五人で囲むテーブル
「お待たせしました!」
テーブルに座った三人の男達に、レティシアが笑顔で挨拶する。
「いい……え?」
笑顔で受け答えしたコンラートの笑顔が固まった。
「……ずいぶんと仲がおよろしいことで」
嫌味かこの野郎。
レティシアは私と手をつないでいた。
手をつなぐ必要などまったく感じないのだが、『妹』がそれを望むなら。
『アデル姉様』には、それに応える義務がある。
「ええ。ヴァンデルガントに来て、アデル姉様ともっと仲良くなれた気もします」
「……『アデル姉様』」
オウム返しにするコンラート。
「文句でもあるの、コンラート。喧嘩なら買うわよ。レティも、その辺になさい」
ぺっ、と妹の手を振りほどくと席についた。
レティシアも後を追うように私の隣に座る。
フェリクスが、私の包帯を巻かれた右手に視線を落とした。
「お前ほどのやつが怪我するとは、らしくないな」
「……この店で好き勝手を許してたまるもんですか」
この店は、カミラの店。
私がかつて恩を受けた人の店だ。……私は、ここで、大切なことを学んだと思っている。
家名を持たぬ自分が無力なことを知った。
そして、自分の無力さを許せないと、思ったのだ。
――私は、当主教育を受けてきただけの、ただの小娘だった。
貯金を頭金に、借金をしてこの店を始めたカミラ。
他に仕事の当てもないようなウェイトレス。
そんな新しい店でしか働けないような事情持ちの厨房スタッフ。
迷惑客を相手に引かない腰の強さを手に入れた私を、店主のカミラやウェイトレスの同僚は『強い』と評したことがある。
……強くなど、なかったのだ。
小娘の私は、権力に守られていた。シエルという教育係が護衛として付いているのだ。まず危険はない。
いざとなればシエルがなんとかしてくれると思っていたから出来たこと。
私にとっては、安全な試練。……腹立たしく悔しいことに、小賢しい私は、それを自覚してしまっていた。
せめて、自分が苦労していると思えればよかったのだが。
私の基準で苦労はしたし、大変だったのも嘘ではないが、結局は貴族のお遊びとさえいえる。
「――誰が相手でも、私はああしました。自分だけ特別だなどと自惚れるんじゃありませんわよ」
割と複雑な事情持ちでも雇わざるを得ないような、オープン間もない当時のカミラの店でも、私は最年少で、それなりに可愛がられた。
酔っ払いに絡まれた時、シエルが駆けつける前に、近くにいた同僚にかばわれたこともある。
私が年下で、後輩だからというだけの理由で。
……彼女には、何の後ろ盾もなかったのに。
恥ずかしかった。
屋敷でぬくぬくと守られていれば、こんな風に同僚が代わりに絡まれるようなこともなかった。
許せなかった。
無力な自分が。――家名を使わない試練でさえ、貴族としての名誉や誇りを優先しようとした自分が。
だから、私は背後のシエルの威を借りてでも、同僚への狼藉を何一つ見過ごさないことに決めた。
強く出ればだいたいは引っ込むものだが、たまに逆上され……シエルには世話になった。
その辺もあってシエル人気はますます高まったのだが。
同行者は過度な口出しや助言はしないという決まりとはいえ、シエルには、ある程度私を守る義務がある。
その義務を利用した形だ。
レティシアが、目を伏せた。
「……私が、お姉様の『特別』じゃないのは、分かってます」
いや、特別ですけども。
元気づけてやりたいのだが、何も言えない。いくら視察用の設定が助けになるとしても、私が妹の味方などと『勘違い』されては困るのだ。
【月光のリーベリウム】のシナリオにおいて、私は徹頭徹尾、妹の敵。
まあ、小悪党だが。
それでも、こういう些細ないじわるは意外と堪える……はずだ。
分かっていてなお『そう』するあたり、本当に意地が悪い女だと思う。
レティシアが、顔を上げる。
「でも、私はお姉様が助けに入ってくださったのが、嬉しかったです」
うちの妹は本当に心が綺麗だな。
男三人からは責めるような視線を向けられる。もっと向けろ。
妹にこんな風に心ない言葉をぶつけておいて、何もない方が居心地が悪い。
敵意より、信頼の方が扱いに困る。
……私にはそれを利用するしか、できないから。
「怖くて、頭が、真っ白になって……」
体格差がある。酔いも合わさって、まともな理屈も通じない。
そういう時、パニックに陥るのは当然だ。
騎士団の訓練も、体力や技を鍛えるのはもちろんだが、いざという時に動けるようにする精神的な部分にも多くが割かれる。
「……用心棒の方や、シエルさんを呼ぶべきだったのに」
それでも、妹が呼んだのは。
助けを求めた相手は。
「お姉ちゃんって呼んでしまった後で、『しまった』って。そんな風に呼んだって……迷惑だって」
