第一話【虎御前】
「姫様っ、お待ち下され!」
と、息を切らしながら顔の皺と所々の白髪が目立つ女性はかなり前方を歩く女性に向けて言った
「袈裟、置いていきますよ」
と、小じわが目立つ女性に『姫様』と呼ばれ、前方を早歩きで進んでいたまだ年若い女性は、後ろを振り返らずに言った。
「そんなっ、袈裟にはこのような傾斜の激しい山道はきつうございます!」
と、旅杖で何とか足腰を踏ん張りながら必死で追い付こうとしてくる。
「いつもの事ではないですか。いい加減なれてください」
と、年若い女性は顔色一つ変えず傾斜の激しい山道を軽々と登っていく。
時は、享禄三年。
暦に直せば、一五三〇年。
世は、血で血を洗う戦国乱世。
『応仁の乱』の勃発により、室町幕府の権威は失墜し全国各地で争いが多発。しかし、権勢を失った幕府に治安維持出来るだけの力はなく、全国各地で『戦国大名』たる存在が生まれた。
幕府の力を借りず、実力と名声を持つものが、政治・軍事を担い治めていく。それにより、各地で領土略奪における扮装が起き、嫌が負うにも民百姓に至るまで武具を手にして戦わなければならない時代となっていた。
父と子における殺し合い。
兄弟における家督相続問題の殺し合い。
家臣が主君を見限り裏切る。
そんな事が最早日常茶飯事化していたこの日本で、どうやって一人一人が生き残っていくか。他者を踏み台にしても、例え道徳観に反しても、恥や外聞も全て棄てても、生き残る。
そんな時代。
かつてのアジア巡察使ヴァリニャーノは、当時の日本をこう記す。
『日本人の悪い点は、主君に対してほとんど忠誠心を欠いている事である。主君の敵方と結託して、都合の良い機会に反逆し、さらにまた新しい状況に応じて謀叛するという始末であるが、これによって名誉を失いはしない』
(日本巡察記)より
つまりは、外国人が呆れる程、世の中は荒れ狂い、人々は己の保身のために奔走していたのである。
まさに『下克上』の時代。
ここは、越後国。
北国の日本海に面し日本有数の豪雪地帯とも知られ、現在は『米所・新潟』としても有名な雪国である。
現代で私達が普段口にする『新潟県』という名称は、廃藩置県制度が導入された明治時代に初めてそう改名された。
季節は、冬。一月二十一日。
つい先日、新年を迎え国中で盛大に祝い、まだ年明けの興奮が冷めやらぬ中、二人いや正確には三人の女性がとある山道を登っていた。
まだ寒い。
空を見上げれば雪がしんしんと降り続け、大地を、山を、森林を、家を、白く染め上げる。
事実、今登山中の山道も雪が降り積もっているため、しっかりと足を踏み締め、雪に捕らわれぬよう足腰を踏ん張り、登っていかなければならなかった。
場所は、頸城郡春日山。現在でいうところの新潟県上越市に当たる場所。
もはや越後国におけるシンボルとなった標高百八十メートルを誇る巨大な『春日山』の山麓に、三人の女が山道を登っていた。
編み笠を付け、防寒対策として首から肩に藁を着込み、足には雪国対策の履き物。そして、旅杖。
前方をかなり早い速度で進む年若い女性の腕には赤子が抱かれていた。まだ歩く事も喋る事もままならないであろう赤子。鼻を寒さで真っ赤に染めながらも、母の腕に抱かれながら抱きながら泣き声を挙げず、宝石のように光り輝く双眸で周囲の雪をしっかりと見据えていた。
女性の名前は『虎』齢十八。
赤子の名前は『綾』齢二。
後方から遅れてくるのは『袈裟』齢五十二。
虎は、古志郡古志長尾家当主『長尾肥前守房景』の娘である。袈裟は、その乳母であり侍女。
享緑元年(一五二十八年)頸城郡三条長尾家当主『長尾弾正佐衛門尉為景』の正室『上条上杉弾正少弼』の娘が『綾』を産んだものの、その数ヶ月後突如体調を崩し死去。三人の男と一人の赤子と残された為景は側室を娶ることにした。
