突き抜ける、誰よりも先へ
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
こーらくん、作文コンクールの佳作入選、おめでとう。あの作品ならいけると思っていたよ。
――どうも、褒められた気がしない?
おやおや、佳作とは元々「佳い作品」という意味。周囲の有象無象よりも、プラスな意味で抜けている作品ってことだ。この評価、なかなかもらえるもんじゃない。
けれど最近の若い子は、君のようにあまりいい顔をしなくなったのも確かだ……もしかして、なまじ「優秀賞」「最優秀賞」とかの、字面からして優れた雰囲気が漂う賞が存在してしまうからかな? 選ばれる数もぐっと少ないからね。
唯一の存在を目指す気持ち。分かるよ、先生も。
ぶっちゃけ先生は、「最大級」とか「トップクラス」という言葉、嫌いでね。
最大の「最」は「もっとも」。トップは「頂点」を意味する。
たった一つしかないから価値があるのに、いくつもあるような言い方をされてたまるか。どうせ、「僅差なのだから自分は劣っていない」という負けん気の強い奴が、敗北を認めたくなくて作った、苦肉の表現だと感じている。
だが、たった一人、突き抜けるばかりだと、思わぬものにぶち当たるものだ。
――壁にぶつかる?
はは、こーらくんらしい切り返しだ。だが、先生はもっと別のものに接する羽目になったよ。その時の話、聞いてくれるかい?
幼稚園時代の先生は、何をやらせても一番だった。
ぬり絵やねんどいじりに始まる工作、かけっこやボール遊びだって、誰よりも早く、誰よりも強く、こなすことができた。
周りがみんなザコにしか見えなくて、自分は特別な奴なんだと、思いあがったよ。親は「どんなことにも手を抜かず、全力でやりなさい」という方針だったから、相手がどんなに下手くそで弱っちかろうと、手加減しない。心を折るぐらい、こてんぱんに叩きのめして、泣かしてしまったことも数えきれなかった。
そのたび、教員が止めに入りながら、「遠慮しなさい」「たまには一番をゆずってあげなさい」と諭してくる。他の園児に自信をつけさせ、個性を伸ばすことができる環境を守りたかったんだと、教える側に回った今なら分かる。
だが、幼稚園児にこのあたりの事情を推し量れなど、無理な話。むしろ、手を抜くことを教えて来る教員の方々の指導こそ手抜きだと感じた先生は、引き続き、好き放題に力をひけらかしていたよ。
何事も一番でなければ気が済まない先生。クラスで集まる時も、真っ先に駆けつけた。
先生の幼稚園では、外だとクラスを示すプラカードを持った教員のもとに集まるルールになっている。先生は「さくら組」だったから、プラカードには、右端に書かれた樹から、桜の花びらが左に向かって吹雪いている絵が描かれてあった。
先生のクラスの教員は、年とったおばあちゃん。他の教員ほど、俺を叱ったりせず、成果をよく褒めてくれたから、すごく気に入っていた。
その日は運動会の練習。みんなで徒競走をすることになっていたんだ。先生はいつも通り、二位に数人分ほどの差をつけて圧勝。おばあちゃん教員も褒めてくれて、むずがゆくなっちまった。
真っ先に走った先生は、みんなが走り終わるまで待つことになったんだけど、おばあちゃん先生が話しかけてきた。
「君は本当に突き抜けている。あたしが見てきた中でも、君に並ぶほどの生徒はほとんどいない。でも、忘れないで。どんなに先へ進んでも、君は『さくら組』の一員。先へ進んで進んで、もしつまづいたり、迷うことがあったら、帰ってきなさい。この桜がある場所に」
おばあちゃん教員は、プラカードを掲げながら言う。さくら組の教室の扉にも、少し前にクラスみんなで作った、同じデザインの紙で作った桜があしらってある。
運動会の前日。ゲンを担いで用意されたカツ丼をたいらげ、冷蔵庫から出したおいしいお店のプリンを頬張りながら、気合を入れた先生。
仕上げのおまじないに「ぜったい勝つ」とマジックで書いた紙を、紅白帽子の裏側に貼り付けておこうと思ったけど、「ぜ」の文字を書いた時点でマジックがインク切れ。貼ろうと思った、キッチンの電話横に置かれているセロテープも、1センチほどしか残っていなくて交換が必要になるなど、ことごとく邪魔されて、先生はむっとした。
この分のいらだちは、明日ぞんぶんにぶつけてやる。そう誓ったね。
実際、翌日の先生は発奮。各種の速さを競う種目で、練習の時以上の大差をつけて、次々にゴールテープを切った。
一等賞にだけ与えられる、あの白線に接する感触。自分は特別なんだっていう気持ちを、なおさら強めてくれたよ。自分は周りから突き抜けた存在だと、後押ししてくれる事実。
先生の大暴れで点を稼ぎまくったさくら組は、見事に優勝。クラスでおばあちゃん教員の労いを受けて、親と一緒に上機嫌で帰宅した。
けれど、冷蔵庫を開けて異変に気づいた。
