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さわり

「はぁ……はぁ……」

 私は大きく息をつきながら最後の階段を上ります。一気に視界が開けたかと思うとそこにはゴスロリさんが待っていました。私は安堵と達成感に倒れこみそうになります。

 ゴスロリさんを追ってやってきたのは時計塔の最上階、監視台です。遮るものの一切ない頂からの景色はそれはもう見事なものでした。海に山に学園に、一帯が一望できます。時間があればゆっくりと観察してみたいものです。けれど今は優先すべきことがあります。

「……こっち」

 ゴスロリさんは短くそれだけ言うと監視台の上に建てられている小さな小屋のような建物に入っていきました。私もそれに続きます。

 して、何故私がこんなにも疲労困憊なのか、理由はもちろんゴスロリさんにあります。

 なんとこの方、歩くスピードがとても速かったのです。正直に言うと愕然としました。小走りでも見失いそうになるほどの速さで、おまけに道中一度も振り返らなかったために追いつくのがやっとのことでした。

 さらにこの時計塔。中にはエレベーターが設置されていたのですが、ゴスロリさんは悠々と螺旋階段を上っていくではないですか。もちろん私にはついていく以外の選択肢はなかったので何段あったかもわからない長い螺旋階段を最上階まで登ったというわけです。

 私は息を切らしているというのに、ゴスロリさんには動きが鈍る気配がありません。気功でも使っていたのでしょうか。

 案内された建物はどうやら宿直室のようなものだったようです。だった、というのは私が見る限り本来の使い方がされているとは到底思えなかったからです。

 六畳一間のその部屋の至る所に小物やら本やらと私物らしきものが整理されておかれています。さらに、もしかしたら元からその色だったのかもしれませんが、簡単なベッドはシーツがピンク色になっていますし、冷蔵庫なんかも見受けられます。そして極めつけは服です。ゴスロリドレスが数着きれいに置いてあります。しかも全部同じ色です。

「あの、ここって?」

「……見ての通り」

 見ての通りということは私物化された元宿直室ということでいいんでしょうか。公共というと少し語弊があるかもしれませんが、少なくとも個人の所有物でないこの部屋を占拠しているということなんでしょうか。

 至る所に甚だ疑問が残りますが本題に入りたいのでここは受け流すとしましょう。

「ええと、本題に入ってもいいですか? どうやって気功で飛んでいるのか」

 ここまで呼んだということはゴスロリさんなりに説明のための何らかの理由があったからだと私は思っています。それなのに、

「……その前に聞きたいことがある」

 ゴスロリさんはそう言うと後ろ手で入り口のカギを閉め、私の方へ近づいてきます。

「あの……? きゃっ」

 突然の行動に後ろに下がろうとした私は足をもつらせて後ろに倒れこんでしまいます。幸いと言うべきかベッドがあったため柔らかい敷布団に私の体は受け止められます。

 しかしゴスロリさんは止まりません。仰向けになった私を押し倒すような形で上から覗き込んできます。

「わっ、ちょっ、あのっ」

 しかもゴスロリさんは覆いかぶさったまま私の手を掴んでみたり、胸のあたりを観察したりと私の体を調べ始めるではありませんか。全身をくまなく見られて私は顔が熱くなるのを感じます。何が何だかよくわかりませんがとりあえずこの状況ものすごく恥ずかしいのですがっ。

 ゴスロリさんの半開きの瞳は腰からお腹、胸を辿って私の顔まで到達しました。

 至近距離でじっと見つめられて私の帯びた熱はどんどん熱くなります。今自分がどんな顔をしているのか想像したくもありません。

 対するゴスロリさんは一切表情を変えることなく私のことを見つめています。ゴスロリさんの瞳に映る自分が認識できるほどに顔を近づけられています。

 まさか、まさかとは思いますがこの方はもしかしてそういう趣味の人なのでは……なんていう考えが一片の冗談もなく頭に浮かびます。そうだとすると本格的に危機的状況です。手を取られているため身動きもまともに取れませんし、私に武道の心得はありません。

 絶体絶命です。……その、いろんな意味で。

「あのっ、あのっ! ま、待ってください!」

 動けないのなら言葉で説得するしかありません。しかし必死で言葉を探したのですが気が動転していたせいか効果的な言葉が見つかりませんでした。制止などかけても元からゴスロリさんは止まっています。