そこで選んだのが、若い頃より共に戦場を駆け回った戦友とも呼ぶべき存在。古志長尾家当主『長尾肥前守房景』である。
時に敵として刃を交えたこともあるが為景と房景の関係は年老いてますます深い関係にあった。だからこそ為景は房景に絶大な信頼を寄せていたし逆もまた然りだったから、その一人娘に白羽の矢が立つのは当然とも言える。
当時から『絶世の美女』と周囲の人々は勿論、越後中でも噂されていた虎は注目の的だった。
「姫様はまるで天女の生まれ変わりだ」
「あの美しさには例え日ノ本中の女を集めても敵うまい」
「あまりの美貌に雪も顔を隠すほどだ」
などと侍女たちは噂し「姫様が嫁がれる相手はさぞや素晴らしい殿方なのだろう」と広がる始末だった。
無論、そんな美貌の持ち主である虎を父房景は過保護以上の過保護で可愛がっていたし、当然自分が認めた相手以外は嫁に渡す気はさらさらなかった。
そんな中周囲から国中からも『戦鬼』と呼ばれ畏怖される男から「側室に貰いたい」と話がきた時は腰を抜かすほど驚いた。
なぜ、戦しか知らないような男に愛しの我が子をやらなければならないのか。理解が出来ない。
長尾為景。確かに有能な人物だ。若い頃から彼がこの越後で猛威を振るう姿を間近で見てきた。一介の守護代が主君に弓を引いてまで辣腕を振るい戦う姿は確かに尊敬出来るがそれとこれとはまた別の話だ。
戦は強い。それは間違いないだろう。長年、越後で戦い続ける猛者たちを見てきたがあれほどの男は他にいないだろう。
だが、それだけなのだ。戦以外では人間失格の烙印を押されるのではないか、と思うほど人として終わっている。
女、子供を男が出世するための道具としか捉えておらず、戦えない弱い男は存在する価値がないと考えている。そんな危ない男の元へ正室だろうが側室だろうが嫁がせて幸せな夫婦生活を送れるわけがない。言えるのならきっぱりと断ってやりたいところだが、そうも言ってられない事情かある。
長尾弾正佐衛門尉為景。彼が越後国内で派手に武力を発揮してきたからか、彼の影響力は今や看過出来ない状態にある。国中の国人や豪族の大多数が為景に服属し始めているし、越後守護上杉家でさえ彼の武力に畏れを抱いている始末なのだ。
つまりこの話を単なる親心や短絡的な私情で断れば、国内で最も影響力を持つ男にあらぬ疑いをかけられてしまうのだ。そうなってしまえば娘が大事などと言ってられなくなる。
だから、この話を承諾するしか房景には選択肢がなかった。何とも口惜しいが。致し方なかった。
こうした紆余曲折を経て房景の愛娘『虎』は『戦鬼』の異名を取る男に、まだ雪が降りしきる享緑三年を迎えた新春中に輿入れすることとなった。
一方、虎の方は身を必要以上に案じる父とは対照的で、縁談話に胸を膨らませ心を踊らせていた。
男と交わることすら初めての虎だが、齢十五を越えたあたりから『結婚』に強い興味を抱いていた。結婚相手がどんな人物であれ生涯の伴侶となり子を宿し産み名付け育て最期まで母として寄り添う。そんな女性になりたいという夢を抱いていたしむしろそうなりたい、と強く強く願っていたころだったから父には悪いが丁度良かったと言える。
だから「側室に貰いたい」との話を聞いた時、ただただ純粋に嬉しかった。これでやっと夢が叶うと父には見つからぬよう飛び上がって喜んだ。
『夢』を抱くにしたっていつだって理由はあるもの。虎、いや。自分の場合は『母』の影響だと断言していいだろう。
自分が齢十二を迎えた頃に病で他界してしまい今日の今日まで乳母の袈裟によって育てられてきたが、別に母の愛情を知らずというわけではない。むしろ、受け止めきれないほどの愛を与えられたと言っていい。
思い描く『母』の姿は、亡くなった『母』の姿そのものなのだ。だからこそ、立派な『母』になろうと縁談が決まった時は強く決意した。
