一方そのころ
空を飛びたいから空を見上げる。
それはとても合理的で、それでいてなんだか寂しい気もします。一番の近道だと分かっていてそうするのか、叶わない夢だからと諦めて渇望するのか。おそらく私は後者なんでしょう。
蓮也さんと別れた私は学園を出て、寮に帰ろうとしていました。門限まではまだまだありますが、今日は疲れてしまったので早く帰りたい気分だったのです。
蓮也さんは仕事があるからと言って去って行ってしまいました。本当はもっとお話でもしていたかったのですが、無理を言うわけにもいきません。それにただでさえ蓮也さんからはたくさんのものをもらっています。もちろんそれは物理的にではありませんが。
最初に出会ったあの日、誘拐犯から助けてもらった時からなんだか私の生活が色づいているんです。気功なんてもの知りもしなかった昔より、はるかに充実している気がします。これもきっと蓮也さんのおかげなんです。
私の今の生活は簡単に言えば謎と発見です。気功という力の謎、気功士を集めたこの島の謎、気功士を狙う反気功団体の謎。ここでの生活は常に謎との遭遇です。
反気功団体のことも考えると少し不謹慎かもしれませんが、私は今の生活が好きです。次々と迫りくる謎。そしてそれを解き明かしてくれる蓮也さん。今までこれほど私の興味を誘うものがあったかもわかりません。
謎を解き明かすのは好きです。わからなかったことがわかるようになる、未知が既知に変わる、その瞬間ほど気持ちが昂るものはないからです。
そして今、私は大きな謎を抱えています。『今』と言うと語弊があるかもしれません、正確には『今も』が正しいのでしょう。私はその謎を解き明かすためにこの学園に来てからずっと探しています、手がかりを。大体何が手がかりになりそうで、どうすればいいかの目処はついています。けれどそれを実行するには私には少し人脈が足りません。何せこの学園に入ったのはつい数日前のことなのですから。気功がまともに扱えないなんて理由で友達も少ないですし、知り合いと呼べる人も蓮也さんや会長さんくらいしかいません。早く答えにたどり着きたいというのが本音ですが、人の輪というのが一朝一夕でできるものではないことはわかっているので焦ったりはしません答えは逃げたりしませんから。
ところで私が空を見上げていたのにも理由はあります。別段空を飛ぶことに憧れているわけではありません。飛べたらいいなぁとは思いますが。ですからこれは本当に興味本位の疑問です。
気功で空は飛べないんでしょうか。そう私は考えました。つまり空を飛べるかどうかという謎です。そして私はその謎を解き明かしてみたいと思っていたのです。
気功の使い方に関することですから気功学園に入学したばかりで、それも気功の全く使えない私ではいくら考えても答えは出ません。気功のことなんですから誰か詳しい人に聞けばいいのですが、生憎と私の知る限り一番答えを知っていそうな蓮也さんとは先ほど別れてしまいました。
万事休すです。私の好奇心は満たされそうにありません。それを思ってかぼんやりと空を見ていたのかもしれません。叶わないからと渇望していたのかもしれません。とにかく謎は明日に持ち越しとなりそうです。
ふと。
何かが光ったように感じました。不思議に思って光源を探します。
私は上を向いていたので視界に入るものと言えば煌々と暑い太陽と時計塔くらいでしょうか。
もう一度キラリと光ります。今度は見逃しませんでした。光ったのは時計塔の最上階、蓮也さんから聞いた話では監視台になっているところです。そこに何かがあるのは間違いないようです。
私は気になってしまって時計塔に近づいてみました。時計塔は学園の校舎の真ん中にそびえ立っているので地上から近づくのには限度があります。それでも私はぎりぎりまで近づいてみることにしました。
近づきながら考えてみました。何かが光ったというのはおそらく、光源がそこにあったのではなく、何かが太陽の光を反射させたんじゃないかと思います。監視台というと望遠鏡でしょうか。