昨日、食べたはずのプリンが入っている。親がまれに買ってきてくれる、とっておきのひとつ。こんなに短いスパンで買ってくるとは考え難い。
先生はそっと容器を取り出してみる。底に書かれた賞味期限は、昨日食べたプリンとまったく同じ。ゴミ箱を漁ってみたけど、ゴミ袋は新しくなっていて、中身はすっかり消えていた。確認ができない。
着替えを済ませた先生は、紅白帽子の裏からおまじないの紙を取り出す。内容が成就した時には、紙に花丸をつけ足してお守りの一つにする、ということをしていたんだけど、どうしたことか、昨日、取り換えたはずのマジックは、あっという間にインクが出なくなった。
いや、そもそも新品のはずなのに、デザインがところどころ剥げている。まるで使い込んだかのように。やはりゴミ箱は空っぽで、捨てたはずの本体は見つからなかった。
もしや、と先生はセロテープのもとへ。そこにはすでに無くなりかけている、取り換えたばかりのセロテープがあった。
翌日。幼稚園の図画工作の時間。
教室の前に置かれた箱の中から、各自でハサミを取り出して使うことになっていて、いつも通り先生は一番手に箱を占領。物色を始めた。だが、ハサミの山を掘っていくうちに、古びた一品を見つけて驚いたよ。
先生の個人的なお気に入りで、たくさんあるハサミの中から、こればかり選んで使っていたんだ。けれども、数日前に処分することが告げられ、少し寂しい思いをしたばかり。それが平然と横たわっている。
なんだ、予定が変わったのか、と先生はハサミを取り出し、席に戻っていく。だが、いつもにも増してみんなの視線が痛い。一様に驚いた表情で、先生を見つめてくる。
「じろじろ見るんじゃねえよ」とにらんだけど、離れた場所からみんなはちらちらと、こちらを見やってくる。
さすがに首を傾げながら、目の前の画用紙にハサミを入れた瞬間。クラス中が騒然となった。ある女子の一人が大声を出す。
「ハサミを使わないで、紙を切っている」と。
何を寝ぼけたことを、と先生は構わず作業を続けたけど、おばあちゃん教員がやってきて、手を止めざるを得なかったよ。
おばあちゃんの手には、当時、最新型のハンディビデオカメラ。先生に紙を切る動作を続けるようにして、ビデオを回し続ける。さすがの先生も、一抹の不安を抱き始めて、それは的中する。
紙を切り終えた先生は、ビデオ映像を見せられる。そこには黙々と紙を切っていく先生の姿があったよ。ハサミを持たないでね。
先生がハサミを持っているかのように手を動かすと、紙がひとりでに切れていくんだ。
「来なさい」と、おばあちゃん教員はクラスのみんなに教室で作業を続けるように言い、さくら組のプラカードを持ちながら、先生と建物を出ていく。
おばあちゃん教員は、園の中央の運動場に先生を引っ張り出した。いつの間に集まったのか、外で遊ぶ時以外は誰もいない時間を過ごすばかりの運動場には、何人もの大人が入り込んでいた。けれども、彼らの目は焦点が合っておらず、まっすぐ進んでいたかと思うと、いきなり左に曲がったり、止まったりして、動きが読めない。
それらを一切、表情を変えずにやるものだから、先生は気味の悪さを感じたよ。
「君は本当によくできた子。みんなから一歩も二歩も突き出ている。でも、そのせいか、この世界からも突き抜けかけちゃっているのよ。今、君に見えているであろうものは、この世界のものじゃなくなった存在も混じっている」
淡々と告げるおばあちゃん教員に、鳥肌を立てる先生。だが、おばあちゃん教員の身体を、うつろな目線の人々は、ぶつかることなくすり抜けていく。
おばあちゃん教員は、自分についてくるように先生に促してきて、先生はそれに従う。練り歩く園内は、先ほどの人々に加え、昨日の運動会の飾り付けから、一ヶ月ほど前に死んだはずのチャボまで、その姿を見せていた。「あまりじろじろ見ないように」というおばあちゃん教員の言葉を聞いてからは、先生は一生懸命その背中を追ったよ。
およそ園内を一周して、教室の前まで戻って来た先生。おばあちゃん教員が「さあ、中へ」と手招きして、それに従おうとした時。
「だめ、戻っておいで」
振り向くと、廊下の先にプラカードを持ったおばあちゃん教員がもう一人。思わず、声が出ちゃったよ。もう一人のおばあちゃん教員が告げる。
「帰ってきなさい。この桜がある場所に」と。
すぐそばのおばあちゃん教員が握っている桜。教室に貼り付けてある桜。いずれも左に生えている樹から、右へ花びらが吹雪きながら散っている。いつも見ているものと、正反対に。
先生は反射的に握られた手をもぎ放つと、廊下の先のおばあちゃん教員。いつものプラカードを持っている人に抱きついたよ。
ふと見ると、先ほどのおばあちゃん教員含めて、今まで見てきた奇妙なものたちは消えていたよ。
それ以来、先生は無理に突き抜けるのは止めた。
一番になることは、相変わらず魅力的だが、向こう側に行くのも一番手じゃたまらないからね。