お姉ちゃんの逆鱗
しかし、酒場の隅の席で『この』男どもが揃ってあーだこーだと注文を決めているのをカウンターから眺めていると、不思議な気分になる。
第一王子に医師長に騎士団長。三人揃って町の酒場にお忍びでやってくるとは。
もちろん、公爵家当主と、私の中で次期当主に内定している公爵系令嬢が町の酒場で給仕として働いていることは棚に上げる。
じっくり見ればちょっと浮いているが、領都であるヴァンデルガントは大都市だ。常連客はもちろんいるが、流れの者も多い。常連にしても毎夜毎晩通い詰める者ばかりではない。
顔ぶれはその時々で違うのが当たり前で、彼らのような、なんというか……派手な奴らも、この喧噪の中ではそれなりに馴染んで見えた。
強いて言えばコンラートは違和感が強い。地味な服でもボンボン感が抜けきらないせいだろう。
逆にルイは、普段はあまり飲まないんですけど~みたいな顔をしている癖に、妙に場に馴染んでいる。
フェリクスも雰囲気としては馴染んでいるのだが、褐色肌が目を引くのと、何よりガタイが良すぎてどうしても目立つ。
しかし三人揃うとそんな集団でもなんとなくまとまって見えるのは、酒場ならではかもしれない。
そんなことをぼんやり考えていると、フェリクスが軽く手を上げた。
席へ向かう。
「注文を頼む」
「はい、どうぞ」
釘を刺したからか、実に普通だ。
「ビールとソーセージを三つずつ。ジャガイモありの方で。それと、あのテーブルの大皿料理を」
「かしこまりました」
慣れた様子で注文を出すフェリクスと、そわそわした様子のコンラート。
どうも、人生初酒場らしい。
運命を感じさせるには、妹に接客させた方が良かったのだろうか? と思いつつ、この訪問はシナリオにない。
手の空いている私が対応してもよかろう。
カウンターで注文を通し、両手にお盆を持って注文された品を持って三人の男が待つテーブルへ向かう。
「お待たせしました」
「いくらですか? 私が出します」
コンラートが、いかにもこのために用意されました、といった風情の、普段使いではなさそうな革財布を出しながら笑顔でそう言ってきた。
人生初会計……ということはなかろうが、酒場で同年代相手におごるのが楽しいのだろう。馬鹿なりに可愛いところもあるではないか。
私もつられて笑顔になった。
「金貨二枚になります」
「結構するんですね……」
革財布から金貨を二枚出すコンラート――の腕を、がしりと掴むフェリクス。
「おい待てコンラート。世間知らずにもほどがあるぞ」
「そうですよ、殿……コンラートさん。だいたいあそこに価格書いてあるじゃないですか」
ルイの言葉を受けて、黒々とした大きい文字でメニューと値段が書かれている木札が掛けられた、調理や煙草の煙で煤けた壁を見るコンラート。
こいつ値段をろくに見てなかったな、と確信する動作。
そういうところがボンボンっぽさの原因だ。
査察はもう少し公的な所へ行くものだが、視察はこういった庶民的な所を見ることもある。
――この分では、あの御者に扮した護衛達も苦労していることだろう。
などと、当主自ら酒場で接客などしている自分のことは棚に上げ、彼の護衛達へ同情した。
公爵家当主ともなれば、心の棚はとても丈夫だ。
「注文した品だと、しめて銀貨四枚と銅貨二枚……ですか?」
計算は速いが頭の回転は悪いコンラートに、噛んで含めるように内訳を教える。
「はい。それに迷惑料が銀貨十五枚と銅貨八枚で、しめて金貨二枚になります」
「いや、その計算はおかしい。どこのぼったくり酒場だ」
「金貨二枚になります」
呆れ顔で突っ込んでくるフェリクスに対しても、笑顔を崩さない。
普通はこんな阿漕な真似はしない。うちは優良店であり、フェリクスが言うようなぼったくり酒場ではないのだ。
しかしながら、お偉いさんを接客するのには気を遣うので、迷惑料を請求する権利ぐらいあるだろう、と、店側が値段を決める権利があると定めた領法を都合良く解釈する。
多分カミラからすれば、お偉いさんに接客させるのにも気を遣うと思うのだが、その迷惑料もこいつらに持ってもらおう。
王子が、諦めて、一度は戻した金貨を渋々と差し出そうとした時。
「きゃっ……!」
私の耳に悲鳴が聞こえた。
さっきまでのたわむれで緩んでいた心が、ざわりと揺れ……すぐに凪いだ。
「へへ……いいじゃねえか。減るもんじゃなし」
悪びれた様子もなくへらへらと笑う酔客に、私の妹が絡まれていた。
――それは、よくあること。
丸テーブルを四人で囲む、柄の悪さに比例するようにガタイのいい男ども。
一人が妹にちょっかいをかけ、残りは酒を呷りながら、にやにやとしていた。
「若い子はいいねえ。尻肉に張りがあってさ」