 心臓の鼓動がどんどん早くなるのを感じます。私はこんな状況を前にドキドキしてしまっています。決して女の子が良いだとかそういうのではないのですが決して! こんな整っていてきれいな顔――無表情すぎて可愛いとは言えなかった――を近づけられたら誰だってドキドキするに違いありませんっ。そう必死に自分に言い聞かせます。

「……………………」

 ゴスロリさんの行動はなんら変わりません、じっと私の顔を見つめたまま動かないでいます。私の抵抗が収まるのを待っているのでしょうか。

私はもう半ばこの状況の打開を諦めかけていました。そして諦めとともに目を閉じて覚悟を決めます。願わくば悪いようにはならないようにと。努めてこの先何が起こるかを想像しないようにしながら。

「……あなた、名前は」

 ついにゴスロリさんがその口を開きます。私の顔をじっと見つめたまま、掴んだ手は離さぬまま私の名前を……

 ……名前?

 この状況を鑑みて、突拍子もないといえるその問いかけに呆然としてしまいます。もちろん考えるまでもなく簡単な質問なのですが、生憎とゴスロリさんのペースに合わせられるほど長い付き合いではありません。自分で言うのもなんですが訝しげに首を傾げた私を誰が責められるというのでしょう。

 しかしながらやはりこの人はわかりません。言葉を詰まらせる私を見て、微々たる変化でしたが明確に表情が曇ったのがわかります。

 自分でも矛盾してることを言っているのは分かっています。微々たるなのに明確になどなぜわかったのでしょう。何というかこの人のオーラというか雰囲気が変わったと言いましょうかそんな感じです。もしかしてこれが気功というものなのでは、なんて無理な話です私は気功を感じることさえままならないのですから。

「あの、私は唯です。松風唯と言います。名乗り忘れててすみません」

「……そう、そういうことね」

 私が謝辞とともに名乗ると何かに納得したかのようなゴスロリさんはスッと私から離れます。よ、ようやく解放されました。

「……それで、何の話だっけ」

 私が乱れた制服を直していると木組みの椅子に腰掛けたゴスロリさんの方から何事もなかったかのように声をかけてきました。何のことやら聞きたいのはむしろ私の方なのですが、おそらく何の話を聞きに来たのかを問うているのでしょう。

 もうここまできたらいいです。この際ゴスロリさんのことは全部後回しです。きっと全部聞いていたらここに泊まる羽目になりそうなので、聞きたいことだけ聞いていきます。

「では。さっき校舎の前にいた私のところにここから降りてきましたよね? あのときどうやって降りてきたんですか」

 先ほどの記憶が蘇ります。時計塔の最上階にいたゴスロリさんは地上にいた私の元に降り立ちました。目をそらして見ていなかったのが恨めしいです。その期間に一体何をしていたのでしょうか。

「……そんなに難しいことじゃない。風に乗って降りただけ」

「風に乗って? 気功で風を強くしたってことですか。でもそれだと」

「……概ね正解。でも風を強くするのは補助的なもの。本当に必要なのは向きを変えること」

「向き、ですか」

 ゴスロリさんは淡々と話してくれます。先ほどまでの不思議っぷりを見せつけられて難儀するかと思っていましたが、嬉しい誤算です。

「……そう。気功は対象に向きを与えることが出来る。それで上昇気流を作ってるだけ」

 だけ、とゴスロリさんは言いましたがそれってもしかしてとても難しいことなのでは? ふと、そんな考えが過ぎります。まだ何回も受けていない蓮也さんの授業が思い出されます。そこでは対象の定義が曖昧になるほど気功の制御は難しくなると言っていました。風、なんていう空気の流れを捉えるには相当な実力が必要になるんじゃ……?