時計塔のぎりぎりまでやってきました。校舎はもう目の前です。遮られて時計塔が見えなくならないように少し距離をとりました。
そして、時計塔の最上階を見上げると。
「え」
思わず私は声に出していました。それほどの衝撃でした。
にわかに信じられませんが、先ほど光ったと思ったところに人影があります。それも監視台の淵です。少し気を緩めれば地上まで真っ逆さまという位置です。一体あんなところで何をしているのでしょうか。
まさか、と一抹の不安が過ります。あんな高いところで何をするかなんて私の乏しい想像力では思いつきません。
――――――心中しか。
私は嫌な予感がして咄嗟に手を振りました。精一杯、この想いよ届けと言わんばかりにその人影に手を振ります。事情は全く知りませんが、早まってはだめだと。そう伝わってほしかったのですが。
「あっ!」
その人影に私の思いは届きませんでした。
私が手を振ってすぐに、彼ないし彼女は飛び降りてしまったのです。
私は思わずぎゅっと目を瞑って顔を逸らしました。誰がどうして飛び降りてしまったのかわかりませんが最期を見ることは到底私には出来ませんでした。
目を瞑っても、顔を逸らしても、耳だけは残ります。その凄惨な音を想像して私は身を竦めましたがおかしいです。いつまでたっても着地音が聞こえません。
私の見間違いだったのでしょうか。恐る恐る顔を上げてみると、何かに呼応するように風が来ました。
思わずスカートを抑えてしまいそうなほど強い風でした、先ほどまではゆったりと吹いていたはずの風がなぜ。
疑問に思っていると答えの代わりに、
「……ねぇ、あなた」
「わっ、えっ!?」
後ろから声がかかります。咄嗟に思ったのはなんだか妙に消え入りそうだなと。そして私は二度驚いてしまいました。一度目はもちろん急に声をかけられたことに。
そして二度目は、
「ゴスロリドレス……?」
その方は薄いピンク色で、ひらひらとフリフリのたくさんついたドレスを纏っていました。いわゆるゴスロリドレスです。私のイメージでは黒が基調だったのですがいろんな種類があるのでしょうか。
そして纏っている当人といえば。明るい茶色の長い髪をツインテールにしていました。背丈は私と同じか少し高いくらい、線の細い体がドレスの印象とよく合っています。特徴的なのはその瞳、大きな瞳は半分ほどだけ開かれていてじっと私のことを見つめています。ジト目と言ったらいいんでしょうか。気怠げともいえるかもしれません。
けれど重要なのはそこではありません。その方は私を見て、私に話しかけています。このまま黙っているわけにもいきません。
「……ねぇってば」
「は、はいっ、なんでしょうか!」
二度目の呼びかけに私は素っ頓狂な声を上げてしまいました。対するゴスロリさん(仮)も驚いてしまったようで半分だった瞳がわずかに大きくなった気がします。
「……さっき見てたでしょ、私のこと。何か、用?」
「はい?」
思わず聞き返してしまいます。はて、私はこの方を見ていたことがあったのでしょうか。私が先ほどまで見ていたといえば時計塔の最上階から飛び降りる人影……
「あの! と、飛び降りた方はどうなったんでしょう! さっき時計塔の最上階から人が、見てませんか!?」
あまりの衝撃に忘れてしまうところでしたがそうでした、私の思いは届くことなく時計塔の人影は飛び降りてしまったのです。その方の末路を確認していません。
思わず詰め寄ってしまった私に対し、ゴスロリさんは最初こそ驚いた表情を見せていたものの納得がいったかのように半開きのジト目に戻りました。
「……飛び降りた? ……ああ、あなた一年生なの」
どういうことでしょう。全く会話がかみ合っている気がしません。何やら納得してしまったようですが私にはさっぱりです。今の質問からなぜ私が一年生であると分かったのでしょうか。
「あの、どういうことですか?」
