衛兵達の噂話
――まだ積もるには早いが、雪のちらつきそうな曇天だ。
曇り空にそびえる堅牢な石造りの城が、見えてきた。
肩を出すドレスは良くなかったのではないか、と思いつつ、王城内まで、馬車で乗り付ける。
王城内とは言っても、厩舎の隣だ。
しかし気遣いは感じられて、馬車のステップ下から城内の石床までの剥き出しの地面には、少々ボロくはあるが、土汚れ防止の布があらかじめ敷かれている。
出迎えの衛兵は、ヴァンデルヴァーツの紋章である意匠化されたヤモリを見て、緊張した様子だった。
謁見の予約は入れてある。
彼らは、当然誰が来るかよく『ご存知』だ。
「――ユースタシアの王城へようこそ。……アーデルハイド・フォン・ヴァンデルヴァーツ様」
胴鎧に兜という、平時ゆえの軽装。
口を開いた衛兵長は、兜に赤い羽根飾りを付け、腰に長剣を吊っている。
他は、長い斧槍を捧げ持ち、小剣を腰に吊っている。
彼らが、もしも私を害するつもりなら簡単に殺せるというのに、我が家の家名に怯え、びくついた様子は、どこかおかしかった。
シエルがいれば、そういう不安もないのだが。
私では、軽装とはいえ、武器を持った衛兵、それも複数相手は無理だ。
こう見えて心得はあるので、やってみれば行けるんじゃないかなとも思いつつ、そういう蛮勇はヴァンデルヴァーツの領分ではないので。
何にせよ、今はそういう暗殺の計画は聞かない。
私は衛兵達に、無言で頷いてみせ――
「出迎え、ありがとうございます!」
レティシアが、笑顔で挨拶した。
緊迫した空気がほわっと緩み――すぐに、さらにひどく凍り付いた。
場の視線が全て、私に注がれているのが分かる。
私も、想定外の事態に、思わず動きを止めてしまっていた。
「……レティシア」
「え?」
妹が、名前を呼ばれたことで振り返る。
「あ、えっと……私、なにか、いけないことをした……のでしょうか?」
周りの緊張が伝わったのか、うろたえる彼女をしばし眺める。
そして、軽く周りを見回した。
衛兵達が、固唾を呑んで事態の推移を見守っている。
……いけないことをした、のだろうか?
むしろ、自問する。
衛兵は、黒子のようなものだ。
予定された来訪者を歓迎し、予定されていない来訪者が王城の門をくぐるに相応しいか審議し、狼藉者を排除する。
衛兵は、その役割上、慣例として声をかけられることはない。
けれど逆に、声をかけてはいけないという規定も――ないのだ。
「……出迎えに礼を。職務、ご苦労なことです」
「はっ……」
私の言葉に、衛兵達が居住まいを正す。
予定にはなかったが、ここぞとばかりに妹の株を上げておくことにした。
「彼女の名は、レティシア。レティシア・フォン・"ヴァンデルヴァーツ"。本日、陛下に正式に承認される、ヴァンデルヴァーツ家の爵位継承権、第一位です」
空白だった、ヴァンデルヴァーツ家の爵位継承者。
私がもし急死したら、家が途絶えるか、あるいは陛下の判断で、どこぞの貴族が後釜にあてがわれる地位。
無事、今日の承認が成れば、そうはならなくなる。
私の死後、妹が家を継げる。
私が死んだ後のヴァンデルヴァーツという家を――ユースタシアという国を――彼女に任せられる。
悪名なのは問題だが、名の知れた家だ。
資産も、表の物だけでも苦労はさせないし、裏の物を含めれば小国家並だ。
「今後、彼女一人で王城へ来ることもあるでしょう。公爵家令嬢として、顔を覚えておきなさい」
なにしろ、三人の【攻略対象】は、全員王城住まいなのだ。
いずれ、彼女一人で会いに来る機会も多くなる。
公式の登城でなければ、こんな仰々しい真似をしなくてもいい。
ただ、顔パスかどうかは、家柄による。
ヴァンデルヴァーツの紋章を知らない衛兵がいれば、そいつは訓練をサボったか、寝ていたかだ。
見える範囲の衛兵達はさすがに噂話を始めるような真似はしないが、離れた所では、ひそひそ話が始まっているようだった。
――噂するがいい。お前達が、ヴァンデルヴァーツ以外で、私の妹を知る最初の人間だ。
