台前提なので問題ない。多分。
「……はい、お姉様。義務と、忠誠を」
レティシアが弱々しく、貴族の決まり文句を復唱した。
「よろしい。――シエル。酒場の件は、どうなっていて?」
「担当の兵士に簡易ながら『事情の説明』は済ませてあります。以後は通常の法に則って処理すればよろしいかと」
軽く頷く。
領主は自領での裁判権を持つが、それを濫用することは許されない。
罰金だけでも一夜の酔いの代償にしては重いし、護衛としての評判も損なわれている。余罪があれば当然それも加算される。
妹に狼藉を働いた時点で断頭台に送りたいが、それは独裁と恐怖政治――かつて我らが祖先が憎み、打倒した、愚かしい行いへの第一歩だ。
「私はシエルと共にユーディットの所へ行きます。――レティシア」
「は、はい」
萎縮した様子でかしこまるレティシア。
そういう妹を見たくないお姉ちゃんとしての気持ちと、よしよし、ほどよく嫌われてきているな、という悪役令嬢としての気持ちが入り交じって、複雑だ。
私は淡々と連絡事項を告げた。
「先に入浴なさい」
「……は、い?」
妹が頷きながら、首をかしげた。
「しっかり疲れを取って、先に寝ていなさい。今日は疲れたでしょう」
「はい……」
曖昧に頷くレティシアに、冷たい視線を向ける。
「体調を崩すような真似、許しませんわよ」
そう言い捨てて、踵を返す。
「はい! お姉様!!」
背後から聞こえる妹の声に元気が戻ったのを素直に喜ぶお姉ちゃんとしての気持ちと、どうも、元気づけるさじ加減を間違えた気がするな……という悪役令嬢としての気持ちが入り交じって、複雑だ。