享緑三年一月。春日山城。巨大な山城と砦を掛け合わせた異様さと異常さを誇るこの城は今や越後国内における権力の象徴となっている、と父から聞かされた。実際、訪れるのは初めてだ。
元々、ありふれた山城の規模程度でしかなかったが、長尾為景の手によって莫大な資金を投じて大幅な改修工事が行われ、長い時間を掛けて現在の巨大要塞へと変貌を遂げた。以来、この春日山城は越後国内きっての最大規模の城となり、尚且つ長尾為景が当主を務める『三条長尾家』の権力を決定付けた。
「止めて」と言って箱から降りる。
「姫様まだここは山麓にございます。箱にお戻りくだされ」と家臣の一人が言うのを無視して空を見上げる。
春日山全てを要塞とした巨大な城。華々しさや派手さはないものの、空より降りしきる雪をかぶりながらもまるで王のように堂々と鎮座している。
わたしは今日からここで暮らすのか。と呟いて再び箱に戻った。
祝言は三条長尾家総出で行われた。当然、身内である古志長尾家、上田長尾家などの分家筋。守護上杉家宗家分家。直江、柿崎、甘粕、宇佐美、中条、本庄、千坂、斎藤、北条、色部、新発田、加地、黒川、安田、山吉、などの家臣団。総勢百名近い男や女たちが一同に春日山城に終結した。
そこで初めて春日山城主、長尾弾正佐衛門尉と対面した。『戦鬼』と音に聞こえしその男は想像以上に厳つい顔をしていた。顔中に傷がありぎらりと光る双眸は見るもの全てを撃ち貫く勢いがあった。まさに『武』という言葉を体現したかのような男だった。
「よくぞ、この春日山に参られた。わしが三条長尾家当主長尾弾正佐衛門尉である」
と腹の底に響くような低く野太い声で傷だらけの頭を垂れた。続いて自分も。
「古志長尾家当主長尾肥前守が娘、虎と申します」と、父から教わった礼儀作法と『母』の物腰を自分なりに掛け合わせて頭を下げた。
それに気を良くしたのか『戦鬼』はにやりと笑った。
「うむ。噂に違わぬ美しさよの。流石は我が戦友の愛娘だ」
父とは違う威厳。申し訳ないが父にはどこか頼りなさと小姑のような面があったが、この為景という男にはそのどちらも見られないし似合わない。なるほど。父曰く「戦好き」というのは存外間違いではない気がした。
「此度の縁談、父も嬉しく大変光栄に存じております。わたくしのような若輩者をご指名頂き恐悦至極にございます」
父から教わった『礼儀作法』通りに続ける。
「なに、わしも正室を二年前に亡くしたばかりでな。生涯の伴侶を欲しておったところよ」
「ありがとうございます」
そうか。今思い出したがこの人は正室に先立たれているのだった。生涯の伴侶か、確かに父も『母』が亡くなった時は葬儀の時大粒の涙を流して悲しんでいたっけ。あれ以来、父は側室も娶らず独り身を貫いている。やはり、男の人にとって愛する妻が亡くなるのは耐え難い悲しみを味わうのだろう。
そう思うと、周囲から『戦鬼』と揶揄される傷だらけのこの男に同情せずにはいられなかった。
「弾正様のご期待に添えられるよう精一杯尽くしたいと思いまする」
そう、深々とお辞儀をして、目の前の男に自分に『母』となることを改めて強く決意した。
祝言を一通り終えると城内は直ぐに飲めや歌えの宴会騒ぎとなった。それに応じて城内の女中たちも慌ただしく駆け回りながら、お酒に食べ物とを運んで回る。中には酔っ払った男に捕まり相手をさせられているものも。結局、夫となった為景もその騒ぎに加わって家臣たちと飲み比べや相撲など破目を外す。
そんなどんちゃん騒ぎを面白可笑しく見守っていると、三人の男が輪を抜けてわたしの目の前に座った。
「此度の祝言大変めでたく存じまする」
と、三人の男たちは口を揃えてお辞儀した。わたしもそれに続いて頭を下げる。最初、夫の親類縁者かと思ったがどうやら違うことが一目でわかった。なにせ、体格差が驚く程に異なりそれだけでなく年齢も顔付きもばらばらだったからだ。