ひそやかに噂されていく。多くの人間が彼女の存在を知る。
あのヴァンデルヴァーツ家の爵位継承権一位が決まったというニュースと共に。
――腹違いの妹である、という格好のゴシップが、そこに付け加えられる。
おそらく、最初は、妹は好意的な目では見られないだろう。
事情は、私さえ知らない。しかし、見える事実が示すのは、先代当主の醜聞だ。
"裏町"出身の小娘が、ある日いきなり公爵家令嬢だ。
一足飛ばしなんてものじゃない。羨望と……嫉妬の視線があるだろう。
だからきっと、私が必要なのだ。
妹をいじめ抜く、『いじわるな腹違いの姉にして、人の優しさを解さぬ高慢ちきなお嬢様』が。
――彼女を哀れな被害者として、同情を集めるために。
そしていずれ、この国の全てが彼女を知るようになる。
全ての負の感情がいつか、裏返しになる。
「レティシアです。よろしくお願いします」
妹が、頭を下げる。
この腰の低さは、生まれついての貴族にはないものだが、それでも、庶民出身者が圧倒的に多い衛兵達の目には、好ましく映るだろう。
考えてみれば、衛兵を味方につければ、もし変な方向にシナリオが歪んでも、妹は安全なのではないか。
さすが私の妹。
離れた所では、噂話に花が咲いていた。
衛兵長は、必死に後ろを向きたくなるのを我慢しているらしい。
多分、不用意に噂話をする部下達を怒鳴りたいが、私の目の前でそれをしたら、部下がどうなるか――という葛藤があるのだろう。
ちょっと同情する。
私は、シエルから遠くの声を聞く訓練も受けているので、声を潜めているつもりでも結構……いや、かなりよく聞こえている。
「継承権第一位?」「妹ってことか?」「顔は似てるよな」「いや待て、娘って線も」「「「ねーよ」」」などなど、ばっちりだ。
十六のレティシアが娘なら、私は六歳で彼女を産まなくてはいけない。
想定内ではあるが、しばらく好奇の目や、詮索は避けられまい――
と思っていたら、妹が笑顔で『自己紹介』を続けた。
「お姉様が、"裏町"にいる私を、迎えに来てくれたんです。初対面で、母親が違う私を、妹と認めてくださったんですよ」
噂話のトーンが変わった。
「あのヴァンデルヴァーツが!?」「"裏町"……」「異母妹……?」「お家争いか……?」「なら認めないだろ?」「それもそうか」……待て、そっちへ行くな。納得するな!
焦りを顔には出さないが、噂話がまずい方向に行きつつある。
現実の私は表情を崩していない。多分。
しかし、内心では冷や汗が頬を伝っていた。
……正確な、情報開示……だと?
いずれ小出しにするつもりでいた、重く、デリケートな部分を、隠すことではないとでも言いたげに、あっさりと。
隠されると気になるのが人の性。
人間心理に精通しているとでもいうのか、この妹は。
「今日の服も、お姉様が、ヴァンデルヴァーツの者として恥ずかしくないようにと、仕立屋さんを呼んでくださった物なんです」
そう言って、羽織りものの下に着ているすみれ色のドレスを指すレティシア。
「……アーデルハイド様が。なるほど……さすがヴァンデルヴァーツ家の当主ですね。――改めて、王城へようこそ」
衛兵長が、なぜか納得顔で頷くと、先程よりもこころもち敬意を感じる動作で、私を王城内へと案内する。
「なんか、仲良さそうだな?」「いい仕立てすぎる」「愛がこもってるな」「あの服いくらすんだよ、布の質もだが、出来がやべえ」「お前ら女の服に詳しすぎだ」――と、さすが王城付き衛兵と言うべきか、名だたる訪問者を見て、目が肥えているらしい。
"仕立屋"の仕事が絶賛されている噂話の行く末が妙に気になりつつ、後ろ髪を引かれる思いで入城した。
――扉をくぐった途端に、薄暗くなる。
彼女の名前は、衛兵達に刻まれただろう。
好感度も、上がったはずだ。
でも、レティシア。
そこまで、言わなくていい。
どんな風にレティシアの生い立ちを広めていくか、という当初のプランが完全に崩壊したことを静かに確信し、せめて【公式イベント】はスムーズに進行することを、切に願った。
王子、早く来い。