表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/2

第一話 競馬詐欺事件

1.


四時になった。


夕方の四時だ。


土曜の夕方の四時だ。


事務所兼自宅の壁に掛けられた時計は後、八時間で今日が終わることを示していた。


秒針を刻む音が部屋の中によく響く。


どうやら今日も町は平和だったようだ。


「ふう」


俺はパソコンの画面から目をそらして、窓の外に沈む夕日を眺めている。


パソコンの画面には今週の競馬レースの結果が表示されている。


紅茶を一口含んで息を落ち着ける。


「ふう……今週ももうすぐ終わるな」


俺はすでに明日を向いていた。


きっと明日はいい日だ。


「さて、そうと決まれば、ネトゲでもするか」


ブラウザを開いたところで、扉の向こうからトテテテと軽い足音が聞こえた。


狭い階段では体重の軽い子供の足音でもけっこう響く。


そうだ。足音の主は子供だ。


きっと女の子に違いない。


俺は業務訓練の一環として、階段を上る足音で相手のプロフィールを推測する習慣をつけていた。


その俺がいうのだから間違えない。


今、オフィスビルの共用階段を上っているのは、小学生の女の子だ。


……というか、知り合い、むしろ親戚だ。


土曜はいつも塾が終わる時間である四時に事務所に来るから間違えない。


足音も推理もないのだった。


「ただいま。ちゃんと仕事してたか?」


幼女が現れた。


十歳ばかり年下のランドセルを背負った従妹。


名前は美羽。


「してたよ。ちゃんと町は平和だっただろ」


「今日もニートしてたか……」


「失礼な。自営業者に向かって」


土日関係なく事務所に詰めているのだ。


断じてニートではない。


「まあ、幼女にはわからぬことよ」


「むう。そんなこと言うとご飯作りませんよ」


「いいよ。コンビニで買うし」


「いけません。栄養偏りますよ」


なんやかんや言いながら、美羽は事務所の奥にある住居スペースに向かっていった。


「さて、ネトゲでもやるか……」


ようやく邪魔者がいなくなった、と今度こそゲームを始める。


しかし、再び共用階段から足音が聞こえてきた。


「二人……男女……中年……夫婦?」


はて、この事務所に訪ねてくる中年夫婦とは何者か?


まったく心当たりがない。


上の階にある別の事務所に用事かもしれない。


そう思っていたが、足音は扉の前で止まった。


「……失礼します」


予想通り、中年夫婦だった。


二人は物珍しげな視線を巡らしながら事務所に入ってきた。


大家ですらない。


この二人はいったい……?


「……って、依頼人か」


依頼人という言葉が咄嗟に出てこなかった。


「失礼しました。そちらにおかけください」


部屋の中心においた黒いソファを勧めた。


「おーい。美羽、お茶を入れてくれ」


「えー。なんで? わあ、依頼人さんだ」


美羽はぱたぱたと足音を立てながらキッチンに向かった。


俺は依頼人がソファに着くまでの間に、テーブルを事務机のうえにあったウエットティッシュでさっと拭いた。


「もうお察しかと思いますが、依頼人滅多に来ませぬ」


「美羽、余計なことを言うんじゃない」


「ちょ茶、どうぞです……かんじゃった……」


「ゴホン……では、お話を聞きましょうか」


「本当にここで大丈夫かしら?」


「ううん? でも、一応、例の……」


「大丈夫です。とにかくお話だけでも聞かせてください」


「はあ……では……」


「あ。その前に相談料の説明を……」


「本当に大丈夫かしら?」


「大丈夫ですっ」


事前に説明しているんだから善良じゃないか。


2.


「先日、息子の携帯にこんなメールが届きまして」


中年夫婦の夫の方がA4サイズのプリントを差し出す。


息子に来たメールとやらを印刷してきたものだ。


「……日本シリーズの結果を予言します?」


今年の日本シリーズの試合結果が書かれていた。


勝った負けただけで、点数までは書いていない。


「スパム臭いですね」


「ええ。私たちもそう思います」


この時点で先の流れがだいたい予想できた。


野球には興味がないので調べてみないとわからないが、きっと試合結果はあっていて、メールの日付は試合が始まる前なのだろう。


だが、念のためにネットで確認してみた。


確かに全試合的中しているし、日付は試合の前だ。


「なるほど、予言は的中していますね。だとしても、スパムでしょう」


「ええ。そう思うんですが、息子はメール相手には予知能力があると信じてしまって……」


「その後、送られてきたメールに『今度はギャンブル――競馬かな?――の結果を予想します。知りたければお金を振り込んでください』と書いてあり、その指示に従おうとしている」