露骨な物言いに、レティシアが、かあっと頬を赤く染める。
私だって触ったことないのに。
つかつかと歩み寄る私の背後で、三人も席を立った気配がする。
が、他の客は、そちらへ視線を向けつつも動かない。
こんなのは、よくあること。
人の理性の強さはそれぞれ。アルコールへの強さもそれぞれ。理性を溶かすまで酔っ払う客も……まあ、それなりにいる。
酒場を経営する上で、よくあること。
そこで働く者達にとっても……よくあること。
――それでも私は、そして『カミラの店』は、それを『どうでもいいこと』として済ませるつもりなど毛頭ない。
「ちょっと相手してくれよ」
へらへらとした口調で。その言葉が、視線が、私の妹をどれほど傷つけているかなど、酔っていなくとも思い至りもしないだろう軽い口調で。
並ぶテーブルの間を縫って急ぎ向かう間にも、私の妹が傷ついて――傷つけられている。
ふつふつと煮えたぎる溶岩のような感情が、私の胸を炙った。
「俺ら、隊商の護衛でさ。一仕事終わって、懐に余裕あんだよ」
臨時雇いの身で――もしかしたら姉が昔世話になった店ということもあって――事を荒立てたくないのだろうレティシアは、曖昧な微笑みを浮かべた。
レティシアに与えている資金はあくまで常識的な額だ。
だが、公爵家の令嬢に――ましてレティシアに――懐に余裕あるアピールが、何になるというのか。
「笑顔も可愛いじゃねえか」
どこがだ。
怒りが、心の中を獣が暴れるようにのたうつのが分かる。
私はもっと可愛いレティシアの笑顔を見ている。――なぜ、私のような女にそんな笑顔を見せてくれているのかは謎だが。
まあ、【攻略対象】の男どもの誰かはもっと可愛い笑顔を見ているか、いずれ見ることになるのだろう。
しかし、お前らが私の妹の可愛い笑顔を見られるとすれば、最初だけだ。
私はレティシアの笑顔が好きだが、この笑顔は『違う』。
「……きゃ」
男が腰を浮かせ、手を伸ばした。
酔っているにも関わらず意外に素早く、逃げる間もなく手首を掴まれたレティシアが、小さく声を上げる。
「本当に、どうだい、この後……」
カミラの店は、店員の連れ出しは禁止だ。
もちろん店員の終業後、プライベートまでは制限していないし、通い詰められて落とされる店員もちょくちょくいるが、就業時間内は一律禁止だ。
念のため働く前に確認したが、それは開店以来変わらないルールだ。――こういうくだらないトラブルがあるから。
「や……」
レティシアが振り払おうとするが、男の手を振り払えない。体格が違いすぎる。
恐怖のためか、妹がぎゅっと目を閉じた。
私は――レティシアに護身術の類を教えていない。
貴族教育は過密気味のスケジュールで余裕がなかった。それに普通の貴族令嬢はそんなものを教えられないし、何より……妹に戦う術は要らないと思ったから。
妹が、震え声で助けを呼んだ。
「たすけて、お姉ちゃんっ……!」
「――ええ」
背後から、ぽん、と彼女の頭に軽く手を置いた。
はっとした様子で振り向いて目を見開き、私を認めた妹がぱあっと笑顔になる。
……こんな時だが、笑顔が可愛い。
たくさんの店員の中からレティシアを口説こうとした男は、見る目だけはある。
客として向けられた接客用の笑顔でも、レティシアの笑顔を見れば、それを自分の物にしたくなる気持ちは……まあ、分からないでもない。
可愛いのは罪、という言葉がある。
しかし私は、花が美しいことを罪とは思わない。
男が立ち上がる。
背の高さも、体格も、フェリクスに匹敵した。
しかし、あいつほど怖くはない。
「あぁ? なんだ?」
私は、頭二つほど高い男を冷たい目で見た。
そして口を開く。
「――私の妹から手を離しなさい」
初手で暴力に訴えたい気持ちをぐっとこらえ、理性的な対応を心がける。
ここは私の領地だが、それ以前にカミラの店だ。迷惑はかけられない。
男が鼻で笑った。
「へえ。そのナリで姉妹かよ。姉にしちゃ胸ちっせえな」
反射的に右の拳を握りしめてしまったが、再び、ぐっとこらえた。
レティシアが我慢したのだ。姉の私がその気遣いを台無しにできるものか。
そして、そっと手を開く。握り拳で交渉するものではない。
「もう一度だけ言います。その手を、離しなさい」
「離さなかったら、どうだって?」
男が、レティシアの腕を掲げるように持ち上げる。
身長差を、体格差を誇示するように。
「っ……」
レティシアの踵が床から離れ、声をこらえるのが分かった。
「あんたみたいな小娘に何が――」
男の声が、途中で途絶える。
気が付くと私の拳は再び固められ、それどころか、男のみぞおちに突き刺さっていた。
……つい。
妹の抑えた悲鳴を聞いたら、理性が飛んでいた……らしい。