駅前転移Eclipse ~ あなたもお手軽異世界転移で人生変えてみませんか?
「――これで今月何人目だよ?」
テラダはバスターミナルでの待ち時間に、携帯電話の画面に親指を走らせ、ニュース記事を選んでいる。列に対して横向きに並んでいるのは、スクールバッグを背負っているからという彼なりの配慮だった。
「わかんね……でもコイツら、本気でイカレてんのな。ヤバいよ」
すぐ後ろ――テラダにとっては左側だが――に並んでいたトミタが、鼻で笑いながらこたえた。
この時間帯のバスターミナルにはもう、高校生の姿はまばらだった。
定時に終わったらしいサラリーマンと、買い物帰りの兼業主婦たちに混ざって並んでいる彼らは、サッカー部の練習からの帰りである。
来週からいよいよ地区大会が始まる。レギュラーに選ばれた彼らは、練習にも一層熱が入る時期なのだった。
テラダが話題にしていたのは、最近急に増えた交通事故のニュース。
実際には『事故』ではなく、『事件』ではないかと噂されてもいたが、ワイドショーなどを観られる時間に帰宅したことがない二人は、ネットニュースでしか情報を得られない。
交通事故自体は、今も昔も変わらず多い。だがこの一連の事故には共通点があり、それが世間の話題をさらったのだ。
ある日突然、積極的、精力的に仕事や学業、人助けなどを始めた者たちが、その後一週間から数ヶ月――今のところ最長は五ヶ月ほどだと聞く――経った頃に、当たり屋よろしく、トラックや電車に突撃してしまう、という話である。
彼らの多くは独身で、どちらかというとそれまでは消極的な性格の持ち主だったらしい。そのため、初めのうちはノイローゼや時季外れの五月病などと言われていた。また、現実逃避の極端な例だと解説する自称専門家などもコメンテイターとして連日ワイドショーに登場していた。
「最近じゃ、宗教じゃねえかって説も出てんだけどさ」
黒い背景のブラウザアプリを立ち上げたテラダは、トミタにひとつの記事を見せた。読み上げる表情は莫迦にしたような薄笑いだった。
「さすがにねえよなぁ……外国の事件みたいに、民衆に対して攻撃的ってんならまだわかるけど、自分だけ逝っちまうんだから」
「でも宗教ってか、洗脳ならなんかありえそうだよなぁ……アレよ。D組のサヤマがよ――」
寒いのか、トミタは両腕で自分を抱えるようにして少し震える。だが今日は今シーズンの最高気温を記録した日だった。
「あいつ、一年の二学期中からだから――半年以上不登校だったじゃん? クラス替えあったんならまだわかるけど、DとEは変わらねえし、あいついじめてたやつらが『反応キモくてヤバい』って言ってんの聞いたぜ、俺」
「不登校やめて学校来るようになったんなら、いいことじゃん?」
テラダは肩をすくめる。
サヤマという名前は聞いたことがあったが、テラダにはその顔が思い浮かばなかった。
「俺はどっちかってーと薬なんじゃねーの? って思ったけど。マフィアとか、裏組織がー、とか」
「漫画かよ――つか、洗脳だって薬使ったりするじゃん」
「まぁな……でもこの辺で洗脳とか、ちょっと考えられなさそうだしなあ」
実際のところ、二人ともあまり真面目に考えたくはないようだった。
仮にそれが真実だとすると、怖ろしい想像に繋がるからだろう。
同じ学校から薬物常用者が出たなどという話になれば、最悪では大会の出場取り消しもあり得るのだ。
折角勝ち取ったレギュラーの座が、赤の他人の不祥事で台無しになるかも知れない――そんな迷惑な話が本当であってもらっては困る、というのが、二人の共通した感想だった。
ダンプやトラックの運転手向けの通称『飛び出し・当たり屋保険』が今年の四月に発売されるやいなや、加入率は鰻上りだという。鉄道関係の労働組合でも、独自の保健や共済を検討中というニュースが先日流れていた。
国に対しても早急な対策を求める声が上がっているらしく、来週にはどこだかの公園でデモ集会が行われることが今朝の新聞の隅っこに載っていた。
「俺の兄貴、ルート配送のトラックドライバーなんだよなぁ。保険に入ろうか、ってこないだから親父と相談しててさ……」