一番右の男は、夫よりも厳つい風貌の持ち主だった。わたしより年下か年上かまだ年若いことは顔付きを見てわかる。長い髪を一本で縛っているもののそれが大蛇のように太く、体格は為景を軽く越えさらにがっしりしており、相当過酷な鍛練を強いたのだろう屈強な肉体がさらに異丈夫を強調し、夫以上に肉体や風貌が『武人』であることを物語っていた。しかし、『戦鬼』のような古傷はどこにも見当たらなかった。
二番目の男は、隣の異丈夫とはかけ離れて痩せた男だった。痩せているとは言っても女のわたしからすれば十分な体格。糸目が特徴だがどこかその双眸には食えない何かが光る。夫と近い年齢だろう、確実に父より年下なのは間違いなかった。
三番目の男は、先の二人に比べかなり小柄だ。年はおそらくわたしより上だろう。物腰の穏やかそうな雰囲気と顔付きが教養深い知識人であることを主張しているかのようだ。
まず一番右の異丈夫が口を開いた。
「某は柿崎城城主、柿崎弥三郎が嫡男柿崎弥次郎にござりまする。昨年、父より家督と城主を譲られ現在弾正佐衛門尉様の元で我が武勇役立てております」
夫より野太く低い声に少々仰け反った。これは人が出す声なのだろうか、まだ年若いというのに何とも驚きな話だ。何を食べればそんなに成長するのだろう。
続いて二番目の糸目の中年男性が口を開いた。
「手前は琵琶島城主、宇佐美越中守が嫡男宇佐美駿河守と申す者。音に聞こえし肥前守のご息女とあらばさぞや美しいのではないかとご無礼ながら思っておりましたが、いやはや手前の考えに間違いはなかった。此度のこと、ほんにこの駿河守嬉しく思っておりまする」
長い。率直に思った。随分饒舌な男のようだ。お酒が入って上機嫌なのか、頬が少し赤らんでいる。楽しいのはいいことだから、別段わたしは気にしなかったが『柿崎弥次郎』と名乗った若者がぎろりと睨み付けるのを見逃さなかった。
そして三番目の男がゆっくりと口を開く。
「某は与板城主、直江大和守が嫡男直江神五郎と申します。奥方様にとってはこの春日山は初めてで分からぬことも多いことでしょう。その際は、某にお申し付けくだされば何なりとご用意いたしまする」
弥次郎と駿河守が自己紹介を述べただけに対し、この神五郎という男随分気が回るようだ。彼ならば夫とわたしの間を上手く取り持ってくれそうな気がした。
祝言、宴、挨拶回り、など全ての行事が済みようやく落ち着けると思えばもう深い夜に閉ざされていた。
父の手の中で守られ、栖吉城で穏やかに十八年を過ごして来た自分にとってこの忙しさと慌ただしさは当然初めての経験だったし、重く体にのし掛かる疲労感は何よりきつかった。
ただ、この疲労感が自分にとっては何より嬉しかった。
今まで父は「俺が認めた男以外にはお前を渡さん」と息巻いていたから、基本小姓だろうと家臣だろうと男と話すのは厳格に禁止されていた。だから遠目でしか男の人たちを見たことがなかったから、祝言という大変な行事が新しい世界を見せてくれていると思うと何より幸せだった。
いつしか夢見ていた。父の元を離れ、一人の女として生きる日を。
正直、父の過保護さには少々うんざりしていたころだった。さっきの祝言でも涙ぐみながらわたしのもとに寄って来たが、挨拶回りがあるからと早々に無視した。祝いの席であんなに泣かれたらたまったものではないからだ。
祝言の賑わいが嘘のように今は去り、静けさと冬の寒さが辺りを包んでいた。
場所は春日山城本丸。部屋は雪国ならではの防寒対策が施されているため、着物一枚でも十分暖かい。
夫の為景はというと、小姓たちを連れて「仕事がある。部屋で待っておれ」とだけわたしに告げていそいそといなくなった。越後守護代ともなればこんな夜更けになっても色々あるのだろう。
思えば今日は最初の挨拶以外ろくに会話してない気がする。せっかく夫婦になったのだからもう少し互いのことについて話し合いたかったが仕方ない。