「は、はい。そうなんです。よくおわかりで」


「まあ、話の流れで……」


「私たちも説得したのですが、前の予言が的中しているので聞いてもらえず……」


なるほど。


息子を説得するために予言の仕組みを解き明かしてほしいと。


「簡単なことです。俺にはすでに犯人の手口がわかっていますよ」


二人は驚きで目を丸くした。


たったこれだけの会話の間に手口を解き明かしたのだ。


驚くのも無理はない。


「もっとも物的証拠のある話ではないので犯人が別の手段を使った可能性はありますが、息子さんを説得するには十分でしょう」


「ええ。それで構いません」


「では、実証してみましょう……お二人のメールアドレスを教えてください」


「連絡先でしたら私に……」


妻のほうが携帯を取り出す。


「いえ。実験のためです。二人、それぞれのアドレスを教えてください」


俺は二人のメールアドレスを登録した。


「それでは、そうですね……サッカーの試合結果を当ててみましょう」


今日はサッカーの国際試合がある。


ワールドカップの出場権がかかった試合でファンは盛り上がっている。


しかし、俺はサッカーにも興味はない。


チームの実力を測って予測することはできないわけだ。


「今からお二人の携帯に結果を予測したメールを送ります」


俺は二通のメールを用意する。


「解説をしますので試合が終わったら、もう一度ここに来てください」


送信ボタンを二回押した。


「おっと。メールを開くのはもう一度、事務所に来たときにしてください」


夫婦は揃って事務所を出た。


背中がやけに小さく見える。


不安なのだろう。


息子は一体、いくらつぎ込もうとしているのだ?


「ニートよ。幼女にもわかるように説明するよ」


「誰がニートじゃ」


美羽のほっぺをむにーってやった。


うむ。ぷくぷくしていい感じだ。


「ふええ。幼女虐待、虐待反対」


「さて。俺がなにものか言ってみそ」


「言葉のセンスが古い探偵さんです」


「よろしい。では、ヒントを出そう」


「ぱちぱち」


口だけだった。


「2の7乗だ。わかるか?」


「幼女には難しい」


「7乗というのは2を七つかけろという意味だ」


「依頼人が戻ってくるまでにトリックがわかったら、お菓子を上げよう」


「むうう。幼女頑張る」


美羽は紙と鉛筆で計算を始める。


残念ながら、計算結果はほとんど無関係だったりする。


それにしても、息子さんは本当に運が悪い。


いや、本当に運が悪いのはあの夫婦のほうか。


3.


試合が終わった。


もういい時間だ。子供は寝る頃合い。


「計算できたけど、トリックわからんが?」


美羽は眠そうに目をこすっている。


「残念だが計算すること自体は無意味だ」


「騙すしたか」


「騙してない。2の7乗がなにを計算するための式なのかを考えることが大事」


「あーっ」


美羽はパタリと倒れた。


「知恵熱でオーバーヒートか……所詮は幼女よ」


というか、これから依頼人が来るのに事務所で寝るなよ。


愚かな幼女を住居スペースに運ぼうとしたとき、二人分の足音が聞こえた。


「来たか……」


事務所の扉が開く。


昼間に会った夫婦だ。


「では、解説を始めましょう」


「え? 妹さん……ですよね?……はそのままでいいんですか?」


「いいんです。誰とでも寝るのが売女、どこででも寝るのが幼女ですよ。AHAHAHA」


思いっきり不審者を見る目を向けられたが、気にしないでおこう。


さて、今度こそ解説を始めよう。


「メールを開いてください」


「はい……あ、探偵さんの予想当たりましたね」


とは、妻のほう。


「なにを言っている外れてるじゃないか」


とは、夫のほう。


二人は顔を見合わせたあと、互いの携帯をのぞき込む。


「メールの文面が違うじゃないか」


「ええ。それぞれに違う予想を送りました。どちらかは正解するという仕組みです」


「そんなのインチキじゃないか」


「もちろん。インチキです。なにせ詐欺の手口ですから」


「そ、それもそうだ」


「息子さんはとても運が悪かったのです」


つまり犯人はこれをもっと大規模に行ったのだ。


2の7乗。


7試合の勝ちと負け。


その組み合わせのパターンは128しかない。


この人数にメールを送れば、一人には正確な予言が届く。


もっとも、これは最低限必要な人数。


息子さんと同じメールを受け取った人が何人もいるはずだ。


「て、手間のかかることを……」


「実はアドレスを自動生成するソフトがあってですね……」


試合結果を当てるより、メールアドレスを当てる方が大変そうだが。


「まあ、今の話をすれば息子さんの目を覚ますことはできるでしょう」


「はい。ありがとうございます」


依頼人は納得してくれたようだ。


先にも言ったが物証はない。


本当は別の手段を使ったのかもしれない。


俺の推理は、当て推量だ。


ミステリー小説なら顰蹙物かもしれないが、今大事なのは息子さんを説得することで真実を見つけることではない。


世の中は真実ではなく、納得でできている。


推理に多少の矛盾があっても犯人を自白させることができれば事件は解決する。


そういうものだ。


「一応、振込先の口座を調べてもらうように、知り合いの刑事に頼んでおきます」


どうせ、名義売りの口座で詐欺犯の逮捕には繋がらないだろうが……。


依頼人から相談料を受け取り、ビルの階段を下るまで見送った。


これで俺の仕事は終了。


「ふう」


さて、ビールでも飲もうかと思ったら、事務所の床で幼女が眠っていた。


寝息が規則正しく気持ちよさそうに眠っている。


どうやら、熱は収まったようだ。


「それはいいんだけど」


もう夜も遅いというのに仕事はもう一つ残っていた。


end

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