そんなものを迷惑だと思わないし、そんな迷惑なら喜んでかけられたい。
「……それでも、来てくれた。――物語の騎士様みたいでした」
物語の騎士と言っても、いろいろだ。
横恋慕した挙げ句、情に狂って悪魔に魂を売った女騎士とかそういう色物ポジションの恋敵もいた。
……でも、多分、レティシアが言っているのは。
王道で、正統派の、騎士で。
「ああ、立派な騎士振りだったぞ?」
「ええ。少しだけ見直しました」
フェリクスがにやにやと笑い、コンラートがうんうんと頷く。
「はい。弱者のため、自分より強い者に立ち向かうのは、なかなか出来ることではありません」
ルイは、勘違いしている。
「……私は、自分より強い者に立ち向かったことなど、一度としてないわ」
「え?」
「私の敵は、いつも私より弱かった。……勝てる戦いしか、してこなかった」
私は、常に敵より強かった。
家の格で、資金力で、情報力で、保有する戦力で――その全てで、勝っていた。
私が戦う前に敗北を認めたのは、【月光のリーベリウム】のシナリオだけだ。
それさえも、勝利条件の問題になる。
妹が幸せになれば、それは私の勝ちと言っていい。
「――それが、騎士の仕事だろう」
フェリクスが真剣な表情で、テーブルを太い指で叩く。
「俺は、強い相手に立ち向かうことが騎士の理想だとは思わない。騎士の理想とは、備えを怠らず、いざとなれば守ると誓った者のために剣を取ることだ」
彼の言葉は、単純明快に騎士の理想を言い表していて、それでいて、どこかで聞いたことのある借り物の言葉とは思えなかった。
きっとこいつは、こいつなりに騎士道などという曖昧な概念を噛み砕いて、自分のものにしてきたのだろう。
部下が抱く、それぞれの理想を束ね、統率するために。
「さっきの酔っ払いどもは、護衛としての役割を果たし、野盗や獣と戦えば頼りにされ、感謝されたろう。だが、酒場で酔いに任せてウェイトレスに絡んで……あの様だ」
私は相応の訓練を受けているが、女に拳の一発でのされたとなれば、今後仕事に苦労するだろう。同情はしないが。
そこで、厚手の青いキルトの上に、白いサーコートを着た騎士達が入って来た。胸元に、キルトと同じ色合いの青でヤモリの紋章が染め抜かれていることから、ヴァンデルガント領軍の騎士と誰の目にも分かる。
通報を受けて来たのだろう。
カミラと黒ずくめの用心棒が応対し――騎士達は、事情の説明に入ったシエルを見て、次に私を見た。
「ア――デ……!?」
その内の一人が、目を見開いて絶句する。
そのまま額に手を当てて頭を振る彼は、同期だ。
無事にヴァンデルガント領軍とユースタシア騎士団の合同演習を終え、今日も真面目に市内警備のお仕事をしているらしい。
フェリクスが、呆れ顔になる。
「お前、部下をあんまり振り回してやるな」
「あなたにだけは言われたくないですわね」
どの口が言うのか。
シエルが私に任せてくださいという風に頷いたので、任せることにする。
今日のことが、どう説明されるかは少し気になる所だが、今度こそ出しゃばるべきではないだろう。
「――ほら、食事にしよう」
フェリクスが切り替えて、私達に笑いかけた。
「……ええ」
頷く。
「じゃあ、とりあえずビールで」
「……アデルさん。怪我をしてるので、お酒は控えてください」
ルイは堅い。
「ビールは酒じゃありませんから」
「そのデタラメ、あなたの教育係の前でも言えますか?」
コンラートめ。
その後の夕食の席は、それぞれのオススメ料理を美味しそうに食べるレティシアを愛でる会の様相を呈していた。
それと同時に。
「レティシア。ちゃんとしたものを食わせてもらってるんだろうな?」
「だいたいアデル姉様と三食同じ物を食べてます、フェリクス様」
「レティシアさん。今回の視察の部屋は……」
「アデル姉様と同じ部屋ですよ、ルイ先生」
「レティシア嬢。あなたの姉は、あなたを大切にしてくれていますか?」
「もちろんです、コンラート様」
私に対する査問会の様相を呈している。
問いの一つ、答えの一つごとに、厳しさを――あるいは生温かさを――増していく視線を、小さくカットされたチーズをつまみ、薄くスライスされた生ハムを一切れ口に入れながら、適当に受け流す。
しかし副作用としてワインが飲みたくなる。酒場の料理なのだから当然だが。
「……具体的には?」
コンラートが、私に探るような視線を向けてくる。
思わず、『余計な事を言うな』という気持ちを込めてレティシアを見ると、妹は微笑んだ。
そして口元に人差し指を当てる。
「……ないしょ、です」
私の願い通り、余計な事は言わなかった。
でも、レティシア。
そんなに意味深に言わなくても、いい。