いくら考えても私では結論にたどり着けないので聞いてみます。というかそもそもこの方は誰なんでしょう。
「……それ、私だから」
「えと……?」
「……だから、私が飛び降りたの」
「え」
どうしたらいいんでしょう、疑問を尋ねてみたら新しい疑問がやってきました。この方は飛び降りたのは自分だと主張しています。疑うわけではありませんが、先ほどの景色と照らし合わせると突拍子もない発言に思えてしまいました。
「……用がないなら私は行くから」
それだけ言うとゴスロリさんは身を翻して校舎に向かっていきます。
その時に見ました。
キラリと。
「あの! 待ってください!」
慌てて私は呼び止めます。たった今はっきりしました。この方は一つの嘘もついていませんでした。
「……何?」
再び振り返ったゴスロリさんのドレスがキラキラと光ります。
時計塔の最上階、監視塔に見たキラリと光るもの、それはこの方のドレスの装飾だったんです。
「よければ教えてください。気功で人は飛べるんですか!?」
先ほど飛び降りたのはこの方で間違いないのでしょう。では次の疑問です、ならどうやって降りてきたのかと。
そして私の至った仮説がこれでした。単純に飛び降りて着地した可能性を考える方が今までの私の知識からすると合理的な気がします。それなのに咄嗟に人は飛べるのかと聞いてしまったのはその謎を抱えていたからでしょう。それに加えてあの時の奇妙な風の動き、とても気になります。
私の問いかけを聞いたゴスロリさんは今度こそ明確に目を見開きます。私の唐突な質問に驚愕しているのでしょうか、しばらく動かなくなってしまいました。
そして二、三度まばたきをするほどの時間が経って、ゴスロリさんが元の半開きの瞳に戻ったかと思うと、
「……できるよ」
小さくそれだけ言いました。けれどたったその一言で私の心は雲が晴れたように明るくなります。ほんの偶然の出来事だというのに、私の抱えていた謎は解を得ました。それだけのことが私にとっては嬉しかったのです。
「そうなんですね……気功で空を……」
空を飛ぶことが出来る。そう知ることが出来た私は自覚できるほどに高ぶっていました。こうなってはもう気持ちを抑えることが出来ません。特訓の疲れも忘れて私は問いかけます。
「あの、詳しく教えてもらえませんか! どうやって飛んでるのかとかいろいろ知りたいんです」
私がそう詰め寄るとゴスロリさんは一歩後ろに後ずさりました。少し問い詰めすぎたようです。申し訳なくなって私も少し離れます。するとゴスロリさんは少し安心したような表情を見せて答えます。あまりこうして話すのが得意ではないのでしょうか。
「……何でそんなに知りたいの?」
発せられた問いへの問いは実に最もな疑問でした。しかしそんな質問は私の気持ちの前には些細なものです。私が知りたい理由、そんなものは簡単です。
「そうですね……好奇心っていうのが本音なんですが。やっぱり、空を飛ぶことって人にとっての一つの夢じゃないですか。だから空を飛べるってことはその夢を叶えたってことなんだろうと思ったんです」
「――――――――」
どうしましょう。再びゴスロリさんが固まってしまいました。何かおかしなことでも言ってしまったでしょうか。少し詩的ではあったかも……と思い返すと恥ずかしくなってきました。
「……わかった」
このまま動かなかったらどうしようという私の過剰な心配はさすがに余計だったようです。それだけ言うと踵を返して校舎の方へ向かっていきます。これはゴスロリさんについていけばいいのでしょうか。
困りました。昔からよくお母さんとお姉ちゃんに知らない人についていってはだめだと言い聞かせられていたのですがこのチャンスを逃したくもありません。
悩んでいる間にもどんどんゴスロリさんの背中は遠くなります。見失ってしまったら次はないかもしれません。
しばらく考えて出した結論は。
「お母さん、お姉ちゃんごめんなさいっ」
小さくなる背中を走って追いかけることにしました。