「死にたい奴を止めるつもりはないが、迷惑掛けずに逝ってくれねえかな」という言葉が、優しい兄の口から出るのが信じられなかったテラダだが、事故の件数が増えるにつれて兄の精神的な疲労も増えて行くのもまた、目にしているのである。
ドライバーにとっては、故意であれ過失であれ、また万が一相手が突っ込んで来たという事情であっても、人を撥ねたとなっては死活問題に直結する。
テラダにとって、この一連の事故が万が一にでも身近で起こるのは、二重に嫌忌するものだった。
「そういやお前んち、しばらく行ってないな。ケン太元気?」
トミタは時刻表と携帯電話の画面を見比べた。
次のバスまではまだ二十分もあるようだ。ため息をつき、テラダに向かって少し先にあるコンビニを指で示す。
「おお、かなりじーちゃんになって来たけど、まだ元気だぜえ。相変わらずボールで遊ぶのが好きでさ。ってか、今度うち来いよ」
テラダはうなずき、二人一緒に列から離脱してコンビニに向かった。
「遊びに行きたいけど、とりあえず試合が一段落してからになるかなぁ」
「そうだな……そしたら久し振りにゲームやんね?」
テラダは財布の中身を確認する。
月末まではまだ一週間以上あるので、そろそろ上手な配分を考えなければいけなかった。
育ち盛りゆえに、彼らの胃袋はいつでも食べ物を要求するのだが、反比例して財布はどんどん軽くなる。彼らにとって、毎月少ない小遣いでやりくりするのは、計算が少々苦手な彼らにとって至難の業だった。
「ってかケン太と遊ぶんだろ? なんでお前とゲームする話になってんだよ」
「あ、そうだった」
二人は笑いながらコンビニに消えた。
駅前の広い歩道では、マンションの広告配りに混ざって聞き慣れない言葉を唱えながらティッシュを配り始めた一団がいる。
揃いのジャンパーの背中には、中世の盾のようなマークが大きくプリントされていた。
「よろしくお願いしま~す」
「エクリプスで~す」
「安心安全、簡単駅前転移で~す」
道ゆく人々に声を掛けながら、数人が徐々に広がって定位置につく彼ら。
駅から吐き出される人々の中でも、サラリーマンや大学生くらいの年齢をターゲットにしているらしく、積極的に声を掛けている。反対に、親子連れや老人には手渡す気配がなかった。
「あ、よろしくお願いしま~す」
トミタがコンビニから出て来た途端に、目の前に差し出されたのは派手な色合いのティッシュだった。
驚きながらも反射的に受け取ると、「ありがとうございま~す」と、おかめ顔の女性が満面の笑みで礼を言う。
白過ぎるファンデーションのせいで、女性の顔と首がくっきりと分けられている。そのお面を貼り付けたような笑顔に、トミタは一瞬だけうそ寒さを覚えた。
手にしたティッシュには、蛍光ピンクのパッケージに太いゴシック体で『駅前転移Eclipse』と書いてある。
その下には一回り小さな文字で『あなたもお手軽に人生を変えてみませんか? さあ今すぐChange!』と書いてある。
「なんだこれ」
「初めて見るなあ」
テラダとトミタはお互いにもらったティッシュと顔を見比べて、首を傾げた。
「この色合いは、どう見ても水商売とかそっち系なんだけどなぁ……俺らに渡すってことは違うよな」
トミタはパッケージをためつすがめつ確認する。
「『全国150スクール!』って書いてあるから、英会話みたいなもんかな?」
「ほんとだ。『今すぐチャレンジ』ってのもそれっぽい。へぇ……どっちにしろ、俺らには関係ねえな」
ちなみに、トミタは英語が特に苦手である。
「あっはうら」
テラダは左手の薬指と中指でピンク色のティッシュを挟んだまま肉まんを頬張り、軽い調子で笑う。
小さい頃からサッカーが生きがいで育って来た彼らは、高校もサッカーのお陰で入学できたようなものだった。
当然というかなんというか、成績はイマイチどころかイマニくらいのレベルで、部活動が禁止されないギリギリの点数を保つのが精一杯だ。
「よくわかんねーけど、とりあえず、俺花粉症だから助かるわー」
はは、と笑いながらトミタはティッシュをポケットにねじ込み、またバスターミナルの方へ足を向けた。