「あの、()()ってもしかして……」

 思い浮かんだ仮説を述べようとしたところでゴスロリさんの雰囲気が変わったのを感じます。そして私がそれに気付くが早いか、

――カチリ、と。

 私の耳が音を捉えます。

 それは何のことはない鍵の音です。問題なのはこの部屋の主(?)であるゴスロリさんが訝しげに扉の外を見つめていること。

 それはおそらく予期せぬ来訪者。それも合鍵を持っているという状況です。思わず私にも緊張が走ります。

 私とゴスロリさんが見つめる中、ついに扉が開きます。

「…………?」

 意外なほどなめらかに扉は開きました。そして私は首をかしげる羽目になります。

 開いた扉のその向こう側、そこには誰もいませんでした。

 先ほど息を切らして上った螺旋階段が見えるだけです。その中で一つだけ違和感を覚えます。ここに来るまであたり一帯視界は良好でした。けれど今はどうでしょう、部屋の中から外を見ているだけですが少し靄がかかっているような気がします。

「……綾香、見えない」

 しばらくして、ゴスロリさんが扉の方へ向かって言います。アヤカというのは人の名前でしょうか、一体誰に話しかけているのでしょう。そして見えない、というのは。

 するとどういうことでしょう。ゴスロリさんの呼びかけに応じたかのように入り口に女子生徒が立っていました。

「あれ?」

 けれど、どうしてかその方の顔が見えません。制服のスカートを身につけているので女子生徒というところまではわかります。けれど顔だけがはっきりと見えません。

 試しにグシグシと目をこすってみると徐々にはっきり見えるようになります。なんだったんでしょう。

「いやね、愛梨沙がここに人を連れ込むなんて驚きすぎて忘れてたの。ご機嫌いかがかしら」

 私が再び首を傾げ、完全に靄が晴れた頃にアヤカと呼ばれたこの方が全開のスマイルで口を開きます。

「……最悪よ。いつのまに合鍵なんて作ってたの、貸した覚えはないのだけど」

「遠征の前に鍵を返却したのが迂闊だったって言っとこうかな? いつ驚かせてやろうか待ってたんだから」

「……む」

 すらすらとお二人の間で会話が進んでいきます。あれほど話しにくいと思っていたのに心なしか流暢になったように感じます。けれど、一人置いてけぼりにされた私は気まずくなってゴスロリさん……いえ、愛梨沙さんと綾香さんを交互に見つめます。

「それで? その子は誰なのかな?」

 そして一通り話し終えたのか、お二人が私の方に向き直ります。

 私は急に話題に持ち上げられて、心臓が早くなります。綾香さんは私の座っているベッドの隣に腰掛けました。

 この方はなんというか、とてもボーイッシュで快活な印象を受けます。それでいて制服姿はよく似合っていますし、髪なんかも綺麗に手入れされていて女性としても魅力的に見えます。

「……その子は」

 尋ねられた愛梨沙さんが口を開きます。私は何を言うのかわかってしまいました。

「……よく知らない」

 思っていた通り、というより当然です。つい先ほど偶然にも出会い、私が頼み込んでここにいるのですから。まだ、お互い何も知りません。綾香さんが来るまでは名前すら知りませんでした。

「ふーん、愛梨沙が全く知らない子を連れ込むことなんてないと思うんだけどなー。なんか隠してるんじゃないのかな?」

 グイっと綾香さんが前かがみにのぞき込んできます。私は目を合わせ続けられず、どうなんですかね……などと意味もない曖昧な言葉で濁してしまいます。何度も言いますが愛梨沙さんのことを聞かれても何もわかりませんから。

「うん、まあいいかな。そんなことより自己紹介が遅れたね。私、石動綾香っていうの。石ころの石に動くでイスルギ。二年のクラス2ndだからよろしくっ。綾香でいいからね。それで」

 じーっと綾香さんが愛梨沙さんのほうを見つめています。おそらくこの状況を鑑みて名前すらまともに名乗っていないことを悟ったんでしょう。視線を浴びた愛梨沙さんは受け流しきれなくなったのかついに口を開きます。

「……神坂(かんざか)愛梨沙。……二年クラス1st。私も愛梨沙でいい」

「え、クラス1stってまさか、学園に九人しかいないっていうエリートの…………!」

「……まあ、そう」

 なんということでしょう、このゴスロリで寡黙な先輩はあのクラス1stだったそうです。学園に九人しかいない極めて能力の高い気功士であるというクラス1stです。全く気が付きませんでした。けれどそういえば入学式でこのゴスロリドレスを見た覚えがあるような気がします。あの時は蓮也さんに夢中で他のことが頭に入っていませんでした。