しかし、部屋で待っておれと言われたものの今日一日の出来事は自分にとってこれまでの十八年間が一気にのし掛かってきたような疲労感。凄まじい眠気が全身を包んでいるこの状態で待っていれば確実に寝てしまう。何か、眠気覚ましの何かあればいいのだけれど。
「姫様」
うとうと仕掛けた直後、ふと襖の向こうから声をかけられる。はた、と我に帰り振り替える。
「はい?」
部屋の明かりで影がふすまの向こうに出来ている。声からしておそらく女性だろう。
「袈裟でございます」
ああ、そういえば付いて来てたっけ。
側室の話が来た時は確か一番に袈裟に話した気がする。『母』が亡くなってから彼女が乳母としてわたしの面倒を見てくれていた。時には厳しく時には優しく導いてくれた一番心を許し信頼している女性。側室の話も誰よりも喜んでくれた。
「どうしたの?」
「姫様にお会いしたいと申す者がおりまして」
はて、誰だろう。こんな夜更けに。一通りの挨拶は祝言の時に済ませたし、気が遠くなるような人数と対面し顔も何となくだが覚えた。
「わかったわ。入れてあげて」
襖を袈裟が開けて入って来たのは小さな子供を抱えた中年女性だった。年は袈裟とそう変わらないだろう。顔の小じわが彼女よりも多いからもしかしたら年上かも。何より、その人より目がいったのは抱えられた小さな子供。
中年女性は子供を抱えたお辞儀した。
「こちらは直江神五郎様の奥方、万様でございます」
直江。ああ、そういえば祝言の時挨拶してきた小柄
越後の厳しい寒さに負けぬようしっかりと抱いた赤子は自分の子ではなく、後室の娘だと聞いたが虎は自分の子のように可愛がっていた。
まだ、二歳。
ろくに喋る事すら不可能な歳だが、嫁いた初日に私の顔を見るなり「ははうえ」と言ったのだ。その瞬間から、虎は母親として生きる意味を見出だし、決意を固めた。
険しい山道を歩きながら、お腹の子をさする。
夫の為景からは「男の子を産んでくれ」と言われているが、初めて身籠った虎にとってそれはどちらでも良かった。
医師から「ご懐妊です」との知らせを受けた時は、涙を流して喜んだものだった。だからこそ、思う事は男の子であろうと女の子であろうと一つだけ。
「ただ、強い子に産まれて来て欲しい」
と。
虎と綾の二人に続く初老の女性。
名は、袈裟。
齢、五十五。
決して若くはないが、虎が産まれた頃からお守り役を努める乳母である。
自分の輿入れが決まった時は、まるで自分の事のように喜び祝ってくれた。春日山城に移り住む時も周囲の反対を押し切ってまで、一緒に付いて来てくれた人だ。
さらに、懐妊の知らせを受けた時も、涙を流して「姫様もようやく母となりましたな」と大袈裟に喜んでくれたのだった。
輿入れとはどういうものか。
それを教えてくれたのも、他でもない袈裟だけ。齢五十五になり結婚生活四十年を迎えるこの乳母から、少し耳が痛くなるくらい夫婦円満の秘訣を聞いた。
ここは、山頂の春日山城より降りて新たな場所に向かう山道。
虎、綾、袈裟、の三人は、虎が懐妊してからというものとある場所に毎日参拝していた。
この日課を欠かした事は無かった。
その目的地が見えてくる。
厳かな佇まいと静かな威厳を醸し出すこの場所は彼女にとって特別な場所だった。
林泉寺。
春日山城の山麓に聳え立つこの寺院は、夫為景の父越後長尾家第六代当主『長尾信濃守能景』が、亡き父の十七回忌供養のため、曇英恵応を開山に創建した曹洞宗の寺院である。
偉大な僧を多数排出し抱えるこの寺は、越後国内の民百升に至る全ての者が崇拝する。
幼い頃から仏教に信心深い女性であった虎にとって、ここに来るのは初めてではなかったが、あの頃はまだ栖吉城にいたわけだから何日もかけて参拝していたため、こうして毎日参拝するのは初めてだ。