「あっはは、まさかクラス1stとも知らなかったなんて意外かも。こんな印象深い人私だったら絶対忘れないと思うけどな」

 綾香さんが笑って少し恥ずかしくなります。夢中で周りが見えなくなるのは悪い癖だといつも言われていましたから。

「でも、愛梨沙も愛梨沙よ。出会って話したなら自己紹介が基本でしょうが。しかも後輩相手に何してるのかな」

「……聞かれなかったから」

 綾香さんの叱咤を一言でひらりと躱す愛梨沙さんは、さながらいたずらっ子のようで叱られ慣れているようにも見えました。

 そして合点がいきます。クラス1stほどの実力を持つからこそ風を操って飛び回るなどという芸当が出来るのだということに。

「それでそっちは?」

 綾香さんに振られて今度は私の番です。

「松風唯です。一年の、えとクラス3rdです。こちらこそよろしくお願いします綾香さん」

 正直なところ綾香さんがここに来てくれて良かったです。愛梨沙さんが普通ではなかったということを教えてくれたような気がして安心しました。

 ところで綾香さんは一個上でクラス2ndというと、蓮也さんと同じです。と、思いましたが大して珍しくもないのでした。学年はともかく生徒の大半はクラス2ndなのですから。

「……なるほどねぇ、そういうことか」

 何やら急に神妙な面持ちになった綾香さんに私は首をひねります。私は何かおかしなことを言ったのでしょうか。

「……っ、ダメよ綾香」

 そして愛梨沙さんが焦った様子で制止を呼び掛けます。今までの言動からは考えられない、とてもらしくないと思えるような声音です。

「いやぁ、ここまで思わせぶりなことしておいて誤魔化すのは無理があるんじゃないかな?」

 さすがの私も少しだけ違和感には包まれていました。

「……その口の軽さは罪よ。いつも言われているでしょ」

 愛梨沙さんも綾香さんも初めから私に対して何かを感じていたように思えます。

「自覚はあるよ。寡黙なあんたと足して二で割れって、誰が言ってたんだっけ」

 もちろん面識はありません。愛梨沙さんのことは入学式で私が一方的に見ることはありましたが、先ほどまでは忘れていましたし。

「……ふざけないで。重要なことよ」

 だからこそ二人の反応。雰囲気が明確に変わったタイミング、私の言葉。

「ふざけてないよ。私は秘密にするのって得意じゃないからさ。それに気づいちゃったみたいだよ。ねえ、唯ちゃんさ」

「はい」

 それはただの自己紹介。

「松風彼方って人知ってるかな?」

 私はお姉ちゃんと共通する苗字を名乗ったということだったんです。

「……もちろんです。私の姉ですから」

 ドクンと強く心臓が波打ち、サーっと全身に鳥肌が立ちます。

 私は今、核心に触れようとしているのです。

「そっか、やっぱりそうだったのね」

 きっと愛梨沙さんと綾香さんは知っています。私が知らないお姉ちゃんのことを。

「最初見た時からそんな気はしたの。それで名前聞いたら案の定。妹がいるってのは聞いてたからさ。ね?」

 こくんと愛梨沙さんも頷きます。

「お二人はお姉ちゃ……姉と知り合いだったんですか?」

「そうね、すごく尊敬してたよ彼方先輩のこと。私はそんなに関わり深くなかったけど愛梨沙はクラス1stの方でいろいろお世話になってたね」

 どこか遠い目をした綾香さんの微笑に、私の体が震えます。

「優しくて面倒見がよくて、おまけに気功士としても一流。私たちだけじゃない、きっとみんなの憧れだったかな。こんなおかしな世界でもこの人といれば大丈夫って思えた。ぶれない強さを感じるそんな人だったよ」

「そうでしたか。ふふ、なんだか私も鼻が高いです。なんたって私の自慢の姉だったので」

 そして、自分の笑みに頭にピリッとしたノイズが走ります。

 そんな私の様子を見抜かれたかはわかりません。けれど愛梨沙さんなら見透かしているかもしれないと、思ったのはなぜでしょうか。

「……ねえ、聞きたいことあるんでしょ」

「あっ……」

 愛梨沙さんの問いかけに、私の心は歯止めを壊してしまいました。

 本当に聞きたいことはもっと別のこと。

 ずっと胸に抱えてきた、謎。

「愛梨沙さん、綾香さん教えてください」

 一度深く深く呼吸をしてから私は、

「お姉ちゃんは、どうして死んだんですか」

 知りたくて仕方なかった疑問を吐き出しました。

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